TBSのオンエア日程決まりました!

4月のガダルカナル島慰霊巡拝の模様のTBSオンエア日程が決まりました。
また変わる可能性もあるようですが、とりあえず変更がなければ8月8日(土)とのことです。
ということは、おそらく17:00~の「報道特集 NEXT」という番組内だと思います。
来週早々放送作家の方とお会いするので確認します。
まだ、番組の編集前のようですが、6月末に行った佐渡の花の木コンサートのシーンから番組が始まる構成を考えているようです。
そうなると、サポートで入ってくれていたメンバーも少し映るかも知れませんね。
現地の慰霊祭で【涙雨】を唄っている途中で雨が降って来たシーンも使われるようです。
変更がなければ8月8日、是非見てくださ~い!
 さて、明日はガダルカナル島のつながりから知り合いになった佐渡出身のご婦人のご紹介で、
急遽、”区民ひろば池袋”http://www.city.toshima.lg.jp/shisetsu/9431/007028.htmlで行われる「運営協議会設立集会」なる場で、飛び入り的に2曲唄わせて頂く事になりました。
他には大学生の漫才や芝居などがあるようです。
午後2時に会場入りになってますので、
お近くの方お越しくださ~い!

ブーゲンビル島慰霊巡拝の報告:3

●7月16日
この日は、ソハーノ島という周囲400メートルくらいしかない島にある
ブーゲンビル島の合同慰霊碑での合同慰霊祭と、
自分が「全国ソロモン会」と交流をもつきっかけになった
10年来のお付き合いがあるご婦人Yさんのお父さんが、
やはりこの島で亡くなって慰霊碑があるので、
最後にYさんのお父さんの慰霊祭する予定で動きました。?

10時からの慰霊祭に向けて、
9時の先発隊と9時半の後発隊に分かれて島に渡りました。
ソハーノ島、宿の食堂から慰霊碑も見えていましたが、
いざ上陸すると本当にきれいな島でびっくりしました。
慰霊碑が島の先端の高台にあるんですが、
その周りがずっと一面緑の芝で覆われていて、
黄色い花を付けた木やブルメリアという白い花を付けた木があったり、
ぽつんと椰子の木が立っていたりして
何だか別世界に来た気分でした。
何年かこの島にゆったり住みたい気分になりました。(笑)?

慰霊祭の準備が済んで、
10時からの慰霊祭を待つばかりになりましたが、
来賓で来てくれることになっていたブーゲンビル島の大統領夫妻と、
この島にある学校の先生と子供達が待てど暮らせど来ず、
まあ大統領は忙しくて来れなくなったのかで済みますが、
先生と子供達は約束しているのにどうなっているのか?と、
現地のスタッフを学校に呼びに行かせると、
何と勘違いで、島の反対側にあるYさんのお父さんの慰霊碑の前で待っていました。
結局、慰霊祭も30分遅れでスタート。

この日は太陽が照って、尚且つ蒸し暑く、
待ってる間もなるべく風がある場所を探して待っていたのですが、
何と慰霊祭がまさに始まるというその瞬間から
嘘のように噴水のしぶきのような細かい雨が降り出しました。
でも、空には太陽が照っているんです。
実は、今回テレビ局の放送作家に頼まれて、
自分の慰霊祭で唄うシーンや現地の様子がわかる映像を
少し撮って来て欲しいと言われていたのでカメラを回していたのですが、
思わず「あっ、雨だ!」という自分の声が入っていました。
そう言えば、ガダルカナル島の時も合同慰霊碑前での合同慰霊祭で
【涙雨】を唄っている時に雨が降り出したんですが、
今回もやはり合同慰霊碑前での合同慰霊祭のタイミングでした。
それが、また慰霊祭が終わる頃にピタッと晴れてしまうんです。
また”涙雨”を体験した気持ちで一杯でした。

この日は、持って行ったギターを使って初めて現地の慰霊祭で唄いましたが、
空から降る”涙雨”を浴びながら【涙雨】を唄えたことが、
また自分の心に深い感動となりました。
子供達は、皆中学生でしたが、
一人の女の子がギターを持ってきていて、
伴奏をしながら5,6人の代表で唄う予定だったのですが、
事務局長が自分のことを日本のプロシンガーだと紹介した途端に、
子供たちがプロの後に唄うのはいやだと言い出しらしく、
何とか説得して唄わせたようです。(笑)
ただ、1曲唄ったら気持ちよくなたのか、
もう1曲とうことで結局2曲唄ってくれましたが、
女の子なかりのハーモニーがとてもいい感じでした。?

その後は、島の反対側にあるYさんのお父さんの慰霊碑に行き、
同じように慰霊祭を執り行いました。
Yさんの名前は”幸子”なんですが、
依然自分の都内のライブにYさんが来てくれた時に、
【泰平】という友人に作ってあげた曲の替え歌で、
【幸子】にして唄ってあげたことがあり、
どうしてもその歌をお父さんの慰霊碑の前で欲しいと当日朝にリクエストがあり、
今回【泰平】改め【幸子】で唄いました。(笑)
ご本人も何度も”Oh~幸子♪”と唄うので、
「これだけ”幸子”と呼んでもらえればお父さんにも届いたでしょう。」と
とても喜んでくれました。
まさか、ブーゲンビル島の慰霊祭であの歌を唄うとは思ってもみませんでした。(笑)
そんなことで、これでブーゲンビル島での全ての慰霊祭の日程を無事終えました。

