陸上自衛隊の『富士総合火力演習』を見学して来ました。

昨日は、『防人を励ます会』のメンバーになっている”久野”さんから
陸上自衛隊「富士総合火力演習」の招待チケットが2枚余っているとのお誘いで、
朝7:20の新宿発「あさぎり」に乗って御殿場まで行き、
陸上自衛隊の「富士総合火力演習」を見学して来ました。
早朝なのに、電車が満席だったのは、
やはり、今日の見学者がかなり乗っていたからのようでした。
当然、今までこういう機会はなく初めての体験でしたが、
やはり間近での実演は迫力がありましたね。
今日の見学は、招待客や自衛隊員が多い日らしく、
それでもかなりの人でしたが、
明日日曜は、一般客でもっとすごい混雑になるとのことでした。

戦車からの発砲。
http://www.youtube.com/watch?v=usq8ZN3UBTA

・左”岡本”さん、右”久野”さんと。

とにかく、一発一発弾を打つときの音と振動がすごくて、
座っている椅子まで響いてきます。
今回の見学を通して、
自分が関わっている関係上知り得た先の大戦中の戦闘と比べると様相が明らかに違い、
現代の進歩したハイテク武器による戦闘はこんなところまで来ているのかと驚かされました。
自衛隊の存在は、今回の東北地方の大震災で復興のために大変な貢献を果たして頂き、
日本国民にとっての関心の対象として、
これまで以上に理解を得られたのではないかと思います。
当然、世界から武器が無くなり、完全な平和世界が建設されることは理想ですが、
しかし、現実問題、国際情勢を踏まえれば現時点ではそれは大変難しいことで、
例え、平和だと言われる日本であっても、
100パーセント有事がないと言い切れるわけではないし、、
万が一有事の際には、自衛というかたちで命懸けで国家を国民を守るために
日夜訓練に励んで頂いているわけで、
我々は、日本という国家に生まれ暮らしている以上は、
やはり、普段から敬意を払う気持ちは必要だと思わされました。
『防人を励ます会』の皆様、貴重な体験を頂き、ありがとうございました!

さて、今日朝、知人と佐渡に向かいま〜す!
「小木祭り」でお会いしましょう〜!

●8月29日(月)
佐渡『小木港まつり』花火大会 YAMATOライブ
http://www.niigata-kankou.or.jp/sado/kyoukai/event/fB0008.html
場  所:小木港公園
時  間:17:30~
※2時間くらいステージ時間があるようですが、
平日なので、人の集まり具合を見ながらスタートしま〜す!
※20:00~花火大会です。

感動!親鳥の雛鳥への愛情(ニワトリ)

ブーゲンビル島ブインのナカロ村で撮影しました。
ニワトリの親子にパン屑をあげると、
親鳥は、一度口にして害がないかをチェックして地面に戻し、
それを雛鳥たちが食べていました。

Thumbnail

この様子を見ながら、人間でも親と思えない親が多くなっているのに…と、
親鳥の愛情に、皆さん一様に感心していました。

『戸田市文化会』館総合パンフレットでご紹介頂きます!

以前からお声かけを頂いていた
『戸田市文化会館』http://www.todacity-ch.com/の総合パンフレットで
ご紹介頂けることになりました。
震災の影響で中断されていたようなんですが、
9月に発行されることになったようで、
シリーズ⑨ 「街の芸術家 私と文化会館と」というコーナーでご紹介頂きます。

8月29日の「小木港祭り」には、港公園の花火大会前に港公園のステージで歌います。
佐渡の皆さん、是非、お越しくださ〜い!

ブーゲンビル島戦艦大和フォルム発掘の旅:報告:4(最終)

●8月3日(水)
ブイン最後の日。
本来、午前中に山本長官機が撃墜された現場まで行く予定でしたが、
朝、”小川”さんの足の状態が最悪で、
ヨタヨタと歩くのがやっとと言う感じでした。
山本長官機の場所まで、
平坦とは言え、車を降りてから40〜50分は歩かないといけないらしく、
この足の状態では到底無理だと言うことになり、中止することにしました。
でも、村人たちが我々が来ると思って待っているので、
途中まで彼らも来ているという情報が入り、
今後のためにも誠意をもって状況を説明しておいた方が良いだろうということになり、
40分ほどかけて”小川”さんと俺と添乗員の”新垣”さんで村人に会いに向かいました。
彼らにとっても、日本の慰霊団などが訪れると
見学料を徴収して現金が入る良い機会になるのですが、
今回、突然キャンセルし、不愉快に思ってないか心配だったのですが、
”小川”さんの痛々しい包帯姿を見て快く納得してくれ、
次回来たら、必ず見学に行くという約束をして、村人と握手をして別れました。

