ブーゲンビル島慰霊巡拝の報告:1

4月に慰霊巡拝に行ったガダルカナル島は、
ソロモン諸島国という国に属しビザがいりませんでしたが、
今回のブーゲンビル島は、
同じソロモン諸島方面でもパプアニューギニアに属しているため、
ビザを申請しての慰霊巡拝となりました。
今回も、感動的なシーンや出会いがありましたので報告して行こうと思います。

●7月11日
ニューギニア航空で21:05成田発でしたが、30分ほど遅れてのフライトになり、
パプアニューギニアのポートモレスビーに向かいました。
機内では、慰霊巡拝ではお馴染みの添乗員Sさんと二人、
添乗員さんと顔見知りの男性フライトアテンダントに頼んで、
乗客が寝静まった後も客室最後部の空間のカーテンを閉めて語り明かしました。
お陰で睡眠時間1時間での旅の出発となりました。(笑)

●7月12日
ポートモレスビーにて飛行機を乗り継ぎブーゲンビル島の玄関口のブカ島に向かうのですが、
乗り継ぎの国内線のフライトが当初の9:30発から3時間ほど遅れるということで
ポートモレスビー市内見学に出発。
連合国軍共同墓地、国会議事堂、帰りに宿泊する”エラビーチホテル”などを見学。
その後、国内線にてブーゲンビル島の玄関口”ブカ島”へ。
宿は、”クリビレッジリゾート”というところで、
一応は、全室シャワー、トイレ、エアコン完備でした。
シャワーは使用中に出なくなるので困りましたが。(笑)

何よりも、食堂が海の上にあり、
海の中の熱帯魚を見ながら水族館気分に浸れるところが魅力でした。
食堂からは海峡を挟んで”ブーゲンビル”島が正面に、
周囲が400メートルほどの合同慰霊碑のある”ソハーノ島”が右手に
白い慰霊碑とともに見えていて、
どちらも”ブカ島”から直線距離にすると4~500メートルといったところだと思います。
海峡をYAMAHAの船外機を付けたボートが頻繁に往来していて、
交通手段のメインが船だということが容易にわかりました。
ボートは水上タクシーとして利用されています。
現地1日目の夜は海風が心地よく、、意外に涼しくて快適でした。

●7月13日
この日向かう”ブーゲンビル島”は、現在独立する準備をしているところですが、
我々が滞在する”アラワ”という地域は、
かつて銅山で繁栄した頃に地域住民に鉱毒による健康被害が多発。
パプアニューギニア政府が、地主にも安い地代しか払わないことから反政府運動が起こり、
長い間紛争が続いた地域でした。
反政府軍の反乱によってこの”ブーゲンビル島”の経済発展は完全に止まり、
”ガダルカナル島”から比べても明らかに遅れているようです。
今は大分治安は安定したものの、
島の反対側の”ブイン”という地域に向かう途中では、
已然反政府軍の残党がいて、高い通行料を請求することがあるらしく、
「全国ソロモン会」のメンバーも2、3年前に一度”ブイン”に向かう途中に彼らに遭遇し、
銃を突きつけられ高い通行料を請求され、
怖い思いをし引き返したことがあるとのことでした。
それ以来、”ブイン”方面への慰霊巡拝は取りやめているのですが、
”戦艦大和”のフィルムが埋められているのがその地域のため、
フィルム捜索メンバーは、今回の我々の現地で得る情報を聞いて
いつ捜索に行くかを判断することになっています。

夜中ずっと雨が降っていてどうなるかと思いましたが、
朝になると少し晴れ間が出てきたので、
雨の切れ間を縫って2艘のボートに分かれて便乗し、
2泊3日で慰霊に向かう”ブーゲンビル島”に渡りました。
と言っても、ものの5分で対岸の”ボニス”に到着。
それにしても、皆ボートを海上タクシーにして生計を立てているだけあって、
船外機の操縦がとても上手く、感心しました。
港らしき狭い砂浜の海岸にボートを頭から乗り上げて着けるのですが、
それが隙間無く並んでいて、
一艘ギリギリ丁度空いているスペースにも見事に乗り着けてしまいます。
狭い場所でよくぶつからないなと感心してしまいました。

