ブーゲンビル島戦艦大和フォルム発掘の旅:報告1

さて、今回のブーゲンビル島戦艦大和フィルム発掘の旅の報告を
何回かに分けてしていきたいと思います。

●7月27日(水)
21:25成田発のニューギニア航空にてポートモレスビーへ。

・今回の発掘隊メンバーと見送りに来てくれた「全国ソロモン会」崎津氏(右)。

●7月28日(木)
5;00ポートモレスビー着。
今回は、2年前のようにポートモレスビの空港で7,8時間待って
直接ブーゲンビルのブカ島に行く国内線コースとは違うラバウル経由のコースだったので、
空港で1時間半ほどの乗継時間があっただけで、
待ち時間が大幅に短縮され、それだけで随分楽でした。

6:20ポートモレスビー発、8:10ブカ島(ブーゲンビル)着。
ブインまでの車での移動に備え、
荷物を軽くするために帰りに宿泊するブカ島の宿で必要なものをビニール製のバッグに詰め替え
スーツケースは宿に置くことに。
帰りの宿がある敷地は、
元々は国立大学の敷地だったようですが、
間もなくブーゲンビル島がパプアニューギニアから独立するため、
現在は、大学の建物が国会議事堂になっていました。
大統領がいたら面会予定だったのですが、
不在だったため、議事堂の内部を見学させてもらって来ました。
ちなみに、我々が宿泊する宿のすぐ裏が大統領官邸でした。

・国会議事堂。

・議事堂内。

この後、ブカ島からボニスまで船外機付きの船で移動(約5分)。

・2年前と変わらない船乗り場の海。

・ブカ島~ボニス間を往来している船。

・ブカ島の船乗り場からソハーノ島「全国ソロモン会」慰霊碑を望む。

ボニスからは、途中アラワで一泊しますが、
ブインまでの地獄のような長い悪路を四駆車での大移動が始まります。
当初、一台に人と荷物を載せて行く予定だったのですが、
さすがにかなりスペース的に厳しい状態だったので、
急遽、荷物用にもう一台車を頼み、2台での移動になりました。

まずは、1時間移動して、
2年前と同じテンブツと言う村で昼食。
その後、更に3時間ほど移動して、
やはり2年前に慰霊祭を行った日本軍戦没者の慰霊碑建てているマビリ教会を訪問。
帰りに慰霊祭をすることにして、
シスターに挨拶だけしに立ち寄りました。
その後、更に2時間近く移動し、宿泊地のアラワの宿へ。

アラワは、かつて銅山で反映した地域なのですが、
地域住民に鉱毒による深刻な被害が多発し、
また、銅山の利権が絡んでニューギニア政府に対する反発から動乱が起きた地域です。
2年前に来た時と同じ宿で、その時二泊したんですが、
一泊した翌日夜、蕁麻疹のようなものが出てきて、
その後、今まで経験したことのないような全身腫れ上がるような酷い症状になり、
日本に帰国してからも1週間苦しみ、
病院で薬疹みたいな症状だと言われた経験があったのでちょっと心配でした。
鉱毒被害が深刻になった地域という事で、
飲食物にそういった成分が混じっていて反応したのかな?とも思いましたが、
食べず飲まずともいかないので、
他に思い当る事と言うと、
現地の人が普段よく食べる生の落花生を宿でかなりたくさん食べたので、
それを食べないようにしました。
やはり、それが原因だったんでしょうか、
今回はお陰様で特に症状も出ず大丈夫でした。
それにしても、日本を出て横になることなく飛行機でトータル10時間、
その後、車の移動が5、6時間。
最高齢85歳、その他70歳前後の皆さんにとっては、
ものすごくハードな移動となりました。
さすがに皆さん疲れた感じで、
やっとベッドで寝れるといった感じだったと思います。

●7月29日(金)
朝アラワを出発し、ブインへ向かいました。
2年前に来た時には、
反政府革命軍が活動していて危険だという事で、
アラワの少し先のキエタで慰霊をして引き返しました。
実際、その2年前に慰霊団が銃をもった革命軍に途中で車を止められ、
高い通行料を要求され皆さん怖い思いをした経緯があるようです。
という事で、ブインへは、自分にとって今回が初めての訪問になります。

2年前も、1台の車で2度もパンクしましたが、
ものすごい悪路を80キロ前後で飛ばすのと、
目がすり減ったタイヤをとことん使うので、
今回も、2台がそれぞれ一回ずつパンクしてしまいました。
慣れたもので、あっという間に交換タイヤに換えてしまいます。

・パンク修理中。

・ここまで使い込みます。

途中、三太郎峠と呼ばれる峠から
今回のブイン訪問で登る予定にしているブイン山を望んで。

・右がブイン山。

昼過ぎにブインに到着。
宿に荷物を置いて、
午後からブイン海岸に行って桟橋で慰霊祭を行い、
【涙雨】を奉納しました。

・ブインのゲストハウス。

・部屋。

・食事はこんな感じです。

・気が利いて滅茶苦茶明るい宿の女将。

今回のドライバーの”ディスモンド”は、
俺はすっかり忘れていたのですが、
2年前に慰霊団で来た時に俺から名刺をもらっていて、
俺のことをしっかり覚えていてくれて、
財布から俺の名刺を出して見せてくれました。

・ドライバーの”ディスモンド”。

・宿のガードマン(左)と”ディスモンド”の車のアシスタント”ケビン”。

この日は、俺もすっかり忘れていましたが、誕生日でした。
日本にいても結構忘れてることが多いんですけどね。(笑)

今日は、ここまでで。

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