と言うことで、
宿に帰ってからは、近くのブイン海岸に再度行って、
海岸に設置された旧日本軍の砲台などを見学しました。

・旧日本軍のトーチカ。

・ブイン海岸で海に向かって設置された大砲。

現在「全国ソロモン会」の合同慰霊碑は、
ブカ島のすぐ傍のソハーノ島に移していますが、
旧「全国ソロモン会」の合同慰霊碑も訪れました。
すでに脱魂してしまっているそうです。

「全国ソロモン会」旧合同慰霊碑。

その後は、今回、歓迎協力頂いた観光局に表敬訪問。
フォルム発掘の件は、観光局の方でもは発見できるように協力するとのことでした。
やはり、ブーゲンビル島、ブイン地域は、
やっと治安が安定して、日本の慰霊団が訪れられるようになったので、
くれぐれも安全だということを日本に帰国した後、宣伝して欲しいと言っていました。

・観光局で次長の話を聞いているところ。

午後、お世話になった宿を出発。

その日は、再びアラワまで戻って一泊になりました。

・夕食の後の歓談。

この後、ドライバーの”ディスモンド”にギターの特訓を施しました。
2年前から俺の慰霊祭での歌を聴きながら、
ギターをやりたいと思っていたようで、
今回、俺のギターを買いたいと言って来ました。
じゃあプレゼントするよと言う話になったものの、
ただ、どうしてもパプアニューギニアのポートモレスビーに戻って、
連合国軍の墓地でも慰霊のために歌うシーンを映像に収めないといけなかったので、
すべての行程が終わってから
ポートモレスビーで添乗員の仕事をしている日本人の知り合い経由で本人に渡すことになりました。
もちろん、この時ギターを弾くのは初めてだったのですが、
センスが良いのでびっくりしましたね。
CDもあげたので、【男道】のコードを紙に書き出しての1時間余りの練習でした。

・俺のギターとCDをプレゼントしたドライバー”ディスモンド。

●8月4日(木)
朝、アラワを出発。
また、ここから悪路を車で5,6時間の移動が始まります。

・アラワの宿の前で。

宿を出てから、
アラワ市内でパンクしていた予備タイヤのチューブを換えに整備工場に寄って、
その後、出発して間もなくまたしてもパンク。

まだ、アラワからそれほど離れていなかったので、
あの悪路で、スペアのタイヤ無しでは走れないので、
タイヤを換えた後、すぐに同じ整備工場に戻ってパンクしたタイヤの修理をし、
再度出発しました。

行きのブインに向かう途中、
挨拶だけしに立ち寄った「マビリ教会」に立ち寄り、慰霊祭をしました。

・10年くらい「マビリ教会」で勤務したオーストラリア人のシスターも、
今年で交代して本国に帰国するそうです。

その後は、タイヤのパンクが原因で遅くなりましたが、
またテンブツという村に寄って昼食を摂りました。

・途中で出ていた虹。

・後ろのクリーム色の建物は、革命軍によって破壊された外資系ホテル跡。

・2年前より整備されてきれいになっていたキエタ湾付近。

途中、寄り道しながら無事にブカ島に到着しました。
まだ、時間的に早く、明るかったので、
零戦が沈んでいる海に行くことにしました。
2年前に自分も行ったのですが、
残念ながら船頭がよくなかったせいか、見つけられず空振りしたことがありました。
”小川”さん、俺に潜ろう潜ろうと言っていたのですが、
冗談かと思っていたら、今回最初から潜って零戦の写真を撮影するつもりでいたらしく、
しっかり、使い捨て水中カメラとゴーグルを持って来ていました。(笑)
無事、零戦が見つかり、二人で海に飛び込み、
最初”小川”さんが撮影していましたが、やはり疲れるので途中で俺に交代。
ゴーグルは借りましたが、
佐渡では、4、5時間休みなく平気で潜り続ける俺でも、
やっぱりシュノーケルや足ビレなどがないと、結構疲れて、
残りのフィルムがこんなにあるのかと言うくらい長く感じましたが、
途中で、”小川”さんが空気枕を投げてくれて楽になりました。

