昨夜は「団平」に。

昨夜は、月内で東日本橋のお店を閉店する
「気仙沼釜揚げうどん 団平」に行って来ました。
少し前まで、地元で地鎮祭も終えて、
気仙沼に帰ってお店をオープンするものとばかり思って、
我々も新たな門出を楽しみにしていましたが、
今日の団平さんの話では、行政絡みの問題が浮上して来て、
断念せざるをえない可能性も出て来たとのことでした。
震災前から飲食店をやっていたお店で、地元で再建できた所はまだいないそうです。
その位難しいようです。
こう言う話を聞くと、改めて復興までの道のりは遠いな…と思えてしまいます。
当事者にとって心折れずにそれでも前へ進むのは、
本当に大変なことだな…と、今日改めて感じた団平での一時でした。
何とか良い方向に道が開けるように祈るばかりです。
閉店までもう少し、行ける方は是非足を運ん下さい!

・団平さんの挨拶。
55489183_2162516407171223_740503033854558208_n

54515479_2162516487171215_952714885458821120_n

54432715_2162516553837875_8011523662551187456_n

・皆さん、団平さんの話聞いてます。
54519618_2162516623837868_234187330947121152_n

・一夜限りの藤真喜子復活!
54517131_2162516687171195_9136868178582831104_n

 

【桜の季節がもうそこに…】デモ音源。

今日は、レコーディングを終えてあった
各地のご当地ソングのミックスの完了した音源の石川県の3曲が届き、
朝から聴き込みをしながら修正箇所のチェックをしていました。
これから音源ができると、
各地域4つか5つのCDジャケットをデザインして、
CDを作っていかないといけないので忙しくなります。
同時に新しいアルバムの制作もしていかないといけなくなるので、
考えたらそれだけで、今年もあっと言う間に終わりそうで、恐ろしい…。

さて、先日3.11に作った【桜の季節がもうそこに…】を、
また宅録で簡単に録ってみました。
もしかしたらバラードをイメージしたかたもいたかも知れませんが、
それもありだとは思いますが、アップテンポにしました。
写真は選んでいる時間が無かったので、適当に使ってます。
出演している皆さん、ご了承下さい。m(__)m

日曜の復興祭主催者から改めて写真が届きました。

54278301_2158827304206800_457389694624202752_n

54416703_2158827337540130_5901234130686836736_n

54349937_2158827574206773_4537449316897259520_n

 

 

日曜日は、急遽舎人公園の復興祭で歌いました。

日曜日は、舎人公園の 東日本大震災復興に向けたイベントで、
知り合いが主催しているNPOの代表をしていることから、
前日に急遽出演依頼があり歌って来ました。
1回目は神輿の担ぎ手150人で始まったイベントが、
9回目にある今年は1500人まで増えたようです。
午後から雨が心配される天気予報でしたが、とっても良い天気でした。

54428399_2155887931167404_2113805778639912960_n

54518919_2155887967834067_6774968398683045888_n

・代表の海老澤さん。
53810923_2155895257833338_2585275033190400000_n

正午から、自分以外に5組の演歌歌手がいましたが、皆2曲ずつ歌って1部は終了。
その後、神輿をバックにすごい人数での記念撮影。

・歌手の皆さんは、最前列を用意してもらいました。
54255785_2156003101155887_5813561431425024000_n

54002509_2156003351155862_5708411402134224896_n

・海老澤さん、仕切ってます。
53496299_2156003184489212_5796287923364036608_n

・犠牲者のための黙祷をした後、神輿が公園内を回りました。
54268069_2156015241154673_1171565850264600576_n

54230764_2156113024478228_6231726366555897856_n

54357717_2156113111144886_3663643593530146816_n

舎人公園の復興祭イベントの後、西新井のお姉様方の呼び出しを受け、
西新井に行って来ました。
音楽活動をする前の20年くらい前から飲食店をしている知り合いがいたりして、
時々近くには行く機会がありましたが、
西新井駅に降り立つのは初めてではなかったかと思います。
皆さんも懇意にしている古今亭駿菊師匠、浜ユウスケさんと
9月8日に佐渡で開催予定の自分の音楽活動15周年特別企画の件も
打ち合わせしたかったので、
実は丁度良かったんです。
もちろん、皆さん特別企画に合わせて佐渡へと盛り上がりました!
楽しみ〜!

