久々に『若波会』に行って来ました。 

昨夜は、久々に首都圏で佐渡の民謡保存活動をしている
『若波会』http://sado.i-tops.co.jp/wakanami/wakanami_kai.html
の練習会場がある荏原中延に行って来ました。
佐渡出身の方以外にも、民謡が好きで参加している方も結構います。
40年もの間、佐渡の代表的な民謡、
自分達も子供の頃から運動会などでは必ず踊った『佐渡おけさ』、『相川音頭』など、
毎週一回水曜日に集まっては練習をし、
全国各地での要請に応じて佐渡の民謡を披露してきている会で,
時々顔を出すと熱心に練習している姿にまた頭が下がる思いです。
自分も一時会員として関わっていたのですが、
音楽活動が忙しくなり、時々顔を出す程度になっています。
でも、顔を出す度に家族を迎えるように佐渡弁で歓迎してくれるので、
何だか故郷に帰った気持ちになります。

昨年10月、デビュー直後に一度報告に行って以来になりますが、
会長からデビューCD【月】を30枚ご注文を頂き持って行って来ました。
応援しようというお心遣いに、本当に感謝です。

会自体、元々民謡ということで60~70歳代くらいの割合が高かったのですが、
年齢の高い方々が退会されたのでしょうか…、
以前より人数は減っているようですが、少し若返った感じでした。
毎回お馴染みだった『若波会』の草創期近くから関わってこられた
84歳の三味線の先生と、
もう一方馴染みの深い方も亡くなられたとのことで、
必ず練習の後の打ち上げに参加されては、
元気にお酒を呑んで交流させて頂いていたのですが、
歳月の流れを感じてとても寂しい気がしました。

練習の後は、いつも通り行きつけの居酒屋に立ち寄り、
佐渡弁での楽しい一時でした。
皆さん、郷里を愛する思いでこの会を何とか後世に残すことを考えながら、
本当に楽しみながらも真剣なんです。
40年…,自分の人生と同じくらいの歴史があるわけで、
色んな方の思いが込められて今日まで続いて来たのかと思うと、
何とも言えない思いが過ぎりますね~。
来年は、『若波会』40周年ということで、
記念の催しを考えているようで、すでに出演の話を頂いて来ました。
盛大に祝いたいものです。

楽曲の一人歩きと童話【天翔ける兎】との出逢い。

時々、インターネットの検索で、
見ず知らずの人が俺の楽曲を取り上げて
個人のブログで紹介してくれているところに遭遇することがあります。
まさに楽曲の一人歩き…。
メジャーデビューしたと言え、
無名の新人アーティストにとっては大変力強い応援です。

これまでも何回かありましたが、
ほとんどが「You Tube」にアップされている
第ニ期「お笑い島 計画」のキャンペーンソング【遙かなる故郷の空よ、海よ】http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=R4GWBh7jPz8のPVで、
全く佐渡に関係の無い人がこの曲に共感し、
感銘を受けて紹介してくれていることがあります。
また、撮影した佐渡の風景がより楽曲の情緒を増幅させてくれているのでしょう。
紹介してくれているコメントなどを読むと、
そこから思うのは、やはり故郷への想いを抱えながらいるんだろうな…ということ。

今回も新潟県出身の”yuusuke320”さんが、
【遙かなる故郷の空よ、海よ】http://yuusuke320.blog115.fc2.com/blog-entry-364.html#comment519
昨年夏に紹介してくれているのがたまたま検索で引っ掛かり、
お礼のコメントを書き込んだところ、
最初俺本人の書き込みなのかな?と半信半疑だったようですが(笑)、
更に【月】を紹介して頂きhttp://yuusuke320.blog115.fc2.com/blog-entry-600.html
その後、前のブログにコメントを返してくれました。
どうも自作の童話を作っている方のようで、
自作の童話を載せてくれました。
これがまた、何とも見事にこれまでの俺の心境と重なる部分があり、
丁度少し前に書いた【30年のぶりの再会】で綴った内容を
読んでもらったのかな?と思うくらい大変感動しました。

