自分のルーツの推察。

能登の歌の紹介の後に書いたら長くなったので別途アップします。
歴史的にみても、佐渡と能登は関係が深いわけですが、
「佐渡おけさ」の一節「佐渡は四十九里波の上♬」の四十九里は、
新潟からはそんなに距離はないので何故?という疑問がありましたが、
ある時ネットに能登からの距離だ書かれている解説があり納得しました。
佐渡おけさ」からして、まさに関係の深さを如実に示していました。

それで、自分の苗字に関わる話になりますが、
佐渡でも自分の実家のある岩谷口と言う二十数軒しかない集落にだけに
「山登」、「船登」、「長登」、「浜登」と、
何故か【登】を使った4種類の苗字があり、
自分は勝手に能登から移り住んだ先祖が能登の【登】を残して名乗ったのでは?と
ある時期から推察するようになりました。
ネットで調べると「山登」と言う苗字は大阪、静岡、兵庫辺りをメインに
全国に450人ほどいるようですが、
その流れとは関係ないのでは?と思っています。
東京も4番目に多いとありますが、
東京や東京近郊の県は中央集権的な経済発展に伴い、
あとは北海道なんかも開拓のために近年になって全国から移動した結果だと思うので
あまり参考にはならないでしょうね。

ただ、苗字と言うのは学術的には元々音(読み)に意味があり、
漢字は後から当てたものらしいので、
「やまと」と言う音(読み)に意味があると言う視点に立つと、
一概に関係ないとは言えなくなってくる訳ですが…。
漢字が違っても同じ「やまと」と言う読みの苗字は全国に15種類あるようで、
多い地域が大阪、静岡、兵庫などに固まって分布していることを考えると、
やはり「やまと」と言う音(読み)の苗字としては同じ流れがあるのかな…?と。

ちなみに「船登」は名前の通り、
かつては他の地域から断絶されたようなあの佐渡の辺鄙な地域で、
北前船で能登と交易をしながら大きな財を成し、
当時は長岡藩にお金を貸していたほどの繁栄ぶりだったようです。
余談ですが、廻船問屋として繁栄した船登の隣に、
やはり同じ船登苗字がもう一軒ありますが、
本家、分家という関係ではないらしいですが、
同じ血族の流れと考えるのが当然でしょうし、
あの小さな集落から自分より下の世代で現役で東大に入った優秀な人間も出ています。
そして、今日新たにわかったことですが、
先ほどネットで調べたら「船登」と言う苗字は、全国的に「山登」より少ないんですが、
石川県の能登に集中して一番多くおよそ80人と出ていたので、
佐渡の「船登」姓のルーツが能登と言うのは間違いなさそうです。
そうすると、【登】と言う字に自分の推察のような能登との関連性があれば、
他の「山登」、「長登」、「浜登」も同じ流れの可能性が見えてきますが、
ただ、調べても「山登」、「長登」、「浜登」は石川県能登には無い名前なんですよね…。
この辺りが謎です。

自分の実家のある岩谷口集落あたりの地域は、
自動車で回れる佐渡一周道路が最後までつかなかった陸の孤島のような険しい地域で、
ある人の文面では
「佐渡観光の重要な舞台ともなっているが、長らく陸路の発達に恵まれなかったため、
観光客がその全貌を把握しうるようになったのは、昭和も終わりの頃である。」
と書かれているほどで、
自分の集落の通称Z坂が通ったのは小学校に入る直前でしたね。
そのことからも最近は、自分の先祖は、陸伝いに移り住んで来たのではなく、
船で今の地域に移り住んで来たのでは?と思うようになりました。

中学校の頃ですが、その時の英語の先生がとてもインテリっぽい人で、
ちなみにその先生は、別の高千地区の人でしたがよく言っていたのが、
同じ学区の6集落の中でもトンネルが通る昭和40年前まで車道がつかなかった
断絶されたような地域の実家のある3集落の生徒や人たちに対して、
授業の時などによく「トンネルから向こうの人は品が良い、人種が違う」
と言っていたのを思い出します。
確かに、品が良いと言うのか、
あまり前に出ていかない控えめタイプの大人しい地域性があるのは感じます。
自分のように人前に出て歌を歌っているなど、普通に考えたら例外中の例外ですね。(笑)
ただ、自分の根底にも、
芸能界芸能界したああいった作り上げられた華やかな世界にはすごく抵抗があって、
今の自分のスタンスでどこまで音楽活動をやれるのか?と言うのは、
自分なりの一つのチャレンジでもあると思っています。
話が逸れましたが、今思うとその先生が言っていたことも、
自分の実家のある地域が陸伝いではなく、
違う地域から海を渡って移り住んで来た人たちによって成り立ったのでは?と、
自分の推察を裏付ける気がして来ますね。

