明日31日は、銀座でイベントライブです。

さて、明日は、久々にソロライブを2時間ほどやりま~す。
本当、2時間まとまったライブをやるのはデビュー記念ライブ以来かな?
普段のブッキングライブと違い、
MCも時間を気にせずゆっくりしゃべれるので、
お越しいただく方に楽しんでいただけるように頑張りま~す!
セットリストは、まだこれから最終的な詰めの段階です。

返事待ちの後、来れなくなった方もいるので、
2枚ほどチケットが余っています。
今からでもお越し頂けそうな方がいましたらお声かけくださ~い。
では、明日!

●7月31日(土)
『結美堂”日本美人会”YAMATOライブ in 銀座 ~浴衣で楽しむ夏のひと時~
場  所:銀座『日比谷BAR WHISKY-S』http://r.gnavi.co.jp/g980900/
時  間:14:30~16:30
会  費:¥5,000(50席限定)

シベリア慰霊巡拝報告:後半

●7月24日
慰霊巡拝二日目。
・アルセニエフ朝の街並み
  

・市場の様子                              ・猿の腰掛も。
  

・この日の供花を購入
 

・アルセニエフ埋葬地

この埋葬地は、慰霊碑がありませんでした。
収容所が駅の近くだったようで、慰霊祭を行った石垣の前は線路です。

・埋葬地付近の民家。     ・埋葬地一帯。          ・慰霊祭を行った石垣と前の線路。
  

・ノボスイソエフカ墓地
※ ガイドが、連絡を取りながら調べたのですが、残念ながら、場所を特定できませんでした。

アルセニエフ~ウラジオストクへいっきに戻る大移動。
・こんな景色が続きます。
  

・途中トイレ休憩のレストラン  ・レストラン隣の民家       ・駐車場に現れた犬。
  

・また、こんな景色が続きます。
  

長時間の移動の末、いよいよウラジオストック市内へ。

・ウラジオストックの海     ・ウラジオストックの巨大煙突 ・ウラジオストックの街並み
   

・ウラジオストック海洋墓地  ・ロシアの慰霊碑        ・ロシア人の墓地
  

海洋墓地は、基本的のロシア人の戦没者の墓地で、
奥の方に入って行くと、日本人が購入したという場所に慰霊碑がありました。
 

・ウラジオストック海洋墓地慰霊碑

きれいに区画されたロシア人の墓地の奥に、
草が茂ってこんな感じで建っていました。

・病院の火事で亡くなったらしい女性たちの墓

ロシア人の墓石には、必ず故人の似顔絵が入っています。

この後、この日の慰霊日程を終えたので、
別料金を払ってウラジオストック市内を見学しました。

・モスクワの方はわかりませんが、
沿海地域は、9割9分と言っていいほど、日本車ばかりでした。
 

・ウラジオストック中心部
  

・ウラジオストック港を一望できる展望台から。
  
以前は、こんな写真撮影は絶対できなかったようです。

・ヴェニスホテル
最後は、空港内にある奇麗な三ツ星ホテルでした。
  
・目の前が空港
 

・9月25日
朝、空港から車で10分のところにあるライオン墓地へ。
最後の慰霊を終えて、14:30発ウラジオストック航空で帰国。
※ デジカメを忘れ、写真を撮り忘れましたが、
やはり、場所的にも空港から近いことから日本人墓参者も多いのでしょう。
最近献花されたばかりの供花があり、一番立派な慰霊碑でした。
ただ、逆に、目につくだけあって、
南方の慰霊碑にも落書きなどがありましたが、
反日感情を持つ人間の仕業でしょう。
何かで壊され欠けている個所が何カ所もありました。
杉村団長さんからは、
来年は自分の伯父が亡くなったチタ州に行こうと言って頂いています。
内陸部になるので、日程も、旅費も倍かかるようです。