さて、その後は2台の四輪駆動車に分乗し、
目的地”アラワ”に向けて”ガダルカナル島”、”ブーゲンビル島”の慰霊巡拝で
最も過酷だと言われている舗装されていないデコボコ道を6時間余りかけての移動。
舗装されてなくても平らなら良いのですが、
思っていたいた以上の悪路で、
車は大きな穴を避けながら走るのですが、
そんな道でも現地のドライバーは70キロで飛ばす、飛ばす。(笑)
後部座席は、左右向かい合うタイプの座席でほとんどクッション性がないため、
その振動はかなりのものでした。

途中、”テンブツ”という集落で昼食を摂りましたが、
慰霊団が立ち寄るようになって食堂を始めたという馴染みのファミリーらしく、
常連の方はプレゼントを用意してきてファミリーに渡したりしていました。
食事は思いの外美味しく、自分は魚を食べませんでしたが、
アジの唐揚げとカツオか何かを煮付けたものが大変好評でした。
道中は、以前かかっていた橋が川の氾濫で壊れているものが多く、
11本の川を水に浸かりながら車で渡りましたが、
これまでも、川が増水して渡れず断念したことがあるようです。
道路脇に一箇所、戦時中の日本軍の朽ち果てた戦車が放置されている場所があり、
その残骸を見ながら64年の流れた歳月の重さを感じさせられました。

あと、車で走りながら”ガダルカナル島”の住民との違いに気づきました。
と言うのは、同じように皆我々を見つけると手を振ってくれるのですが、
手を振るときに大きな声を上げながら振ってくれるのです。
”ガダルカナル島”の島民よりも純粋というか天真爛漫というかそんな印象を受けました。
経済復興が遅れている分、住民の心が擦れていないということなのだろうかと思いました。
それでもある戦友の方が、紛争が起こる前と後では島民の表情が変わったと言ってました。

途中2,3度のトイレ休憩や、
戦没者の写真を教会に掲げて毎回慰霊祭をやらせて頂いている”マビリ教会”にも立ち寄り、
シスターと翌日行う慰霊祭の打ち合わせなどをしたりして、
やはり6時間余りかけて”アラワ”の宿に到着しました。
島民はほとんどがクリスチャンなわけですが、
途中、道路端に大きな十字架が数多く地面に立てられているのが目に付きました。
自分が乗っていた車は途中2度もパンク。
予備のタイヤは一つしか積んでいないのでもう一台のを交換しました。
見るからにタイヤの目がないという感じでしたが、
やはりかなりの悪路というのは身をもって実感しました。
帰りまた同じだけ乗るのかと思うとゾッとする感じでしたが、
今回も会長93歳をはじめ、90歳前後の方が4人いましたので驚くばかりです。

”アラワ”では、”クリビレッジリゾート”という宿に宿泊。
トイレ、シャワーは各部屋にはなく共同でした。
建物自体、自家発電で電気を供給しているので、
普段夜中は停電するらしいのですが、
今回我々が宿泊するということで24時間停電しないようにしてくるはずが、
結局夜中トイレに起きると真っ暗。
夜雨が降っていたので本当に真っ暗で困りました。
外はまだ良いのすが、トイレの中が本当何も見えないんです。
皆さん、準備の良い方は携帯用の懐中電灯を持ってきているので使ったようですが、
中には慰霊祭用のロウソクを灯して行ったら途中で消えて困ったという方も。(笑)
次の日は、話してもらってちゃんと24時間停電無しでした。

夜は、ガダルカナル島の経験から熱帯夜を覚悟していたのですが、
結構涼しくて拍子抜けした感じでした。
夜空も晴れていたので星が奇麗で、
前回”ガダルカナル島”では見逃した南十字星を初めて見ることが出来ました。
南十字星を見たかったという方もいて、満足げでした。

翌日は、”ブーゲンビル島”での慰霊祭でしたが、続きはまた明日。

※ ブーゲンビル島地図
http://map.yahoo.co.jp /pl?p=Genn&lat=-5.999908&lon=154.999934&lnm=%A5%D6%A1%BC%A5 %B2%A5%F3%A5%D3%A5%EB%C5%E7&idx=100&type=scroll&sc=13& v=2&ei=euc-jp:
今回は、ブカ島というところからブーゲンビル島の東側海岸線を走る道路を使って、
”キエタ”までの往復でした。

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