あと、まだ面白いことが、
佐渡地図を見てもらうと自分の実家のある「岩谷口」と言う集落と
地理的には真逆の「小木」と言う地域に「宿根木」と言う集落があり、
その集落には字は違いますが同じ(いわや)と読む「岩屋山」の洞窟があり、
「岩谷口」にも洞窟があるんですが、
昔反対側の洞窟から犬を放ったら反対側の洞窟から出て来たので
洞窟同士が繋がっているという伝説があります。
実は、「宿根木」と言う集落は、
かつての船大工が多く住んで作った家並みが保存されていて観光地として有名で、
「小木」という地域はそのくらい北前船で繁栄した港町なわけですが、
能登にも「小木」と言う同じ地名があるくらい、
やはり能登との関係が深いことを物語っています。
と言うことは、ここからも自分の推察ですが、
同じ(いわや)とくつ名称があり、
つながっているはずもない洞窟がつながっているという伝説があるくらい、
歴史的に関係が深い地域と言うことになり、
やはり能登とのつながりがクローズアップされて来ますね。
そう言えば、たまたまかも知れませんが、高校時代面白いことに、
地理的に遠いので高校になるまで全く交流が無かったのに、
自分の代も、後輩の代も、何故か自分と同じ地域の連中は、
不思議と馬が合うのか小木の連中と仲が良かったですね。(笑)

ただ、10年くらい前になると思いますが、
この辺りの質問を佐渡の歴史に詳しい先生に投げかけてみましたが、
その件はまた別の機会にとはぐらかされたのでわからないんでしょうね…。
その辺り、佐渡の方でどなたかわかる方はいないでしょうかね?
と言うことで、実はどのくらい前からか覚えてないですが、
自分のルーツとして能登がすごく気になっていたところで、
能登とのご縁が生まれ歌まで作ったと言うのは、何だか不思議な気がします。

・地理的に対極の「岩谷口」と「小木」。
あと「岩谷口」の海岸線赤線部分が、
断崖に阻まれ昭和40年代まで佐渡一周の車道が通らなかった
陸の孤島とも言える地域です。
それまでは、岩谷口〜最北端の鷲崎まで船での往来でした
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・地図の海岸線赤線部分が向こうの関崎から手前の押出岬(Z坂)までの間です。
写真の集落は自分の実家のある「岩谷口」ですが、
その向こうに「五十浦」、その向こうに「関」と言う3集落があります。
一番奥に見える関崎にトンネルができるの自分が生まれる少し前で、
こちら側の押出岬のZ坂が通るのは、自分が小学校に上がる前頃なので、
まさに陸の孤島という感じで、海を渡って移り住んだのでは?
というのも納得できる気がします。
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※この辺りのルーツの件、
それだけ歴史があるなら「船登」家に何らかの資料があるのでは?
と思うのが普通だと思いますが、
今の代の親父さんが民宿をしていて観光のピークの頃古い家を建て替えたことで、
古くからの資料はどうも全て処分してしまったようです。
集落のお寺にも現在住職はおらず、
過去帳などで調べるのも難しいでしょうし…。
自分の実家は、その辺りの理由は両親もわからないようですが、
元々何代か前になぜか長男が本家から分家した家らしく、
今の「山登」の本家の方は、前の代に我が家と本来血縁関係のある後継ぎが、
娘が一人生まれた後に亡くなってしまい、
その後、その嫁が外から新たに婿をとるかたちでできた息子が後継ぎとなっているので、
本来山登家の血が継がっている娘は出て本家と色々問題があって交流がないようですが、
今の本家は本来の山登家の血筋とは完全に入れ替わってしまっています。
自分が幼かった時にはもちろん親戚として付き合いをしていましたが、
小学校4,5年の頃だったか、
今の前の代のオヤジさんの時に実家の父親とトラブルがあり、
佐渡観光のピークの時期に欲が出たのかやっていた民宿を拡張したかったんでしょう。
父親に実家の土地を本家に返すようにと言って来たようで、
話し合いで片が付かなかったからだと思いますが父親が裁判を起こし、
結局父親が勝って、そのオヤジさんはその後亡くなってしまいましたが、
それ以来実際の血縁関係も無いので親戚としての付き合いはしておらず、
本家の方で調べることもできない感じです。
ルーツを探り難い理由として、こんな事情もあります。

新曲【能登の四季巡り】の歌詞。

先日、能登志賀町の竹灯りイベントの歌として【長田萬燈祭の歌】を作りましたが、
元々能登とのご縁を頂いた中さんから
能登の歌を作って欲しいと言われていたので新たに作りました。
ご当地の方は【長田萬燈祭の歌】がそうだと思っていたようですが、
3回能登を訪ね観光もさせて頂いたのと、
基本ご縁のあった地域の歌は、その地域の四季をテーマにと言うのもあり、
もう1曲、能登の四季をテーマに作ってみました。