・この下に零戦が沈んでます。

・一人で船に上がれる力は残ってました。(笑)

その後は、そのままソハーノ島にある”吉田”さんのお父さんの慰霊碑に向かいました。

・ソハーノ島の子供たちが元気に戯れていました。

・”吉田”さんのお父さんの慰霊碑。

”吉田”さんのお父さんの慰霊を終えると、
再び、ブカ島に戻り、その日の宿に。
最初ブカ島に着いたときに、荷物だけ置いてブインに向かった宿ですが、
もともと、国立大学だった敷地で、
そこに国会議事堂や大統領官邸などがあります。

・食事も、元学生食堂で。

こうして、ブカ島まで無事に戻ってきました。

●8月5日(金)
朝、9:20のフライトでブーゲンビル島を後にして、
パプアニューギニアのポートモレスビーに戻りました。
ポートモレスビーでは、
NHKからも映像を頼まれていた「ボマナ国連軍墓地」に行って
慰霊のために【涙雨】を奉納しました。

・「ボマナ国連軍墓地」

その後は、国立植物園を簡単に見学してその日の宿に向かいました。
宿は、ロロアタと言う小さな島全体が宿になっている『ロロアタ・アイランド・リゾート』。
専用の連絡船に乗って宿に向かいます。
http://www.png-japan.co.jp/guide/hotels/loloataisland.html

島に着いて桟橋を歩いて行くと、野放しになったワラビーたちが迎えてくれました。

・たくさん野放しになっているワラビー。

・夕食前の歓談。

夕食の時には、現地の子供たちが、
伝統的な民族舞踊のショーを見せてくれました。
以前、ガダルカナル島のムンダで見たものは、
ハワイアンンを思わせる歌と踊りでしたが、
ここのものは、また全く違いましたね。

・最後の記念撮影。

こうして、今回の旅の最後の夜が終わりました。

●8月6日(土)
この『ロロアタ・アイランド・リゾート』の女性マネージャーが、
車で、我々の送り迎えをしてくれていたのですが、
「ボマナ連合国軍墓地」で歌うのを聴いてくれていたので、
CDをプレゼントすると大変喜んでくれて、
日本人もよくスキューバーダイビングなどで宿泊するので、
その時にはCDを流してくれると言っていました。

・宿を離れる前に桟橋で記念撮影。

この日、14:20にフライトで、無事日本に帰国しました。
これで、ガダルカナル島、ブーゲンビル島とも2度ずつ訪れたことになり、
自分のギターも、ガダルカナル島、ブーゲンビル島にそれぞれ1本ずつプレゼントしてきました。
なんだか、自分がいなくなった後も、
自分の分身が、それぞれの場所に残っている気がしていいですね。(笑)

ソロモン諸島方面の人々は、
かつて日本軍が戦地にして戦った歴史がありますが、
本当に世界の国々の中でも1,2位を争うような親日的な地域です。
自分もこれまで訪れてみて肌で感じています。
それは、戦時中、旧日本軍が、それまでの白人が彼らに対していた扱いとは違い、
生活に関わる様々なことを教えてあげながら同じ人間として対等に接していた背景があるそうです。
だから、我々が、慰霊巡拝や遺骨収容に行っても、
本当に協力的に友好的に温かく接してくれます。
戦後、戦友・遺族の慰霊巡拝団が、
また、友好的に色んな援助をしながら交流して来ていることも大変大きいと思います。
”小川”さん、”吉田”さんと自分は「全国ソロモン会」のメンバーですが、
今回出発前に、戦友である安田会長さんは、会計の”吉田”さんに対して、
「会のお金を10万円くらい使って来なさい」と言ったそうです。
”吉田”さんは「そんなに使えません」と答えたそうですが、
当然、現地で10万円と言えばかなりの金額。
ただ、この会長の言葉の裏には、
現地にお金を落としてあげたいという
戦友の方ならではの現地の皆さんへの心配りがあることを感じました。
かつて、戦地となったことで現地の皆さんに迷惑をかけたという思いもあるでしょうし、
亡くなった戦友たちの遺骨収容や慰霊団を快く迎えてくれていることに対する感謝の思いもあるでしょう。
これまでのこういった長年の積み重ねで、
今日の日本とソロモン諸島方面の友好関係が築かれてきたことを改めて感じています。
自分も”小川”さんも、遺族として直接的に「全国ソロモン会」に関係のある人間ではないのですが、
たまたま、知人”吉田”さんとのご縁があって会員になったものの、
戦友の方々との交流、そして貴重な現地訪問を経験しながら、
多くのことを深く学ばされていることを感じ、改めて感謝しています。

さて、今回の模様は、自分がカメラを回してきましたが、
1時間テープ10本分になりました。
NHKの国際放送の方で、今週中に編集して、
その後、海外向けニュースとしてオンエアするとの連絡がありました。
海外向けなので、日本国内ではすぐに見れませんが、
ウェブサイトの方では見れるようになると思うと言っていましたので、
その時には、またお知らせしま〜す!