・まずはサイゼリアで待ち合わせ。
54522968_2157766464312884_6782521811637633024_n

・その後は、皆さんの知り合いのお店へ。
54430457_2157766494312881_8736899366322700288_n

・ママさんと。
54515646_2157766587646205_8210390264787763200_n

佐渡LIVEの動画④

気付いる方がいるかどうか…?
この前にアップした【赤く燃える冬の三日月】、
最後に吠えているのはタイトルが三日月なので狼の遠吠えのつもりなんです。
さて、久々にラブソングです。【月になれたら】
自分のデビュー曲【月】は、何処で歌っても一番反響があり、
知っている方にとって名曲としての呼び名の高い曲ですが、
コンセプト的に【月】に重なるところがあるので、ある意味応用版ですね。
個人的にはこっちの方が好きなんですけどね…。…
そう言えば、
2,3年前にこの曲に合わせてジャスミンさんがベリーダンス踊りましたね。
美しい踊り見てない方はどうぞ!

普段はピアノとバイオリンアレンジで歌っている曲なので、
ギターの弾き語りは久々かな?と。
丁度、お店の売り上げに貢献するために来てくれたおじ様方のテーブルが
カメラのすぐ近くにあって、終盤酒もいい感じで回っていてガヤガヤしてますが。

さて、これから確定申告提出に行って来ます。
この曲も先日の佐渡で歌った【親父の歌】。
今年84歳になる父親ですが、
今も驚異的な体力で佐渡牛の繁殖を生きがいに頑張っています。
この曲自分の父親のことを歌っていますが、
自分の人生での夢よりも家を継ぐことが、故郷を守ることが最優先だった時代。
そんな故郷を守って来た親父世代の皆さんへの感謝の気持ち込めた、
ある意味讃歌のような曲だと思っています。
リハの音源なので、やっぱりあっちこっち色々ありますが、
途中ピック落として中断した演奏を編集で繋いでます。(笑)
この歌をお父さんへの感謝の気持ちを込めて歌いたいと言う方がいますのでアップします。
先日の佐渡LIVEでも、お店の売り上げ貢献でいた年配男性のグループの中からも、
この曲が入っているCDが欲しいと言われましたが、
残念ながらまだCDになっていません。m(__)m
いざ歌にしたら猪年、猪突猛進の親父は歌になる人でした。(笑)

佐渡LIVEの動画③

月入って時期外れになりましたが、先日の佐渡ライブで初めて披露した【海府の冬】。
自分の原風景、実家のある外海府地域の厳しい冬を歌った曲です。
自分の子供の頃、
小学校で赴任中に3年間ずっと担任をしてくれた女性恩師が来てくれていて、
外海府の冬を思い出したと言ってくれていました。
宅録で簡単に録ったデモ音源はアップしてありましたが、
やっぱり家では控えめにしか声を出せないので、佐渡ライブのリハ音源です。
初披露曲で、この時点ではしっかりギター、ハーモニカが固まっていない状態で、
取り敢えずコードもどっちが良いか試して、
1番、2番で違ってる箇所があります。
この時の佐渡ライブでリハ映像を上げている曲は、全て本番の映像がない曲です。

これも佐渡LIVEで歌った季節外れの曲【赤く燃える冬の三日月】。
最後は、飛び入りサックスにアレンジリクエストしながら楽しそうなリハ映像です。
15年前、右も左もわからないまま、
やったこともないライブハウスのオーディションを受けて始めた音楽活動でしたが、
渋谷にあった頃の老舗ライブハウスAPIAでオーディションを受けた時に、
アンケート用紙にプロ志望かアマチュア志望か〇を付ける欄があり、
プロを目指す決意でオーディションを受けに来たたはずなのに、
プロ志望に〇を付けるのにしばらく躊躇して付けられなかったのを今でも思い出します。
不思議なもので、 アンケート用紙の上でボールペンが止まっているそのシーンが、
何だか今でも瞼に焼き付いています。

