自衛隊応援歌として作った【砦となって】の歌詞。

間もなく、東日本大震災から1年が経とうとしています。
昨年、「防人を励ます会」からお誘いを受け入会し、
その後、今年の新年会でお会いした自衛官”中”さん主催の懇親会にも参加するようになり、
先日、事務所にお伺いした時に自衛隊の応援歌を作ると約束したものが完成しました。
震災復興にあたって、やはり尽力された消防隊員や警察官の皆さんは、
どちらかと言うと、日常的に我々と接点がありますが、
これまで自衛隊と言うと、多くの国民がかなり疎遠な感覚をもっていたのではないかと思います。
しかし、昨年起きた東日本大震災後の自衛隊の皆さんの献身的な活躍には、
多くの日本国民が感動させられ、距離感が近づいたのではないかと思います。
本来は、国防にあたっているわけで、
いざ有事となれば、命を懸けて日本国民を守るという覚悟があるからこその働きだったと思います。
自分がメディアなどを通して感じたことを織り交ぜながら歌詞にしてみました。
歌詞だけアップします。

東北大震災 画像(津波、宮城・岩手・福島の被災地、火災、政府、自衛隊)

【砦となって】
詞・曲/YAMATO

1:覚悟を決めて見上げた空は 黙ったまんまただ遠く高く
行く手遮る瓦礫の山に 終わりの見えない日々が続いた
夏の陽射しが肌を焼きつけ 流れる涙汗に隠して
拭いきれない胸の痛みに 打ちのめされても唇噛み締め

果てしなく広がる荒野に昇った 暗闇を照らす月のように
愛しき人の温もりこの腕で守るために 最後の砦となろう

2:泥に塗れて手探りの道 折れそうな心奮い立たせ
祖国を愛して捧げた誓い  己に問いかける日々が続いた
冬の風が頬を突き刺し 悴む指に息を吹きかけ
時に悲しい人の無力さ 突きつけられても絆を信じて

果てしなく広がる荒野に咲いた 絶望を砕く花のように
愛しき人の温もりこの腕で守るために 最後の砦となろう

果てしなく広がる荒野に昇った 暗闇を照らす月のように
愛しき人の温もりこの腕で守るために 最後の砦となろう
最後の砦となろう

東北大震災 画像(津波、宮城・岩手・福島の被災地、火災、政府、自衛隊)

この歌詞は、震災復興にあたった自衛隊の皆さんの心情を表現しつつも、
元々、普段自衛隊員としての職務にあたっている皆さんへの
普遍的なニュアンスの応援歌としての意味も込めて作ってみました。
自衛官の”中”さんや、「防人を励ます会」の事務局長さんに歌詞を送ると、
復興にあたった自衛官の心情をよく表した感動的な歌詞だと大変評価を頂きました。
「防人を励ます会」の事務局長さんは、
早速交流のある自衛官に歌詞を送りたいと言って頂いています。

昨日は、佐渡に縁の『2.26事件』の日でした。

昨日は、我が母校佐渡高校の第一期卒業生になっている”北一輝”の思想が
当時の青年将校に影響を与えたとされる『2.26事件』の日。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E4%B8%80%E8%BC%9D
本人は、処刑される二日目に弟に対して、
「自分は全く関与していない。自分の思想を抹殺するためになされたこと」と告げたようですが、
結果的に1937年に処刑されてしまいます。
北一輝は、対外戦争よりも合理的な国内改造を行い
金権政治を一掃し支配階級の腐敗堕落を根絶する必要がある。
それと共に、農民の疲弊困窮、中産以下の生活困難などの問題に有効に対処することによって
内部崩壊を防ぐ必要があると論じていたようですが、
処刑された後、日本はどんどん戦争に突き進んでいくことになります。
何故か、自分の周りに2月26日生まれの女性が3人ほどいて、
何か縁を感じるようになり、最近”北一輝”について少し調べるようになりました。
”北一輝”も思想家ですが、
元々佐渡は、歴史上主に思想犯、政治犯が流された島。
やっぱりそういう血が、今も佐渡人の中には多く流れているのかな?と思ったりします。