長くなりましたが、ブーゲンビル島の旅の報告はこれで終わりです。

ブーゲンビル島戦艦大和フォルム発掘の旅:報告:3

さて、ブーゲンビル島の報告の続きです。

●8月1日(月)
捜索最終日。

・発見される前兆か….、早朝、虹が架かりました。

・毎朝やって来るサイチョウと虹。

前日、”小川”隊長が、ビッグマン(酋長)にフィルム発掘の協力を正式に依頼したので、
この日は、何か皆さん気楽な感じで、とりあえずの調査という感じで捜索に出かけました。
実は、前日歩いたルートに気になった場所があったので、
そこを掘ってみようかという話になっていたのですが、
ビッグマン(酋長)が、この日は、また少し違うルートを歩いてみようということになり、
従うことにしました。

・ジャングルに向かう戦友”松下”さんと”吉田”さん。

前日のような湿地がほとんど無かったので、随分と歩きやすいルートでした。
歩いても歩いても、
やはり、なかなか小高い丘と言えるような場所は見つかりません。

・途中休憩。

村人は、とても気が付く思いやりの深い人たちで、
休息の時には、必ず大きなバナナの葉を切って敷いてくれます。
そして、よく働きます。

この日は、最終的に日本軍が駐留した跡が残る場所に辿り着きました。
70年近く前の日本軍のジャングルでの生活の跡がそのまま残っていると言うのが、
何か不思議な感覚でした。
この場所で、終戦を迎えた人もいたのでしょうか…?

・旧日本軍の駐留跡で。

・散乱するガラス瓶。

・中には、キリンビールの文字が入ったビール瓶も。

・「SHOFU FILTER」の文字。

・調理に使っていたドラム缶でしょうか。

こういった日本軍の生活の跡がしっかり残る場所で、
しかも、倒れた巨木があり、
近くを流れる小さな川を基準にすれば、小高いとも言えなくはないとのことで、
取り合えずここで簡単に掘ってみることにしました。
”小川”さんは、巨木の上に上がって、
”早川”氏が刻んだという住所、名前がないか、
堆積した泥とコケを取り去りながらチェックしていました。

・倒れていた巨木。

・スコップで掘っているところ。

結局、この一カ所だけを簡単に掘ってみて、
今回のフィルム捜索を終えることになりました。

・日本軍の駐留跡地で、捜索隊とナカロ村の村人で記念撮影。

この後、またジャングルを歩いて村まで戻りましたが、
とりあえず、ジャングルから車道に出て、路肩で一休み。
その間に、添乗員の”新垣”さんとドライバーが車を村まで取りに行ってくれたのですが、
すぐ来ると思っていたのに待てど暮らせど戻って来ず、
1時間半くらいしてやっと車で迎えに来ました。
よくよく聞くと、村までもっと近い場所だと勘違いしていたらしく、
村まで歩くだけで1時間以上かかったとのこと。(笑)

”新垣”さんが、村まで歩いている途中、
3派あったブーゲンビル革命軍のうちの1派のリーダーだった人物と出会ったと言っていましたが、
以前とは違って、随分穏やかな顔に戻っていたそうです。
パプアニューギニア政府と革命軍が対立していた頃は大変だったようで、
きれいな外資系ホテルが焼打ちに合ったり、
革命軍が、飛行機が離着陸できないように空港の滑走路を掘り返したり、
送電線を倒したり、
今も、至る所に傷跡が残っているわけですが、
ブーゲンビル島内で虐殺された人たちも数万人に上るようです。
このような悲惨な時期を経て、間もなくブーゲンビル島が国として独立することになります。