・最後、成田空港で、今回の慰霊巡拝団5名と。

今回のシベリア慰霊巡拝を終え、
南方への慰霊巡拝の時でさえも、
戦勝国アメリカの管理人付き、大理石造りの立派な慰霊碑と
日本の戦友・遺族を中心とした民間の慰霊碑とのあまりのギャップを目の当たりにしましたが、
シベリアは、場所も広範囲で数も多いということもあるでしょうし、
戦没者ではなく抑留での死亡者ということもあり、
より目を向ける日本人が少ないのでしょうか?
更に、輪をかけてささやかな慰霊碑ばかりでした。

それと、大きな違いは、
南方では、住民が親日的なため、
通訳はじめ、各慰霊碑を管理してくれている村の代表などが、
一緒に慰霊祭に参加してくれるような流れが出来上がっていて、
慰霊巡拝と言う活動を通して友好関係が築かれている感じですが、
今回のロシアでの慰霊巡拝では、
日本留学経験のある通訳も、
慰霊の間は車で待機しているといった感じで、
完全に仕事として割り切っている感じで、
慰霊祭には一度も参加しませんでした。
元々、ロシアはロシア正教のキリスト教の信仰の土台があったはずなんでしょうが、
やはり、ソ連時代に崩壊してしまっているのでしょうかね。
団長も、多分信仰心がないんだろうからしょうがないと言っていました。
仕事としては、よくやってくれたと思うのですが、
日露友好の架け橋くらいの自覚をもってもらって、
個人的には、是非、慰霊祭に参加して欲しかったと思いました。
このあたりも、南方の慰霊巡拝とのギャップを感じました。
ただ、内陸部に行くとホテルなどがなく、
地元住民にお世話にならないといけないことが多いようで、
慰霊祭にも地域の代表が参加したりというのはあるようです。

今回は、自分の伯父が亡くなったチタ州へは、
3000キロも離れた地、沿海州での慰霊巡拝でしたが、
日本人である以上は、
戦後65年と言う節目に参加させて頂いたことは、
大変、意義のあることだったと思っています。
現在の日本の平和社会を手にするまでに、
このような計り知れない多くの犠牲があったことが忘れられないためにも、
自分なりに後世に向けて発信していかなければと思いました。

最後に、杉村団長はじめ、
慰霊団の皆様、大変お世話になりありがとうございました。

シベリア慰霊巡拝報告:前半

3泊4日のシベリア慰霊巡拝から無事に帰国しました。
今回は、少人数の参加者で、
と言うか、本来定員に満たず、
中止になるはずの予定の最後の慰霊巡拝コースが、
自分の問い合わせによってギリギリ復活したものでした。
昨年、「東京ヤゴダ会」主催の千鳥ヶ淵のシベリヤ抑留死亡者鎮魂祭でお世話になった
「東京ヤゴダ会」杉村事務局長さんを団長とした男性5名、添乗員1名のツアーでした。
杉村団長(抑留経験者)、松村氏(抑留経験者)、野口氏(元高校教諭)、
水野氏(会社経営)、YAMATO、小林氏(添乗員)
本当は、遺児にあたる女性がもう1名参加予定だったのですが、
直前になって、
親戚の不幸で参加できなくなってしまい、
初めてお父さんの慰霊に参加する予定だったようなので残念だったと思います。

●7月22日
15:50発のウラジオストク航空で2時間10分、
現地は、日本より2時間進んでいるので20:00ウラジオストク(アルチョム空港)着。

機長が先に降りることになているらしく、客は、待たされます。
空港で写真を撮ると止められました。
唯一の1枚。
以前は、ウラジオストクは軍港なので、
ウラジオストクの軍港付近で撮った写真は没収されたようです。
まだまだ、社会主義の名残が色濃く残っている感じです。
空港に着いた時に、
中国に似た印象を受けたのもそのあたりが影響しているんでしょうね。

1日目は、ウスリースクホテル宿泊。
空港から約80キロ移動。
ホテル隣接のレストランで初めてのロシア料理を食べました。
前情報の通り、まず、量が多いし、脂っこかったですね。