さて、新潟県は上越出身高田高校卒で、
先月、歌舞伎町にある『きんちゃん酒場で』で企画してもらった
自分のライブに来てくれていた”悠良”さんと言う女性アーティストのライブがありました。
場所は、下北沢の教会で、
『きんちゃん酒場』のマスターはじめ、
お客さんとしてつながりの面々が何人か来ていました。

”悠良”さんのホームページに情景が浮かぶ歌詞を心がけていると書いてありましたが、
なるほど、歌詞を大切にしているのがよくわかる楽曲ばかりで、
想像していた以上に声もパワフルでしっかりしていて、
故郷を歌った『晩夏』と言う歌がまた良かった!
彼女の故郷への思いが女性ならではの繊細な表現で書かれていて、
すごく感動的な楽曲でした。
期待以上の良いライブでした。
昨夜、ウルグンさんの馬頭琴の音色を聴いたばかりでしたが、
その後、結構年配の日本人馬頭琴奏者の女性が、
ベース、ピアノの編成でライブをしましたが、
そちらは聴けずに帰って来ました。

・ライブ会場はこんな雰囲気。

・最後”悠良”さんと。

自衛官主催の懇親会と馬頭琴ミニコンサート。

金曜日の夜、自衛官主催の「SHIDAX亀戸店」での懇親会に行って来ました。
先月に続き2回目でしたが、
簡単にライブをした後は、また皆さんと楽しく交流させて頂きました。
今回は、春から自衛隊に入隊する学生たちが6人参加していて別にBOXを設けていたので、
先輩自衛官の方から是非応援歌をと言うことで【涙雨】リクエストされ歌う場もありました。
今回は、予備自衛官の女性も多く参加していたようです。

前回は十数名、女性の方が多いくらいで朝まで残っていましたが、
今回は、主催者の自衛官”中”さんの他にもう一人レンジャーあがりの自衛官と、
現職警察官と自分の4人の男だけで、熱く朝まで語り明かしました。
次回は、3月22日(木)で、「SHIDAX浅草店」だそうです。
興味のある方、是非お声かけください!

昨日は、自衛官の皆さんと懇親会で朝帰りし、
夜は、新橋にある秋田出身のマスターがやっている【九島屋】で、
佐渡高校の後輩で、馬頭琴奏者ウルグンさんを自分に紹介してくれた藤井さん主催で
ウルグンさんの馬頭琴ミニコンサートがあり、
スケジュール的に大丈夫だったので、
急遽ゲストとして参加してきました。
実は、ウルグンさんを自分のCDを出している
ジーデスレコードの鈴木社長に紹介する場でもあったんですが、
鈴木社長もウルグンさんの演奏に驚いていましたね。
ウルグンさんの演奏の後、
ソロで【佐渡ヶ島】、【栄光の花たち】、【男道】を、
ウルグンさんの馬頭琴のサポートで【月】、【涙雨】を演奏して来ました。

・ウルグンさんの馬頭琴。

・ウルグンさんとのコラボで。

戦争遺児と現代の児童養護施設の子供たち。

つい最近、戦時中東部ニューギニア方面で戦死されたお父さんの慰霊に初めて参加された
「東京相川会」でお世話になっている方から連絡を頂き、
今回、一緒に慰霊に同行した遺族の皆さんに自分の【涙雨】のCDを送ってあげたいとのことで、
昨日、東京駅の「日本海庄や」でお会いして来ました。
実は、「東京相川会」で自分が【涙雨】を歌い、
南方方面に慰霊に行っている話をしたことがきっかけで
お父さんの慰霊に行って来ようと思うようになったそうでなんです。
遺族会の現地への慰霊ツアーの日程を調べて、
昨年の夏のツアーには参加できず、今回参加できたそうです。

お父さんは電気職人だったため工兵として終戦間際に招兵され、
東部ニューギニアげに行ってわずか3、4ヶ月、
もうすこしで終戦と言うところで
撤退地になっていたニューギニア島本土から少し離れた島で亡くなられたそうです。
その島まで、船外機付きのボートに乗ってで1時間ほどかかるので、
運がよくないと天候が荒れて行けないで終わるツアーもあるそうですが、
今回、運良く行ってこれたそうで、
その島の慰霊碑の写真も見せて頂きました。
「YAMATOさんと会ってなかったら、現地への慰霊に行ってなかったよ」
と言ってくれていましたが、
何か、晴れ晴れとしたそういった印象を受けました。
自分の歌がきっかけでこういうご縁を取り持てたということは、
音楽アーティスト冥利に尽きると思いました。
そして、現地で遺族の皆さんに、
同郷でこういう活動をしている歌手がいるということをご紹介頂き、
自分の【涙雨】を皆さんに聴かせたいとのことで、
今回、参加者20名分のCDをプレゼントしたいと注文頂いたのでした。
本当に有難いことで感謝です。