改めてコメントと童話をご紹介します。

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単なる気まぐれからオイラのブログに貴君の歌を貼り付けました。
どこから辿ってきたのやら?
本人からの書き込みありがとうございました。
早速、気の利いた返信、と思いつくが書く文字が浮かびません。
掛ける言葉が出ません。
で、長くなりますが自作の童話を載せました。

『天駆ける兎』
あいだみつお

物心ついた時からこの大地が俺のすべてだった。
数十歩走ると柵があり、金網に囲まれたこの空間が少年期だった。
ある目突然、足に怪我を負ったかわいい仲間が連れ込まれて来た。
聞けばワナにはまり丸焼きで食べられてしまうところ小さく細かったため、
ここに入れられたとの事。
あの食料と水を運んで来てくれる少女が「俺達を食べる?」

それから毎日、アイツは外界のめずらしい世界を話してくれた。
同時にこのかこいの中がいかに安全で満ちたりだ空間であることを強調するのであった。
しかし、聞けば聞くほど俺の好奇心と冒険心はふくらみ、
「いつか俺は外界を自由に駆けてやる。」

好きな相手が居ようとも外界の自由を願わなかった日がなかった俺は
四隅のささくれた場所を一所懸命に掘り続けた青年期であった。
そして満月の夜実行。
云えば止められるであろう。
語れば涙があふれるであろう。
アイツが突然やって来たように俺は今夜居なくなる。
消えてしまおう。
昨日までの安定した延長より、自由な明日が俺には必要なんだ。

広い。
どこまでも続く大地を毎日走った。
ひたすら走った。
疲れて立ち止まれば、
俺より数百倍小さな虫におどされ、
ロにした葉で高熱を発した日もあった。
時として大きな動物や空からの鳥に襲われ、
外界におののく日が続いた。
ジイが言っていた【宿命を背負い運命は切り開かれど天命には逆らえぬ】とは
何かを自問する日々に安息はなかった。

さまよい続けて立ち止まった目の前にあいつが言っていた『紫の華』
もう一度食べてみたいと言い続けていた一輪の花。
きっとあの花に違いない。
迷 わず一ひらロにし、そのエキスが体内に廻った時。
何かがはじけた。
「そうだ、この花をアイツにとどけよう。アイツに食べさせたい。行こう。アイツの元 へ帰ろう」

走る。
ひたすら走る。
がむしやらに走る。
一輪の紫の花をロにくわえ走る兎。
愛に導かれ、愛に向って「天駆ける兎」

その兎は目を閉じると見える人々によって、一羽二羽と喩えられ
数えられるよう噂話が広がっていった。
そして、その兎は月までも駆けて行ったらしいtosa

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絵本にするために絵をかける方を募集しているそうです。

教え子がライブやってま~す!

89年~92年なので、もうかれこれ20年近く経つことになる…。
いや~、もうそんなになるのか…って感じですが、
中国留学中にアルバイトした当時の広州日本語補習校(現広州日本人学校)の教え子が、
ライブハウスデビューをしています。

当時、お父さんの仕事で中国赴任中に日本人学校の前身である補習校に通っていて、
俺はアルバイトで彼には社会を教えていました。
よく補習校でもギターを持って行って唄っていたことがあり、
彼が帰国する時にオリジナル曲からセレクトして、
20数曲をカセットテープにダビングしたものをプレゼントしたことがありました。
今聴けば恥ずかしい限りの音源ですが(笑)、
彼は、帰国後もそのテープをずっと大事に持っていてくれたようで、
彼のお母さんがライブに来てくれた時に、
「洋が帰国後、受験やら何やらで精神的に色々大変な時は、
先生のテープをずっと聴きながら乗り越えられたんです。
本当に感謝しています。」と言ってくれていました。
うれしいやら、恥ずかしいやらでしたが…。(笑)

そんな彼も30歳を過ぎ、大手自動車会社に勤めていますが、
俺が、2004年に音楽活動を始めてから時々ライブに応援に来てくれていて、
元々は、小さい頃からバイオリンをやっていたのですが、
俺の影響でクラシックギターも習っていると聞きました。
その時に、そのうち作詞もして唄いたいということも言っていて、
確か、もう2年前になるかな…?
俺が定期ライブをしている「Miiya Cafe」というライブハウスで
その日来た人全員が2曲くらいずつ唄うアコナイトに彼と一緒に行き、
そこで彼が唄うのを初めて聴きました。
確か、彼はインディーズプロダクションのオーディションに合格して、
CDを作るかどうかの相談を受けたタイミングだったと思います。