・レストラン

・ロシア人ガイドと運転手

最初に出てきた野菜の前菜だけで腹いっぱいに。(笑)

・スープ             ・少し油が混ざった白米。
 
魚が出たんですが、撮り忘れました。

・ウスリースクホテルロビー

・ホテル室内

さすがに、ソロモン諸島で宿泊する宿から比べたら格段良かったですが、
エアコンがないのでちょっと暑かったですね。
さすがに、ソロモン諸島にはありました。
夏が短いとは言え、
扇風機くらいは置いて欲しいなという感じでした。

・ホテル外観

●7月23日
慰霊巡拝、第1日目。
・最初に、慰霊祭用の供花購入。

・ウスリースク埋葬地慰霊碑

 
この慰霊碑は、山道を上がったような寂れた場所にあり、
道からも奥まったところにあったのでとても分かりづらく、
ドライバーがよく見つけてくれたという感じでしたが、
杉村団長は、英霊が呼んでくれたんだと言っていました。
本当、そんな寂しい場所にありました。

・ノボニコーリスク埋葬地慰霊碑

この慰霊碑周辺は、いかにもシベリアという大草原が広がっていました。
この後、一度ウスリースクに戻り、昼食後、94キロ移動し、レッチホフカへ。

・レッチホフカ埋葬地合同慰霊碑

この時は、近所に住んでいると思われる6歳の女の子がおばあちゃんとやって来て、
おばあちゃんは遠くから見ていましたが、
抑留経験者の松島さんがおばあちゃんの了解を得て、
女の子もずっと慰霊祭に参加し黙祷もしてくれていました。
ビデオにはおさめたのですが、写真を忘れました。
松島さんも、良い供養になったと言っていました。

・ボカルーチ会慰霊碑


この慰霊祭で【涙雨】を歌っているとき、
歌が聴こえたようで、後ろに見える宿舎からロシア人が何人か聴いていたようです。

・移動中は、こんな景色が続きます。
  
この後、50キロ余り移動し、アルセニエフへ。

・この日の宿近くの屋台。
カメラを向けたら、恥ずかしがって顔を隠した女の子。

・二日目の宿。(ドブラブシーカホテル)
  

・ホテルの食堂
 
この宿は、家族経営らしく、
経営者のおばちゃんが、滅茶苦茶愛想が良かった。(笑)
本来のロシア人は陽気だという真髄をみたような人でした。
ロシア人の中では、普段は、ツンとしているほうが賢く見えるという風潮があるようです。
長年の社会主義政権下の影響もあるんでしょう。

こんな感じで、第一日目の慰霊日程を終えました。

ウラジオストク周辺地図。
http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=43.133150&lon=131.930691&ei=UTF-8&type=scroll&mode=map&p=%E3%82%A6%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%AF&sc=15

さて、シベリアに行って来ます!

さて、今日からシベリアへの慰霊巡拝に行って来ます。
帰りは、25日です。
帰国後、様子を報告します!

昨日は、一日カンツォーネ三昧でした。

昨日は、先日参加した”佐波優子”さんの「祖父まご会」で歌に感動して頂き声をかけて頂いた、
「大東亜青年塾」のメンバーである森川氏からのお誘いで
日暮里にあるサニーホールで一日カンツォーネ三昧でした。
わけもわからず、誘われるがままに行って来ましたが、
言ってみれば、声楽家”工藤健詞”氏に師事する方々の発表会でした。
元々、誘って頂いた”森川”氏と同じ「大東亜青年塾」の”山田”氏が、
昨日のステージで出演した建築家”東直彦”氏と知り合いということで、
何人かが声をかけられて来ていた感じでした。
まさか、昼の部、夜の部まで2部制とは思ってもいなかったので、
同じつながりで来られていた方々は昼の部で帰りましたが、
夜の部に呼んでいる方で自分に紹介したい方がいるとのことで、
結局、夜の部までトータル6時間くらいカンツォーネを聴いたことになりますかね。
その日のシベリア行きの準備は諦めました。(笑)
おそらく、昼、夜で40人以上の出演者がいて、
その4分の3は音大を出ている方々らしいのですが、
やはり、基本的にはプロではない方がほとんどだと思うので、
色々なレベルの方がいた感じですね。
でも、代表の”工藤”氏は、さすがに圧巻でした。