自分が、戦没者の慰霊に関わるようになって4年、
戦友の皆さんがいつも生き残った者の使命として
遺児の方々を気にかけている姿もたくさん見て来ました。
戦争遺児の方々の話を聞くことも色々ありますが、
自分が知っている方々は、ほとんど皆さん明るい方が多く、
あまりご自身が苦労された話をされる方は少ないのですが、
でも、あの戦後貧しい時代に大黒柱の父親を亡くした家庭と言うのは、
本当に大変だったことは想像がつきます。
父親を亡くした子供として、我々が想像する以上の苦労があったはずなんです。
やはり、我々は日本の国民としている以上、
かつての大戦での戦没者の犠牲はもちろんですが、
それによって大きく人生を翻弄された遺族の皆さんの苦労があったことも
せめて知っておく必要があると思うのです。

さて、日本では近年、孤児と呼ばれる境遇の子供たちは少なくなって来ているようですが、
今の日本社会には、親がいるにも関わらず、
いろいろな問題があり親と一緒に生活できない子供たちがいるという悲しい現実があります。
実は、数年前から佐渡関係の知人の紹介で
毎年夏、佐渡に遊びに行っている『光の子どもの家』と言う児童養護施設があり、
そこの子供たちや職員の皆さんと交流がありますが、
8年間の歳月をかけて『光の子どもの家』の日常を撮影した映画ができたようです。
何年か前に施設に行った時に
このドキュメンタリー映画を作っている刀川和也監督さんと会う機会があり、
先日、監督さんの方から試写会の案内のハガキを頂きました。
タイトルは【隣(とな)る人】です。

世界に目を向けると、
まだ戦争や紛争が絶えない国々、地域があるわけで、
多くの孤児が生まれている現状がありますが、
日本は、戦後平和な国として再建され、
孤児という境遇の子供たちは少なくなった現状の中で、
親がいるのに一緒に住めないという、
戦後の日本社会が作り出している悲しい側面もあります。
このあたりの問題は、自分がかなり以前から意識を持っていることであり、
また、「光の子どもの家」の子ども達の日常までは詳しく知らないので、
この映画から自分が何を感じ取るのか、
しっかり観させて頂こうと思います。
5月中旬より放映が始まるそうなので、是非、足をお運びください!

『BPA LIVE Vol.2』に参加してきました。

自分が参加している異業種交流会【八交会】の女性メンバーがスタッフをしている
「ビジネスプロデューサー協会」主催の『BPA LIVE』に参加してきました。
会場は、築地本願寺内にあるブディストホール。
特に、今回は我が【八交会】メンバーで(株)ミク・スペースプランニング取締役”太田惠昌”氏が
3人のビジネスプロデューサーの一人として登壇することもあり、楽しみに行って来ました。
他お二方は、小池康夫税理士事務所所長”小池康夫”氏、
(株)システムファワード代表取締役”大内一也”氏でした。
自分のような音楽アーティストは、
普段こういったビジネスセミナーには出ないだろうな…と思いながら、
自分の中では、専門馬鹿にならないように、
できるだけこういった世の中のビジネスに関わることを学んでおくことも、
大変意味のあることだと思っています。
改めて、音楽を通してチャレンジしょうと思って帰って来ました。

・左が【八交会】メンバーで司会の”小幡”さん、真ん中”太田”氏。

二人目の講師の”大内”氏が、
「漁師の教え ビジネスマンが最強運を引き寄せる方法」と言うテーマで講演しましたが、
漁師とは、カニ籠漁をされていたお父さんのことで、
魚群探知機も無い時代にどこで籠を下ろせばカニが捕れるかを知り尽くし、
大変厳しいカニ籠漁で、最後まで唯一残った船のオーナーだったようです。
そのお父さんの13の教えをメモしたので、
本当は、説明が色々ついていましたが、要点だけを書き出しておきます。