余談ですが、実は、そのプロダクション、
俺が、これまでオーディションを受けようとしたことのあるたった2社の中の1社で、
以前、インターネットの検索で引っ掛かって応募まではしたのですが、
オーディション当日、駅まで行って財布を忘れたことに気がつき、
家まで戻ると時間に間に合わないということでドタキャンしたことのある、
何とも縁のあるプロダクションでした。(笑)

彼は唄う前に、
「自分が音楽をやっているのは、YAMATO先生の影響です。」と言いながら、
彼のオリジナル曲1曲と
俺の曲の中で彼が1番好きだという【きっと僕らはいつの日にか…】の2曲を唄いました。
俺の曲を他人がカバーして唄うのを聴いたのは、
今のところ彼が最初で最後ですが(笑)、
正直聴きながら色んな想いが込み上げて涙が出てしまいました。

演奏は当然ながらまだまだ荒削りでしたが、
これまで人前で演奏したことも無い中で唄った度胸と、
音楽関係者が重視する声の個性(低音の魅力)という点、
そして聴き手の心に響くと言う点では、
インディーズと言えども原石としてオーディションに合格したことに納得できました。
これから、ライブで場数を踏んでいけばどんどん上達すると思いました。

と言うことで、長くなりましたが、
彼のライブが、今週末2月7日(土)19:50~あります。
アーティスト名は”羊”。
本名”洋”のサンズイを取っただけという安易なアーティスト名だそうです。(笑)
俺は、「大手企業に勤めながら小椋桂を目指せ~!」と言っていますが(笑)、
是非、一緒に活躍できたらいいな~と思っています。
初めて彼の正式なライブを聴きに行って来ま~す!

【アンコール渋谷】/http://www.encoreshibuya.com/

それから、もう一つ。
やはり2月7日(土)、俺のライブ写真を撮ってくれたりしています
”Blue Okazaki”さんの写真展があります。
是非、足をお運びきださ~い!

詳細は、こちらで!
http://blogs.yahoo.co.jp/steed4002001/58215525.html

”Blue Okazaki”さんが撮ってくれた俺の写真はこんな感じです!
http://blogs.yahoo.co.jp/steed4002001/58141864.html

新たなチャンスの場になりそうです。

昨日、今日と連日のライブでした。

まず昨日は、マダガスカルの環境保護支援NPO法人『リトルパンゲア』http://www.littlepangaea.org/の会員として、
約60のNPO法人が参加した「市民活動フェスタで唄ってきました。
『リトルパンゲア』に誘ってくれた佐渡関係者で
現在職場の関係で木更津に住んでいるのSさんの紹介でしたが、
スタッフの若い青年たちが一生懸命取り組んでいる姿が印象的でした。

今回は、ライブ会場が遠かったのですが、
ジェンベのmasaさんがサポートで同行してくれました。

セットリスト/

1:立ち上がれ
2:命の花
3:マダガスカルムーン
4:月
5:それだけで幸せなこと

サポート:ジェンベ(masa)

会場のお客さんは、明らかに年輩の方が多かったのですが、
1曲目の【立ち上がれ】を唄い始めた時から
障害児を連れた一人のご婦人が手拍子をし出してくれて、
終わると大きな声で「上手い!」と叫んでくれました。
その後は、バラードが多かったので皆さんじっくり聴いて頂いていた感じでしたが、
最後の曲【それだけで幸せなこと】が終わると
やはり最初に声をかけてくれたご婦人が、
再び大きな声で「上手い!」と叫んでくれてライブは終了。
あの声だけで今回のライブに来た甲斐があった気がしました。(笑)