村に戻ると、
この数日の村人の協力に感謝して、
ナカロ村との友好のためにライブをしました。

・ビッグマン(酋長)の可愛い末娘。

・村人と最後の記念撮影。

やっぱり言葉は違っても音楽は世界共通。
大人も子供も喜んでくれました。

・この日の宿の夕食の魚。

我々のブインでの捜索に同行してくれている
観光局の職員”ローレンス”とドライバーの”ディスモンド”は、
宿に帰るとすぐ、デジカメで撮影した画像と俺のCDの音源をパソコンに取り込んで、
フォトスライドショーを作っていました。

・フォトスライドショー制作中。

・宿からの夕焼け。

発掘最終日も、結局フィルムは発見できず終わりました。

●8月2日(火)
本来、この日は、ブインで撃墜された山本長官機のところに行く予定だったのですが、
途中まで行くと、ドライバー”ディスモンド”の親戚から
長官機の墜ちている村で少しゴタゴタがあるので翌日の方が良いという情報が入り、
この日は、中止。
一度宿に帰ってどうしようかと言うところで、
”小川”さんが、ブインで果たしたかった目的のもう一つにブイン山に登ることがあったのですが、
ブインに来て早々、近くの集落の人にブイン山の状況を尋ねると、
現地の人も、今はあまり登らないので止めた方が良いと言われ、一度断念していました。
ところがこの日、”小川”さんが「一人でも登ろうかな…」と言い出しました。
ブイン山と言う山は、確かな標高はわからないのですが、
おそらくあってもせいぜい200メートルほどではないかと思います。
戦時中旧日本軍が、
連合国軍がブイン海岸に攻めてくるだろうという推測から
ブイン山山頂を迎え撃つための攻撃拠点にしていたのでした。
実は、”小川”さんがブイン山にこだわる理由は、
4年前にTBSが戦艦大和のフィルム発掘を取材した時に、
愛知県の”片山”さんという戦友の方から
自宅に持っている馬の尻尾の毛で作られた戦艦大和の大きな艦旗を見せてもらったことがあり、
実は、その”片山”さんが、戦前最後にそのブイン山で戦っていたとのことで、
山頂の写真を撮って来てほしいと頼まれていたからでした。
”片山”さんには、
「現地の人も今あまり登らないので止めた方が良いと言われて登れなかった」
と言えば済んだと思うのですが、
”小川”さんは、友人”早川”さんの遺志を継いで戦艦大和のフィルム捜索に乗り出した方ですから、
何とかして”片山”さんの思いに応えたいと言う方向に気持ちが働いたのと、
やはり、撮影したいというプロカメラマンの性もあったんでしょう。

”小川”さんが登るなら俺も登ってカメラを回すと伝えると、
結局、有志の”小川”さん、”吉田”さん、慎重だった添乗員”新垣”さんと俺の4人で登ることに。
ところが、この辺りからというところで登り出して間もなく、
草が茂っていてどうも思うように前に進めず、
すぐに、山を熟知している地元の住人に同行してもらおうと呼びに行くと、
村の婦人が来てくれて道案内をしてくれることになりました。
婦人は、我々が行こうとしていた道ではないところから進んで行き、
そうすると思いの外、途中からはほとんど草もなくしっかりとした山道がついていました。
低い山とは言え、
山道が緩やかに蛇行してつけられているのではなく、
ほぼ、真っ直ぐ山頂に向かってつけられていたので、
傾斜が20~30度くらいあったのと、
途中、あきらかに酸素が薄くなったと感じる地点もあり、
これが、かなりきつい登山になりました。

・途中休息中。

俺は、一生懸命カメラを回していましたが、
皆さん、途中何度も休みながら、結局1時間半くらいかかって山頂に到着しました。
しかし、村の婦人はお伴の犬二匹を従えながら、
途中”吉田”さんに手を貸して引っ張ってあげる余裕もみせながら、
何のことは無くスイスイ登っていました。
”小川”さんも、かなり大変だった感じですが、
山頂に着くと、”片山”さんとの約束を果たせたと達成感に満ちていました。

・功労者の村の婦人。

・達成感に浸る4人。

・敵艦までの距離を測る装置らしい…。

戦闘機からの弾が垂直に当たると、これだけの鉄も貫通してしまうんですね…。

帰りは、40分くらいかけて下って来ましたが、
帰りは帰りで足に負担がかかって大変なんですよね。
”吉田”さんは、柔らかい地下足袋だったせいか、爪が一つ死んでしまったようです。

・お伴の犬たちも一休み。

皆さん、ヘトヘトでしたが、
途中、ブイン山の麓から少し登ったところで
脇道に逸れて歩いて行った高台にある慰霊碑にお参りして下山しました。

・「日本将兵之碑」と書いてあります。

下山して村に着くと、子犬がお供してくれた母犬を待っていました。

・お疲れ様!

