知らなかった…、お世話になった方の訃報。

今日、親父の高校の同級生で知り合いの方から久々にメールが届きました。
次のような内容でした。

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Yさんが昨年10月15日亡くなられたことはご存知かと思いますが・・・

この度、”山本真帆”(ペンネーム)さんが望んでいた、
平成11年から続いた「故郷へ」を遺稿集として
一冊の本にまとめて発行することになりました。

山登さんの記事は、
佐渡テレビジョンの意向で佐渡テレビガイドに載せられませんでしたが、
佐渡ジャーナルに記事として掲載されました。
”山本真帆”さんのあなたへの手紙も見つかりましたので、
最後を締めくくる意味もあり、
ぜひ、『故郷へ』と一緒に載せたいと考えています。
ご了承ください。
全頁350ページを超えるようなものとなります。

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まさに寝耳に水でした。
実は、”山本真帆”さんは、親父の高校の女性同級生。
昨年6月、
佐渡で行われた親父の同級会のアトラクションに呼ばれ唄いに行った時に、
佐渡テレビが故郷を離れ活躍している人物を紹介するために発行している
『故郷へ』の取材と執筆をされているとのことで、
俺のことを取材したいと親父に言ってくれたことを親父から聞き、
後日、自分から電話をかけたのがきっかけでした。
確か慶応大学卒を卒業されていると親父から聞いたと思いますが、
とても気品のある女性でした。

昨年7月に新宿の喫茶店でお会いし、
聞き間違えると大変なのでということで録音しながら取材を受けたのですが、
「今まで取材した方の中で一番若いわ~。」とおっしゃってくれたことが蘇ります。
その時に、これまで取材した記事を一冊の本にまとめたいとのお話もされていました。
その後、渋谷のライブにも一度お越し頂き、CDを買って頂きました。
10月号で紹介ということでしたが、
その後、佐渡テレビの予算削減で『故郷へ』の発行継続が難しくなったらしく、
急遽発行が取り止めになり申し訳ないとの連絡がありました。
佐渡テレビの社長からもわざわざお詫びの手紙と粗品が届きました。

でも”山本真帆”さんは、何とか自分のデビューの宣伝にと思って頂いたようで、
原稿は短くなってしまうが、
『佐渡ジャーナル』に記事を掲載してもらえることになったとの連絡を頂きました。
実は、『佐渡ジャーナル』には、
音楽活動を始めたばかりの2004年、
初刊で記事を載せてもらったことがあったのですが、
『佐渡ジャーナル』の10月号に掲載するために
”山本真帆”さんがまとめた原稿が送られて来て、
校正して返送するなどやり取りをしたのが確か9月中頃だったと思います。
返送した原稿を受け取ったという連絡まではやり取りしたのですが、
マメな方なのにその後連絡がないのでおかしいな~と思いながら、
俺もデビュー記念ライブに向けてバタバタし出してそれっきりになっていました。

喪中で年賀状を出さなかったので、
最近、寒中お見舞いの葉書を書いて出したのですが、
住所不明で戻ってきてしまい、
住所がわかりにくくて届かないことがよくあるとは聞いていて、
以前校正した原稿を返送した時も一度住所不明で戻ったことがあり、
ご本人からわかりやすい住所聞いて出しなおしたことがありました。
電話を入れてみようかな?と、
実は、最近気になっていた方だったのです。

亡くなられたのが10月15日ということで、
その日は、丁度佐渡に帰っていて、
前日に朝日新聞の取材、翌日新潟BSNラジオ出演の間の日でした。
亡くなられた直後から俺のデビュー記念ライブが始まったことになりますが、
知らずにライブをしていたことになると思うと何だかとても悔やまれます…。
今思えばライブで唄った【永別の空】は、
”山本真帆”さんの追悼歌でもあった気がします。
【永別の空】の中にある、
”出会ったことに意味があるのならば 早すぎる永別にどんな意味がある…”
の歌詞の一節が過ぎりました。
【永別の空】:http://jp.youtube.com/watch?v=BQwMqm83ups
※居酒屋ライブの動画なのでちょっとうるさいです。

Yさんがどんな人生を辿られたかは詳しくはわかりません。
応援して頂いた方の訃報はとても悲しいことではありますが、
一人の人間の掛け替えの無い人生の最期の1コマに関われたということは、
自分にとっては大変光栄なことだと思えてきます…。

”山本真帆”さんの存命中の念願だった『故郷へ』の遺稿集発行、
ご本人が見届けられなかったことがとても残念ではありますが、
ご遺志が叶い発行に至ることをうれしく思います。

”山本真帆”さんのご冥福を衷心よりお祈り致します。

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