その後は、3階に設置された『リトルパンゲア』のブースに行き、
Sさん、masaさんと過ごしました。
ブースでは、ずっと俺のデビューCDを流して頂いていたのですが、
最後片付けをしていると、
我々の対面でブースを出していた
『国際福祉支援作品交流ネットワーク ぶりっぢ』という団体の代表の方に、
「さっきから佐渡ヶ島の歌が流れてましたが、
何か佐渡と関係があるんでしょうか?」と訊かれたので、
「自分が佐渡ヶ島の出身なんです。」と応えると、
「そうだったんですか…。
いや、実は自分の姪が佐渡の八幡というところにあるキリスト教会の牧師と結婚していて、
佐渡にいるんですよ。」と。
その牧師さん夫婦を俺は知っていたのでビックリ!(笑)

最初面識をもったのは、確か3年程前。
佐渡に帰った時に知人から誘われNPO法人の集会に参加したらその牧師さんがいました。
その後、埼玉県大利根町の『光のこどもの家」』いう養護児童施設の子供たちが、
この2年間、毎年夏佐渡に遊びに行っていて、
たまたま、知人からの紹介で子供たちと佐渡で交流するようになりました。
『光のこどもの家」』の子供たちの佐渡滞在スケジュールに
そのキリスト教会でのバーベキューが恒例になっていて、
俺が海で潜って獲った物を差し入れに行っていることから
姪っ子さんにあたる牧師夫人とも面識を持ったというわけでした。
そう言えば、昨年10月に俺が佐渡のTSUTAYAでインストアライブした時にも、
TSUTAYAで牧師さんとバッタリ…。(笑)
最後の最後で、世間は狭いな~という出会いがありました。(笑)

そして、今日は同じ佐渡旧相川町出身で、
もう60歳を越えた皆さんの相川小・中学校の同級会に呼ばれて、
川口にある『ゆの郷』http://www.alphaclub.co.jp/yunosato/index.htmlに行って唄ってきました。
佐渡高校の先輩が幹事をしているので声をかけてくれました。
その中には、
自分も東京相川会の関係から親しくさせて頂いていますが、
「佐渡おけさ」を全国に広めて有名になった”村田文三”さんの孫娘さんもいる同級会でした。

今回は、『ゆの郷』の中にいくつかある宴会場でのライブということで、
音響やサポートに入ってもらうキーボードなどを持参して唄ってきました。

セットリスト/

1:佐渡ヶ島
2:朱鷺色の島~ふたたび~
3:月
4:追憶の故郷
5:男道
6:それだけで幸せなこと

サポート:ピアノ(永井寛子)

『ゆの郷』には、歌謡ショーなどができるステージもあり、
実は、幹事の先輩が支配人と懇意にしていることから、
『ゆの郷』で唄えるかどうか交渉してみるからということで、
紹介してくれることになっていました。
でも、なかなか忙しい支配人ということで、
戻るという時間になってもなかなか戻って来ず、
今回は諦めようかということで資料と名刺だけフロントに預けて帰ることにしました。
皆さんカラオケタイムに入っていたので、
俺も最後に皆さんの知ってそうな曲を唄って帰ることにして、
【シクラメンのかほり】を選曲し唄い終わると、
カラオケ画面を見ていたので気付かなかったのですが、
支配人が宴会場に来られていて、
幹事の先輩と話をしながら俺のカラオケを聴いてくれていたようです。(笑)
すぐ呼ばれて話をすると、即決で歌謡ショー出演が決まりました。
今日も演歌歌手が唄っていました。
多分俺と変わらないくらいの年齢かな?思われる支配人ですが、
もう5,6年支配人をしているということで、なかなかやり手という感じの方でした。

今月からもう出演をさせてくれようとスケジュールを確認すると、
2月は、すでに土、日の歌謡ショーが決まっているということで、
3月からの出演となりました。
ただ、2月16日に業者を集めた宴会の席を設けるので、
そこで、3,40分演奏して欲しいとのことで早速仕事を頂きました。
とにかく、これまであまり活動してこなかった地元埼玉での活動を意識していて、
しかも、不特定多数の前で唄えるというのは何よりの宣伝になるので、
また、新たなチャンスにつながりそうな出逢いができました。
支配人さん、ありがとうございました!
相川小・中学校同級会の皆さん、
CDもたくさん購入頂きありがとうございました!

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