夜は、昼間慰霊祭に来れなかったブーゲンビルの大統領をお迎えして、
ささやかながらのパーティとなりました。

大統領もこの夜は、時間がたっぷりあるということで、
自分のライブもしっかり聴いていってくれました。
唄ったのは3曲、【月】、【太陽へ向かうハイウェイ】、【涙雨】でした。
現地の他のお客さんたちまで聴きに来てくれてたくさん拍手をもらいました。

●7月17日
この日は、いよいよブカ島を離れ、ラバウル経由でポートモレスビーに向かう日。
朝食を終え部屋に戻ろうとする途中、
3,4人で話していた現地人らしき人物の一人が
今回一緒に慰霊に参加した俺と同年代のM氏を捕まえて、
何やら一生懸命話し出しました。
現地のピジン語というか訛っている英語というか、
言っている言葉を一生懸命聞くと、
何やらカセットテープという言葉が聞き取れました。
後から添乗員Sさんが来て通訳してくれてわかりました。
昨夜の俺のライブを聴いて大変感動したので、
M氏を俺と勘違いして呼び止め、
俺の歌の入ったカセットテープが欲しいと交渉していたようなんです。
最初Sさんも「今回彼はカセットテープは持って来てないんだ。」
と断ってくれていたのですが執拗に食い下がって来て、
「カセットテープを100本くらいダビングして、
自分の地域の住民に聴かせたいんだ。」と言うのです。

そのうち彼がとっても社会的な地位のある人物だとことがわかりました。
どうも、ポートモレスビーの上にあるゴロカ”というコーヒーで有名な都市の
リージョナルマネージャー”らしいのです。
Sさん曰く、”リージョナルマネージャー”は、
日本で言うと県知事くらいの役職だそうです。
とにかく、俺の歌に感動したので
自分の地元でたくさんの人に聴かせたいと一歩も引かないんです。
よく考えると、ポートモレスビーで招待されている日本大使館のパーティーで
大使にプレゼントするCD以外に、
もう1枚余分に自主制作の【故郷を遠く離れて】を持ってきていたことに気づき、

それを彼にプレゼントしました。
ゴロカ”に来た時には空港で自分の名前の”ロッキー”と言ってくれれば、
空港職員は皆わかるからと大変な喜びようでした。
そして、自分の兄さんか弟がラジオ局にいるので、
どんどん流すと言ってくれていました。
パプアニューギニアで自分の知らないうちに”YAMATO”名前が広がるかも?(笑)
実は、レコード会社側からも、
【涙雨】を英語バージョンにしてソロモン諸島で広げる方向を考えたらどうか言われていて、
今自分の昔の教え子に英語訳を頼んでいるところなんです。
ソロモン諸島やパプアニューギニアは大変親日的なので、
持って行き様によっては面白い展開が作れるかも知れません。
そんな面白い出会いがありました。

ブカ島を離れ、ラバウル経由でポートモレスビーに到着、
その日のホテルは、なかなかきれいで、かなり日本に近い環境で快適した。(笑)
ただ、アレルギーは最悪の状態で、
痒みと全身赤く腫れ上がって火照ってる感じで、
遂に瞼にまでアレルギーが出て来て不快きわまり無かったですが、
その状態でパプアニューギニア大使官邸の夕食会に行って来ました。
6時~8時頃まで、西山大使と他日本人スタッフ2名に接待頂き、
歓談のひと時をもたせて頂きました。
菊本事務局長より、大使官邸でライブをと言われていましたのでギターも持って行き、
【涙雨】、【男道】、【ソロモン戦友讃歌】の3曲を唄いました。
唄った後、自分のCDをプレゼントしましたが、
大変感動して頂いたようで、「広報で宣伝しますよ。」とか
「日本に帰ったらCDまとめて買いますよ。」などと言って頂きました。
「もっとスタッフを呼んで聴かせれば良かった。」とのお言葉も頂きました。
別のスタッフからも、
「在パプアニューギニアの日本人を集めてライブをしてもらいたいくらいです。」と言って頂き、
大変実りある大使官邸ライブで、今回の全スケジュールを終えました。

●7月18日
ポートモレスビーから成田まで約6時間半。
今回ご夫妻で参加されたS夫妻の奥様と帰りの飛行機の席が隣同士になり、
色々話しているうちに時間が過ぎ、
気がついたら成田まであと1時間ちょっとになってました。
お陰さまで長い機内の時間が有意義に、しかもあっという間に過ぎ去りました。?

この慰霊巡拝で出たアレルギーは正直きつかったですが、
医者から食べ物の症状ではなく薬疹ぽいと言われたこともあり、
アラワ”二日目から症状が出たことを思うと、
かつて銅山の鉱毒被害が多発した地域なので、
やはりその地域に残留している有毒物質が水や食物を通して体内に入って
アレルギー反応を起こしたのが原因かな?
と思えてきます。
長くなりましたが、こんなブーゲンビル島慰霊巡拝の旅でした。

パプアニューギニア地図:http://www.worldmapfinder.com/Map_Detail.php?MAP=21710&FN=map-full.gif&MW=1940&MH=1443&FS=564&FT=gif&WO=0&CE=6&CO=195&CI=0&IT=0&LC=3&PG=1&CS=iso-8859-1&FU=http://www.adb.org/papuanewguinea/img/map-full.gif&SU=http://www.adb.org/papuanewguinea/country-info.asp

※ブーゲンビル島は、間もなくパプアニューギニアから独立国家として独立する予定です。

WordPress Themes