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【能登の四季巡り】
詞・曲/YAMATO

(一)
能登の春は キリシマつつじ
奥庭を染める 鮮やかな紅色
能登の夏は 千里浜の海
夕焼けが燃える なぎさドライブウェイ

巡り巡る季節とともに
春夏秋冬能登の四季巡り
遥かな歴史(とき)を越えて今も息づく
豊かな恵み溢れる
我がふるさと能登

(ニ)
能登の秋は 黄金の棚田
キリコの灯り 祭り囃子に舞う
能登の冬は 荒海の幸
荒れ狂う空に 響く鰤起こし

巡り巡る季節とともに
春夏秋冬能登の四季巡り
遥かな歴史を越えて今も息づく
豊かな恵み溢れる
我がふるさと能登

移ろい流る季節の中に
春夏秋冬四季の織り模様
遥かな歴史を越えて今も織りなす
豊かな暮らし彩る
我がふるさと能登
我がふるさと能登

 

【春】キリシマつつじ
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【夏】千里浜なぎさドライブウェイ
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【秋】キリコ祭り
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【冬】鰤起こし(ぶりおこし)
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今週末は、東吾妻町「いわびつ文化祭」へ。

さて、今週末10月6日(土)は、
今年も群馬県東吾妻町の「第三回 岩びつ文化祭」で歌います。
振り返ると、東吾妻町ご出身の故片貝孝夫さんとのご縁から、
2015年3月1日、
享保雛見学や「NPO法人歴史の駅」シンポジウムとのコラボもある
2泊3日ツアーの中でのライブでしたが、
野外ライブで雨に当たらない晴れ男ながら雪には縁がある自分は、
3月に入ったと言うのにライブに合わせるように雪が降る寒い日となりました。
孝夫さんの地元同級生の息子さんが、
尺八奏者として都内で活動していると言うことでにわかにコラボの話が持ち上がり、
地元出身の山野明彦さんと東吾妻町での初めてのライブとなりましたが、
雪の寒い日ながら会場の岩島小学校に100名余りの方に集まって頂きました。

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帰路は、同じ埼玉方面に帰ることもあり、
孝夫さんと自分の車で一緒に帰りましたが、
車中では「東吾妻を盛り上げるのに、是非YAMATOさんの歌の力を貸してほしい」
と言う話をされ、
自分自身が人生遠回りの末音楽活動を踏み出した原動力が、
やはり過疎化が進む故郷を音楽の力で少しでも後押したいという強い思いだったので、
孝夫さんの思いに本当に共感し、東吾妻町の歌を作る約束をしました。
実は、孝夫さんガンの闘病中で、
だからこそかも知れませんが、故郷への熱い思いに駆られ、
焦るように行動していたような気がしてなりませんが、
残念ながらその後歌を聴くことなく亡くなられてしまいました。
ただ、孝夫さんの遺志を継いだ妹の文子さんが
『よみがえれ東吾妻』と言う地域活性団体を作って代表となり、
地域での様々な活動をされるようになりましたが、
翌2016年10月には廃校になった中学校の校舎で
「第1回 いわびつ文化祭」が開催され、歌わせて頂きました。

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その時に用意して歌った【ふる里あがつま 四季の歌】が皆さんに大変好評で、
是非CDにして欲しいというお声を頂き、
去年山野さんや前年の「いわびつ文化祭」で知り合った
リバードアーズとして地元で音楽活動をしている 畑山さんと協力しながら
無事にCDを完成させ、
7月9日に町長さんはじめ400名を超える皆さんにお越し頂き、
お披露目コンサートを大盛況で終えることができました。

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そして10月には、また「第2回 いわびつ文化祭」で歌わせて頂きましたが、
お披露目コンサートの効果もあったのか、第1回よりたくさんの方にお越し頂きました。

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そして、今年第3回の「いわびつ文化祭」になります。
こうやって書き起こすことで、
ご縁を頂いた故片貝孝夫さんを偲び感謝しながら、
東吾妻町の皆さんとの再会を楽しみに伺いたいと思いますので、
よろしくお願いします!

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昨日は、佐渡高校関東支部同窓会でした。

昨日は、台風が心配される中でしたが、
神保町の学士会館で母校佐渡高校の第20回関東支部同窓会を無事開催できました。
今回は、佐渡高校の先輩で俳優をされている
「劇団東京ヴォードヴィルショー」の佐渡稔氏の基調講演でした。

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・佐渡稔氏講演。
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・小学校3年間担任をして頂いた恩師の乾杯。
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・「若波会」
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・立教大学の女子学生たちによるベリーダンス。
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動画撮ってくれtました。
【佐渡ヶ島】
https://www.facebook.com/sayaka.kitamura1002/videos/1996787150400598/?t=3
【夢に突き刺さった三日月】
https://www.facebook.com/sayaka.kitamura1002/videos/1996797870399526/?t=69

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