1:先頭を切ってやる。(後の人が楽になるように、失敗しないように自分が先にやる。)
2:新しいことをやる。(自分が成功事例を作る。)
3:服装をきちんとする。※漁師なのに船を下りるときはジャケットを着ていた。
  (後の人が、夢を感じ目標にしてくれる。)
4:ホテルでコーヒーを飲む。※漁師なのにホテルで日経新聞を読んでいた。
  (意識が変われば、行動が変わる。)
5:水はワイングラスで飲む。(シチュエーションで価値を上げる。)
6:仕事に集中する。(仕事中は、家族のことを忘れる。)
7:お客さんの声を励みにする。(厳しい環境の中でも頑張れる。)
8:ノートブックを宝にする。(過去のデータから勘がひらめく、運は努力の積み重ね。)
9:笑顔でいることも仕事。(ダメな時こそ明るくする。)
10:社員も家族同様に大切に。※特に社員の親を大切にするのが良い。
   (お節介くらいで丁度いい。)
11:今、この仕事を全力で好きになる。(人としての最低の礼儀である。)
12:悔しさや怒りを感謝に変える。(成功することで感謝に変わる。)
13:決して問題から逃げない。(そう思った瞬間に勇気が湧いてくる。)

以上、なるほどと思うことがあると思います。

【上越の四季】の歌詞。

昨年から応援して頂いている新潟出身の若手メンバーの中に上越高田高校卒の人がいて、
上越の歌を作って欲しいと言うお願いから【上越の四季】と言うタイトルで作りました。
先月、高田高校卒の人が多い中で歌った時に大変好評を頂きました。
上越のコミュなどで紹介頂いたりしているようですが、
皆さんから好評とのことです。
インターネットで上越関係の画像などを探しながら書いた歌詞ですが、
音源は追ってと言うことで歌詞だけアップします。
音源ができたら、上越の地元の方で宣伝したいと言って頂いています。

     【上越の四季】
                        詞・曲/YAMATO

1:春は高田桜満ちて 薄紅染まる朧月夜     
  夏は谷浜寄せて返す 渚に躍る蒼き夢よ
  振り返ればいつでも瞼に鮮やかな
  色褪せることのないキラメキの日々
  故郷上越想いは巡り
  どんなに離れてもどんなに遠くても

   

2:秋は頚城野稲穂揺れて 黄金のうねり沈む夕陽
  冬は妙高咲いた樹氷 吹雪いて凍る雪と戯る
  時は流れ去っても心に蘇える
  言葉では尽くせないトキメキの日々
  故郷上越想いは巡り
  どんなに離れてもどんなに遠くても  
  故郷上越想いは巡り
  どんなに離れてもどんなに遠くても  
  どんなに遠くても…

   

昨日は、聖徳大学にチャリティーコンサートに。

昨日は、聖徳大学の声楽コース卒で
”ディヴァレンジャー”言う名前で活動している女性アンサンブル5人組が、
今日から東北の被災地を回って音楽活動をしてくることにしたらしく、
出発日前日、母校の音楽ホールを借りてチャリティーコンサートをするとのことで
案内をもらっていたので松戸まで行って来ました。
彼女たち、2年くらい前に知人が関わっている『芦花公園』の音楽イベントに出ている時に知り合い、
その時には、結構コメディー風に演出した楽曲もやったり、
とても気さくな感じの印象でした。
その中の代表ともう一人のメンバーの女性とは時々メールでやり取りしていたのですが、
昨日は、「芦花公園」以来の彼女たちのステージでしたが、
その時とは違い華やかながら、
彼女たちの人柄が伝わってくる温かいステージでした。
被災地でのステージの成功を祈っていま〜す!