”東”氏と、昼食、そして打ち上げとご一緒しましたが、
とてもユーモアのある面白い方でしたね。
最後、”東”氏と打ち上げをしている時に、
後から、出演者3人とそれぞれの方のお母さんご一行が同じ店に入って来て
最後に少し交流をし、記念撮影をして帰りました。

・写真は、出演者の松枝綾子さんと小林ひとみさん。
(お名前を聞きませんでしたが、プログラムを見ながら多分…。)

・向かって右から2番目が東直彦氏。

来る、9月26日の戸田市文化会館のイベントは、
多少違うかも知れませんが、
こういうステージに全然ジャンルが違う自分が登場する感じなんだろうな…と思いました。(笑)

笹幸恵さん主催の聴講会

去る17日土曜日、
同じ「全国ソロモン会」の理事をしているジャーナリスト”笹幸恵”さんが主催する
”Panda会”http://www.panda1945.net/の聴講会があり、
今回、タイミングがあったので初めて参加してきました。
講演テーマは、
「奇跡の生還~ガダルカナル島 一進一退の激戦を語る」 講師 山宮八州男先生
でした。

昨年、自分が慰霊巡拝に行って来たガダルカナル島に関する内容だったため、
地名なども知っているのでとても身近に感じながら聞きました。
生き残った者の使命として戦友の慰霊巡拝などの活動をされている方々からいつも感じるのは、
戦友への熱い思いと生あることへの感謝の気持ちのようなものなんですが、
やはり山宮氏からも同様に感じました。

何か、最近特に感じるようになって来たのですが、
日本人として臭いものに蓋をするではなく、
やはり歴史を学んでいくことは必要だなということです。
ただ、単に一遍通りの薄っぺらな平和、戦争反対論ではなく、
歴史を学び、真実を探りながら、
一人一人が深いところで平和というものを考えていくことから、
真の平和への一歩が始まるのではないかということです。
深く掘り下げてこそ、
平和の根底にある命の尊厳が重みを増してくるはずなんです。
そういう意味では、
現在の学校教育では、戦史などもさらっとしか触れませんから、
自分で調べ、考えるという行為が必要になってきますし、
一方的に与えられる情報を鵜呑みにするのではなく、
自分から情報を得て、自分の頭で考えるということがとても重要ですね。

”Panda会”では、「戦史検定」というものを考案して、
間もなく第一回戦史検定が行われるようです。
http://www.senshikentei.org/
ちなみに、この収益金で、
戦友の皆さんがどんどん少なくなっていく中、
朽ち果てて行っている国内外の慰霊碑の維持管理費に充当することを目的としているようです。
こういった戦没者の慰霊碑を後世がしっかり維持していくということ自体が、
また、重要な平和の礎の構築につながると思います。

聴講会後、会場での懇親会、そして2次会と参加者の皆さんと交流させて頂きましたが、
学研「歴史群像」の編集長さんがいたり、
とても良い刺激を受けた気がしました。
懇親会では、ギターを持って行って唄ってきましたが、
笹さんが、
「【ソロモン戦友讃歌】を唄っている時にOさんが号泣してましたよ。」
と言っていましたが、
戦史に関心を持っている方々には、
戦没者への並々ならぬ想いを持っている方が多いですね、本当…。

・聴講会の様子

・懇親会の様子

そう言えば、笹さん、間もなく新書を出版します。
『「白紙(しろがみ)召集」で散る――軍属たちのガダルカナル戦記』(新潮社)
自分のシベリアへの出発の日なので、
7月22日の出版記念パーティーには残念ながら参加できませんが、
発売、楽しみにしていま~す!

