シベリア慰霊墓参のフォトスライドショーを作ってみました。

昨年夏、7月22〜25日までの3泊4日の行程で
シベリア沿海地域へのシベリア抑留死亡者慰霊墓参に参加しました。
4年前までは、戦史に関心を示す人間ではなかったわけですが、
南方での遺骨収容のドキュメンタリー番組がきっかけで【涙雨】と言う鎮魂歌を作り、
それがご縁で、2009年に南方ガダルカナル島やブーゲンビル島に
戦友、遺族の皆さんと一緒に慰霊巡拝に行かせて頂き、
慰霊祭で【涙雨】を奉納させて頂きました。
現地では、ガダルカナル島でもブーゲンビル島でも、
やはり皆さんが言うところの”涙雨”を体験し、
自分が参加することの意義に対して半信半疑だったにも関わらず、
現地で慰霊することの重みを痛感しました。

実は、自分の母方の伯父が二人、シベリア抑留を経験して、
二人とも母親と15歳以上離れているのですが、
上の伯父は生還し、現在も88歳で健在、
ところが、下の伯父”平腰武司”は、
抑留中の木の伐採作業中に倒れた木の下敷きになり死亡しました。
母親とも年が離れていて、
母親が物心ついたときにはすでに亡くなっていたこともあり、
伯父の話が出ることもほとんどなく、
やっとシベリアで亡くなった状況など詳しいことを知ったのは
自分が2009年に南方の慰霊巡拝に参加した後、
伯父”平腰武司”に関心を示すようになってからでした。
南方での体験がきっかけで現地で慰霊することの重みを実感し、
無性にシベリアの伯父の慰霊に行きたいと強く思うようになり、
ネットでシベリア抑留関連の情報を検索すると、
”村山常雄”さんと言う方が作られたシベリア抑留死亡者リストと言うリストがアップされていて、
そこに、伯父”平腰武司”の死亡情報が記載されていました。
1947年5月16日チタ州ベルフナリムで亡くなっていることが判明し、
健在の伯父も、”チタ”で亡くなったらしいと言うことしか知らなかったので本当に感動しました。
そして、やはりネットから『東京ヤゴダ会』という抑留経験者の会があることを知り、
【涙雨】は、南方だけではなく、
シベリアでも慰霊に行った皆さんが体験されているそうで、
その年、2009年11月3日千鳥ケ淵墓苑での鎮魂慰霊祭で【涙雨】を奉納させて頂きました。

そして、昨年2010年、戦後65年と言う節目でもあったので
シベリアへの慰霊墓参を実現したいと言う自分の想いに対して、
『東京ヤゴダ会』の杉村事務局長さんから、
伯父がなくなったチタの方の慰霊墓参ではないが、
シベリア沿海地域の慰霊墓参には、
何とか最低人員を5名を集めれば駆け込みで実現できると言うお話を頂きました。
とにかく自分は【涙雨】と言う歌を作って歌っている時点で、
ある意味公の立場で慰霊に関わらなければならないと思っていたので、
シベリアなら何処の地域でもまずは行きたいと言う返事をし、
83歳の年齢で、2ヶ月前に手術をされたお体ながら杉村事務局長さん自らが団長となり、
自分の他4名を集めていただき、
(財)強制抑留者協会主催のシベリア沿海地域の墓参の旅が実現しました。
ご自身の体以上に、
シベリアへ慰霊に行きたいという遺族の思いを実現させてあげたい、
そんな”杉村”事務局長さんの熱い思いに触れて本当に感謝でした。

そんなことで、昨年実現したシベリア沿海地域慰霊墓参でしたが、
今月に入って、
千鳥ケ淵墓苑の鎮魂慰霊祭、自分の文京シビックホールでのライブ、
そして先日の中央慰霊祭と”杉村”事務局長さんにお会いしながら、
シベリアで撮った画像があったことを思い出し、フォトスライドショーを作ってみました。
これまで、南方方面のものはいくつかアップしていますが、
またシベリアは違った感じが伝わると思いますので、
是非、ご覧ください。

♪涙雨 YAMATO (シベリア抑留死亡者慰霊墓参フォトスライドショー)

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