・”デイヴァレンジャー”の5人。

昨日は、川口〜亀戸へ。

昨日は、知り合いの洋画家”宮本圭子”さんが6月に行う個展の会場となる
川口の『茶色の小瓶』と言う同級生がされている喫茶店に行ってきました。
”宮本”さんは、シャンソンも習っているとのことで、
その時に披露されることになり、
自分も友情出演で歌うことになりました。

・向かって右が”宮本”さん、左が「茶色の小瓶」のママさん。

その後、亀戸にある自衛隊の東京地方協力本部に行って来ました。
先月、城東地区隊長の”中”さんが主催している
「SHIDAX亀戸店」での交流会にお招き頂いて初めて歌いましたが、
昨日、”中”さんから連絡を頂いて急遽お会いすることになり、
是非、一度職場にと言うことで亀戸の事務所に伺って来ました。
先月の交流会で名刺だけ交換した女優、歌手、写真家など手広く活動している
秦ありさ”さんも声をかけられたようで急遽同席してくれて楽しい交流の場となりました。
今月24日、19時〜翌朝5時頃まで「SHIDAX亀戸店」にて出入り自由で開催されます。
会費3000円で、翌朝5時頃まで都合の良い自由な時間で参加できます。
自衛官も何人か参加してくれますが、
前回は、20〜30歳代の一般参加者が多い感じでした。
自分も、またギターを持って参加予定ですので、
参加希望の方、お声をかけて下さい。

・真ん中”中”さんと職場の皆さん。

”秦ありさ”さん、
ものすごい前向き行動派で、
木の写真もたくさん撮っているとのことだったので、
佐渡の天然杉の原生林の話をしたらすぐにでも行きたいと興味津々でした。

・”秦ありさ”さんと。

第3回「新潟応援会~関東に住む、新潟を応援する者の会~」

昨夜は、第3回「新潟応援会~関東に住む、新潟を応援する者の会~」に参加して来ました。
会場は、やはり新潟県人がオーナーの四谷のエステティックレストラン「ラ ボーテ」
参加者は新潟出身、もしくは新潟に縁のある約20人で、男女半々くらいでした。
最近、応援いただいている上越高田高校出身の人とのご縁で【上越の四季】という歌を作り、
そのお披露目をした時に高田高校卒業生が多くいて、
自分の中では、上越高田高校と言うのが随分近く感じられるようになったのですが、
昨夜も、高田高校卒の人が二人いて楽しく語らいました。
約2時間でしたが、
やはり皆さん同郷なのですぐに打ち解けて楽しく交流していました。

・最後は、全員で記念撮影。

今夜は、『川口市日中友好協会』の”新年懇親会”に参加。

今月5日に『埼玉県日中友好協会』の”新年のつどい”にお招き頂いた時に、
『川口市日中友好協会』の方にもお招き頂いたため、
今夜、『川口市日中友好協会』の”新年懇親会”に参加して来ました。
会場は、川口にある中国料理「江南春」と言う中華料理店でした。
川口市長が会長をされて運営している会ですが、
今日は、朝から出かけていて帰りに渋滞にぶつかったため、
会場に着く時間が30分遅れ、市長のお話は聞けませんでした。
ご丁寧に来賓としてご紹介頂き、その後4曲歌わせて頂きました。
カラオケの機会がある場所で音響は助かりました。

■セットリスト
1:月
2:男道
3:泰平(替え歌:ヒロシ)
4:それだけで幸せなこと

『埼玉県日中友好協会』の田中会長も来賓で来られていて、
まさか、自分も来ているとは思っていなかったようですが、
【泰平】の替え歌ではお名前を拝借しました。

歌い終わるとうれしいことに、
昨年のNHKの自分の番組を見てくれた御婦人が声をかけに来てくれて、
「NHKの番組見ました!まさか、ここにYAMATOさんが来るとは思ってもみなかった」と、
大変喜んでくれました。
また、自動車関係の会社を経営されている社長さんが来てくれて、
「今、男が本当に弱くなってしまっているけど、歌に本当に感動した。
今度、自分が支部長をしている社団法人の40周年のイベントがあるので、是非、呼びたい」
と言って頂きました。

自分の歌の後は、
皆さん、日本語、中国語のカラオケを楽しみながら午後8時頃お開きとなりました。
川口と言う土地柄が飾らないせいなのか、
とても気さくでノリの良い方が多かった気がします。
他にも動きがあるのですが、
最近、どうも川口市との接点が増えて来た気がします。
『川口市日中友好協会』の皆さん、お招きありがとうございました!

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