戸田市文化会館「LIVE ACT 21 in AUTMN」のチラシ

さて、来る9月21日に戸田市文化会館で開催される音楽イベント
「LIVE ACT 21 in AUTMUN」のチラシが完成しました。
自分以外はクラシックのアーティストをメインとしたステージになりますが、
多くの方に演奏を聴いて頂くためにチケットも格安になっています。
是非、お越しくださ~い!
チケットが自分の手元にもありますのでお声をかけてください。

●9月26日(日)
『LIVE ACT 21 in AUTMUN 』
場  所:戸田市文化会館http://www.todacity-ch.com/
時  間:開場13:30 / 開演14:00
チャージ:¥300(全席自由)

前日25日には、立川市民会館で開催される
「おとなバンドフェスティバル」にも出演することになっていますので、
そちらも詳細が決まりましたらお知らせしま~す!

【YAMATO】の旗を作ってみました。

これからイベントやライブなどで使えるように、
【YAMATO】の旗を作ってみました。
適当な布を買ってきて、アクリル絵具で【YAMATO】の文字を書きました。
黒地に白文字と、白地に黒文字の2種類ですが、
何かとっても書きにくく、
何度も重ね塗りしないといけないのであまりうまくいきませんでしたが…。

昨日は、大宮「愛の家」から五反田「たまり」へ。

昨日は、毎月通っている大宮指扇「愛の家」でのライブでした。
このところ、毎月、自分のファンの方も同行していて、
特に、この2ヶ月は、自分以外に歌わせて欲しいという方もいたりで、
4人の大所帯で訪問していましたが、
昨日は、たまたま、同行者が他にいなかったのですが、
漫画家の”川口仁”さんを連れて行って来ました。
日曜の【APIA】ライブの後、
先月から自分のライブに足を運んでくれるようになり、
かなりの頻度で会っている”てるやん”さんと家が近いこともあって一緒に車で帰り、
地元の飲食店で食事をしようということになったのですが、
ふと、”川口仁”さんを思いだし、
お誘いして、3人で夜中の3時まで食事をしながら語り合いました。
”川口仁”さんのお母さんは、もう15,6年前に亡くなられているのですが、
亡くなられる直前に危篤になり、
全く何もわからない状態だったのに、
約1年間、毎日に近いくらい漫画を書いたハガキを送り続けたそうで、
そのファイルに綴じたハガキを見せて頂きました。
ふと”てるやん”さんに”川口仁”さんを紹介したくなり食事に誘ったのですが、
実は、”てるやん”さんのお母さんも、今、滋賀の実家で病気を患っているらしく、
彼もとても気にかけているようなんです。、
”川口仁”さんの話から、いろんな気づきがあったらしく、
何と、次の日、滋賀の実家にいるとのメールがあり、
すごい行動力にびっくりしました。(笑)

そんなこともあり、
今回、そのハガキを持って行って利用者さんに見せてもらおうと
デイケアセンターのライブに誘って一緒に行ったのでした。
一度、都内にあるデイケアセンターにも同行したことがありましたが、
今回は、また良かったと言ってくれていました。
毎回、自分のライブを聴いているある女性利用者さんが、
「久しぶりにYAMATOさんの歌をたっぷり聴けたわ。」と言うので、
毎月来ているのに…と思いながらよく考えたら、
このところ2回は、途中でゲストを挟んでいたので、
1時間フルに一人で唄ったのは3か月ぶりだったことに気づきました。(笑)