実は、登山があんなに大変になると思っておらず、
皆さん、飲み物を持って行かなかったので、
下山後のコーラは美味かった~!

・一働きしてきた婦人を待っていた家族。

・皆で記念撮影。(後ろがブイン山)

しかし、ドライバーの”ディスモンド”や観光局の巨漢”ローレンス”などは、
ジャングルでのフィルム捜索はもちろん、
わざわざこんな大変な登山まで終始同行してくれたのでした。
彼らの誠意がとてもうれしくなりましたね。

戦艦大和のフィルムは発掘できなかったものの、
今回の目的の一つは達成でき、達成感のある一日となりました。
しかし、宿に帰ってから、
”小川”さんは、両足の腿、ふくらはぎから始まり、
背中の筋肉までがほぼ全身筋肉痙攣を起こし、
痛みで絶叫するのを、皆が、両手で筋肉に圧をかけて治まるのを待つという状態になりました。
”吉田”さんも、”小川”さんが落ち着くとさすがに疲れたようで、
その後は、俺が全身マッサージをしてあげました。
いや~、本当にお疲れ様の一日でした。

土、日曜日は…。

土曜日、久々にタイミングが合ったので、
佐渡高校後輩の女将がやっている
浅草の居酒屋『だっちゃ』の毎月第三土曜日「佐渡の日」に行って来ました。
5月に「東京相川会」参加者の二次会で行って以来でした。
佐渡出身者が、所狭しと参加する時もあるようですが、
今回は、佐渡に縁のある人ない人とこじんまりと交流して来ました。

様子は、『だっちゃ』のブログにアップされてます。
http://saya-daccha.cocolog-nifty.com/blog/

そして、昨夜は、銀座『Miiya Cafe』での定期ライブでした。
夏ということもあり、
夏をテーマにした曲とファンの方からのリクエストを織り交ぜて唄いました。

■セットリスト
1:佐渡ヶ島
2:真夏の太陽を抱きしめて
3:満天の星の下で(リクエスト)
4:月
5:涙雨
6:男道
7:追憶の故郷(リクエスト)


撮影:近藤てるやん

お越し頂いた皆様、ありがとうございました!

明日21日は、『Miiya Cafe』ライブです。

●8月21日(日)
YAMATO 定期ライブ
場  所:銀座【Miiya Cafe】http://www.miiya-cafe.com/
時  間:21:15~(全体19:00スタート)
チャージ:前売り¥2000 +1Drink

ご都合がつきましたら、お越しくださ~い!

★自分を取材頂いたNHKの番組はこちらで観れます!
http://www.nhk.or.jp/saitama/wagamachi/index.html

今回の取材のテーマは、「鎮魂歌を唄う 戦争を知らない世代」でした。
番組では、自分の【涙雨】という曲を中心に取り上げて頂いていますが、
【涙雨】のPVは、仕事でイベントのライブ映像を撮影していた
”佐久間孝”監督http://asamesi.com/さんが、
【涙雨】を聴いて大変感動して制作頂いたPVです。

 ■ 2010.11.5全国リリース【涙雨】( PV・ショートバージョン)

※この【涙雨】の音源は、仮音源です。
※正式なフルバージョンは、itunesからダウンロードできます。

ブーゲンビル島戦艦大和フォルム発掘の旅:報告:2

さて、久々にブーゲンビル島の報告の続きをアップします。

●7月30日(土)
この日は、いよいよフィルム発掘調査の第一日目。
まずは、拠点になるナカロ村に行って挨拶。
この日、酋長は買い物に行っているとのことで留守でした。

・ナカロ村の子どもたち。

ナカロ村を拠点にジャングルに入って行きますが、
まずは、4年前TBSで放送された時に、
金属探知機を使って捜索した場所に行ってみました。
かなり深く掘ったらしい穴が、4年でこんな変わるのかというくらい埋まってしまっていました。

その後、戦闘機が墜落している場所があるとの村人の勧めで行ってみました。
日章旗の跡がはっきりあったので、日本軍のものですね。

・かなりしっかり残っていました。

・機体ナンバーがはっきり残っています。

・プロペラと。

一度村に戻り、昼食を摂った後は、
今回調査するジャングルの入り口あたりにある日本軍が切り開いた畑に行き、
翌日から本格的にジャングルに分け入る方角などを確認して終わりました。

・シェルの首飾りを付けた村の赤ちゃん。

・YAMATOステッカーがかなり気に入ったようで放さない男の子。

この日は、簡単な確認程度の調査で終わりました。

●7月31日(日)
朝から天候はバッチリ!