ライブ後は、五反田「たまり」で、
今夏の「たまり」主催佐渡ツアーに参加する”S”チャンから打ち合わせをしたいとのお誘いがあり、
行って来ました。
前もって、女将が自分が来るというメールを流してくれていたので、
佐渡出身の画家”中川宇妻”さんも佐渡から帰ったばかりだったようですが駆けつけてくれ、
気が付いたら、火曜日ながら、お店は満席でしたね。
佐渡ツアーは、現時点で10人くらいの申し込みがあるようですが、
まだまだ、大丈夫ですのでお声をおかけください。
中には、常連さんで、
現在は、大学で教鞭を執られているようですが、
毎回、自分が「たまり」でライブをやる時には必ずお越し頂いていて、
昨夜、初めてお聞きしたのですが、
将来的には田舎へ行って晴耕雨読的な暮らしを考えているとのことで、
そのあたりを踏まえて、
お譲さんと一緒に今回の佐渡へ行ってみることにしたそうです。
今回、佐渡に興味を持ってもらえるとうれしいですね~。
さて、今月いっぱいで「たまり」の五反田での営業は終わりになるので、
是非、行ってみてくださ~い!

【あの頃、あの場所、あの友たち】の歌詞。

昨日は、目黒【APIA】でのライブでしたが、
”鍵盤奏者HAYATO”君は都合が悪く、
”masa”さんと二人での演奏でした。

■セットリスト
1:佐渡ヶ島
2:誓い
3:月
4:あの頃、あの場所、あの友たち
5:涙雨
6:平和の鐘
サポート・masa(ジェンベ)

ライブハウスのきちっとした音でのライブを聴くのは初めての方も
何人かお越し頂いていましたが、
また、次のライブに来たいとのお声を頂き、
良い印象を頂いたようで何よりでした。

そろそろ、夏の曲を織り交ぜる季節になったので、
久々に【あの頃、あの場所、あの友たち】を唄いました。
作ったのは、確か、24、5歳の時で、
当時は、十年一昔の歌詞で作りましたが、
今は、二十年一昔で唄ってもそれ以上の歳月が過ぎてしまいました。(笑)
今は、田舎に帰っても
当時のような幼馴染との交流がないのが寂しいのですが…。
歌詞を紹介します。

【あの頃、あの場所、あの友たち】
詞・曲/YAMATO 1991

1:真夏の夜の海辺で 俺は気の置けない仲間と
決まって五人集まり 焚火を囲みながら
慣れない酒ひっかけては 大人気分に浸り
人生なんてものを語り 夜を明かしてた

星は燦然と瞬き 寄せ返す波のB.G.M
他に演出なんかは 何一ついらなかった
佐渡ヶ島の片隅に 生まれ落ちた俺にとって
この上のない場所と 友たちがそこにあった

巡り巡る季節を必死に追いかけて
気が付けば二十年二昔が過ぎ去った
だけどあの頃、あの場所、あの友たちは
今も俺の心の中で脈打っているのさ

2:夜も更けてくる頃には 酔いも心地よく廻り果て
そこは気兼ねのいらない 俺たちだけの世界
屈託のない笑顔で 思い思いに打ち明けて
立ちはだかるものが 全て小さく見えた
ラジオから聴こえてくる 深夜放送のDJは
刹那的快楽ばかり 語り続けていたけど
俺たちは感づいてた 何かおかしいってことを
どこかが歪んでいる 世の中だってことを

巡り巡る季節を必死に追いかけて
気が付けば二十年二昔が過ぎ去った
だけどあの頃、あの場所、あの友たちは
今も俺の心の中で脈打っているのさ

3:月の傾いた夜空が 仄々と白み出したら
短い真夏の夜が 終わりを告げてゆくよ
俺たちは冷めやらない 情熱をぶら下げながら
夢心地のままで 家に帰って行った
それぞれの道を選んで 歩き続けている俺たち
二度と戻ることのない 日々たちがそこに眠る
だから俺は今でも 故郷に帰る度に
防波堤の上から あの頃を探すのさ

巡り巡る季節を必死に追いかけて
気が付けば二十年二昔が過ぎ去った
だけどあの頃、あの場所、あの友たちは
今も俺の心の中で脈打っているのさ

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