ナカロ村に行くと、
前日いなかったビッグマン(酋長)がいて改めて挨拶をし、
酋長も一緒にジャングルに同行することになりました。

・ビッグマンにもサインしてもらった捜索隊の旗を掲げていざ出陣!

・ジャングルに入る直前の”小川”隊長と同行の村人。

・日本軍の軍刀を持っていた村の青年。

自分以外は、一番若くて66歳、最高齢は戦友の方で85歳。
さすがに湿地帯のジャングルを歩くのはかなりきつく、
小さな川や湿地帯の水たまりも多く、
その度に現地の村人が背負って渡してくれました。
85歳の戦友”松下”さんと三重から来た70歳の”花井”さんは途中でギブアップ。
現地の村人に背負われて先に村に帰りました。
首に巻いているタオルを絞ると、
まるで濡れぞうきんでも絞るように汗がが出て来ます。

・休息中の皆さん。

お二人が脱落した後は、
”小川”隊長69歳、”吉田”婦人72歳、”新垣”さん66歳で捜索続行。
途中、日本軍の豪があり、高射砲もありました。

・大分土に埋まってしまった高射砲。

ところが、次に”小川”隊長の体がかなりきつくなりだし、
紐で体を縛って村の少年に引っ張ってもらうという手段に出ました。
それでも、最後は完全に歩けなくなり、
村人に背負ってもらってジャングルを出ることになりました。

この日、トータル4時間半ジャングルを歩き続けたことになりますが、
結局、探している小高い丘らしきものは全く見当たらず、
空振りに終わってしまいました。
この日で、隊長はじめ皆さんが、
ジャングルを足で捜索することの体力的限界を感じたのだと思いますが、
ナカロ村の村人に大体埋まっていると思われる地理的なものを説明して、
帰国後は、村人に継続捜索をしてもらうということでまとまりました。
そのあたりをビッグマンに説明して、
何だか、隊長も肩の荷が下りたという感じになりましたね。

夜は、ビッグマンと食事をして、食事の後は、俺のライブを敢行。
皆さん、大変喜んで盛り上がりました。

・特に喜んでくれたビッグマン(酋長)。

こうして、疲れ果てた本捜索の一日が終わりました。

NHK「首都圏ネットワーク」観れます!

自分も知りませんでしたが、
昨日の夕方、首都圏に続き、「NHK新潟」でも自分の番組がオンエアされたそうです。
NHKの担当記者も知らないくらいだったので告知できず残念でしたが、
自分の親も含め、偶然観たという声を何人かから頂きました。
番組内のナレーションで、佐渡出身と言っているわけでもないので、
単に、この時期の番組として良かったのでオンエアされたのではないか?とのことでした。

番組を観れなかった方もいると思いますが、
「NHKさいたま」のサイトで期間限定で観れるようになっています。
こちらからどうぞ!
http://www.nhk.or.jp/saitama/wagamachi/index.html

NHK「首都圏ネットワーク」、無事オンエアされました!

NHK「首都圏ネットワーク」でオンエアされた番組、
佐渡に帰省していたため、
残念ながら自分ではタイムリーに観れなかったのですが、
番組自体、ニューズ枠で細かい番組がいくつもある構成の中、
新聞やテレビ番組欄で「鎮魂歌を唄う 戦争を知らない世代」というタイトルで、
自分の番組がメインで紹介されて、
多くの方々から感動のお声を頂いています。
結構、ライブ中のお客さんの表情が映っていたため、
ファンの方のお友達や親族などが偶然テレビを観ていて
驚いて連絡があったと言う方が何人もいました。
あの時間帯、NHKは10パーセントくらいの視聴率があるようですので、
やはり、観ている方が多いことがよくわかりました。
昨夜、早速お世話になった「NHKさいたま」の”中西”記者とお会いし、
皆さんからのお声を伝えさせて頂きました。
うれしかったのは、取材を通して自分の歌のファンになって頂いたようで、
「自分にもっと力があれば、YAMATOさんをNHKの歌番組に出演させたいんですけどね」
11月4日の文京シビックホールでのライブには、仕事抜きにプライベートで聴きに行きます」
と言って、
後輩記者達にも一緒に行こうと声をかけてくれていました。
本当、素晴らしい出会いをさせて頂いたことに感謝です。

さて、最近の動きを画像を交えてアップします。
12~14日まで佐渡に帰省して来ました。
音楽活動を始めてから、
近年では、こんなに短い帰省はなかったと言うくらい短い帰省でしたが、
13日は、毎年恒例、
地元「高千芸能祭」http://blog.goo.ne.jp/takachi_geinousai/で唄って来ました。
まあ、そのためにバタバタのスケジュールの中、何とか帰省したという感じでした。
ステージ時間は短いので、
いつものように3曲だけ唄いました。

■セットリスト
1:佐渡ヶ島、2:涙雨、3:男道

この度の県議選でトップ当選された佐渡高校の先輩”佐藤”氏と。

最近熱烈に応援頂いている佐和田「シャトル」のママさんと息子さん、お孫さんたち。
上のお孫さんが、お花とファンレターを用意してくれていました。

12日に佐渡に渡る時、
首都圏で『感声アイモ』というNPO法人で、
発声法によって障害児の障害を改善させる活動され活躍されている
”木村”理事長さんと”菅原”さんにフェリーでお会いし、
「高千芸能祭」のことを話すと当日わざわざ来てくれて、
終わると大変感動してくれていました。
自分の歌も久々に聴いて頂き、
発声法のプロとして大変厳しい耳を持っているのですが
昔ながらの日本の伝統的な発声法と最近の歌の唄い方がうまくミックスしていてすごく良かったと、
大変評価して頂きました。

・”木村”さんと。

今回は、来ている知り合や同級生などが少なかった感じですが、
また、新たにファンになって頂いた方も。

・実行委員長”斉藤”さんと。

今年で、9回目でしたが、
地元に残っている若者たちが力を合わせて地域活性のために頑張っているのがわかり、
改めて俺ももっと頑張るぞ!と思って帰って来ました。

14日に佐渡から帰ると、
15日は、2~3月にかけて厚労省派遣の遺骨収容に参加したため、
内閣総理大臣名義で案内が来ていた武道館の「全国戦没者追悼式」に参列しました。
天皇皇后両陛下も参列されるため、
周辺道路からかなり物々しい警察の警備が印象的でした。

・いつも終戦記念日には、テレビで見ていた光景。

サポートの”HAYATO”君の夢が、
自分のサポートでも良いので武道館でライブをすることなのですが、
しっかりイメージを焼き付けて来ました。(笑)

そして、同日17:00からは、
「大東亜青年塾」の関東支部総会で、
先日行って来た「戦艦大和」のフィルム発掘の報告をして欲しいと頼まれていたため、
”森川”氏からご招待頂いて参加して来ました。
最初は、軍事評論家”高井”氏による講演で、その後は懇親会でした。
元々、今回、高千穂幼稚園の名誉顧問である”久野登久子”女史が唄われる予定だったので、
自分は、先日行って来た「戦艦大和」のフィルム捜索の報告だけするつもりだったのですが、
結局、3曲だけ唄いました。

■セットリスト
1:涙雨、2:月、3男道

・”森川”氏が作ってくれた『男道』の旗をバックに報告。

・”久野”女史のステージ。

そして、今日16日は、
3年前から浅草「寿仙院」で行われるようになった
「全国ソロモン会」戦没者法要でのライブをして来ました。

・浅草「寿仙院」http://www.jusenin.com/index.html

終戦記念日と言っても、
つい4年前までは、全くの他人ごとだった自分が、
ここ3年間、毎年、戦没者の追悼に関わるようになった意識の変化に改めて驚いています。

同じ「全国ソロモン会」メンバーで寿仙院住職”崎津”氏は、
戦時中日本軍によってガダルカナル島のジャングルに作られた丸山道での遺骨収容のため
調査等の準備して来ていましたが、
いよいよ8月20日~自主派遣で本格的な第一回遺骨収容に向かうそうです。
ジャングルでの野営もするそうですが、成功を祈願します。

ブーゲンビル島の「戦艦大和」のフィルム発掘の報告が中断していましたが、
また、続きをアップしていきます。

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