音楽業界全くわからない世界の上に、
10年余りギターも全くと言っていいほど触ってなかったので、
色んなタイミングが重なりやるなら今だと、
思いだけで踏み切ったので本当に不安だらけでしたね…。
音楽活動始める前に参加していた異業種交流会のあるメンバーにも、
確かメジャーリリースしてからだと思いますが、
後から「YAMATOさん、プロを目指すって言ってたけど、
正直内心は何言ってるんだと思ってたよ。」と言われたことがありましたね。
その位、当時の自分の演奏のスキルから言って、
正直、今のような姿は誰も想像してなかったと思いますね…。
初期の頃は、本当に今では考えられないくらいの孤独を感じながら、
とにかく他人の目は気にせず自分を信じきる闘いの中で過ごした日々で、
悔しい思いをしたこともあり、
この曲はある寒い冬の夜のライブ帰りのことを思い出しながら作った曲ですね。
個人的にこう言う曲は、前に上げた【海府の冬】も似た感じだと思いますが、
歌ってて自分では一番しっくりくる感じの曲なんですよね…。

新曲【桜の季節がもうそこに…】八度目の3.11に寄せて。

昨日の3.11特別番組など観ていても、やっぱり被災地の皆さんにとって、
何はともあれ被災地のことをまずは忘れないで欲しいと言う思い、
そこに尽きるんですよね。
行動を起こせればもっと良いでしょうが、
忘れないと言うことだけは、何処にいてもできること。
そんな気持ちを持ちながら、何かのタイミングで支援できる機会があればして、
そんな無理のないかたちで継続できれば良いのかな?と思います。
それが被災地の皆さんの力になっているんだと、もう一度心に刻もうと思いました。
どんなにインフラ、生活環境が整っても、心の問題は深く根強く残っていることが、
改めて昨日の番組でもわかりました。
自分自身を攻め続けて生きている方がどれだけ多くいるか…。
何か大きなことができるわけではないですが、改めて忘れないこと、
心に寄り添うこと、そして時々でも現地に行ってご縁のある皆さんの顔を見る。
そんなできることを続けて行こうと思った一日でした。

昨日、2時46分に黙祷した後、特番を観ていたこともあり、
これまでご縁のある被災地の皆さんの顔を思い浮かべていたら思いが溢れてきて、
作詞し出したら30分くらいで大筋の歌詞ができました。
天気も朝は雨模様だったのに、午後から天気が回復、
2時46分頃には雨が上がって太陽が照らし、
絶望から希望に向かって行くようなそんな気持ちに包まれました。
字数を揃えたり、細かい表現を詰めないといけなかったので今になりましたが、
取り敢えず歌詞です。

【桜の季節がもうそこに…】
〜八度目の3.11に寄せて〜

(一)
雨上がりの空に 差し込む光
湿ったアスファルト 眩しく照らす
悲しみ抱く街に 思い馳せては
慕わしき あなたの笑顔を浮かべた

思い出のページは あの日に途切れ
重ねた温もり 置き去りのまま
生きてゆく 覚悟を胸に誓った
あなたの勇気に 寄り添えたなら

八度目の春が 今年も巡って
あの日あの時刻(とき)を 刻んでゆく
悲しみ降り積もる 冬を越えたら
桜の季節がもうそこに…

(ニ)
運命への空に 架かった虹を
渡った僕らは 絆を結び
苦しみ抱く街に 夢を散りばめ
慕わしき あなたの笑顔で埋めたい

道のりは遥かに 遠く険しく
行く先見えない 明日へと続く
誰もが一人では 生きてゆけない
あなたの希望に 寄り添えたなら

八度目の春が 今年も巡って
あの日あの時刻(とき)を 刻んでゆく
苦しみ伸し掛かる 冬を越えたら
桜の季節がもうそこに…

あなたのその祈り 届くと信じ
僕らのこの願い 叶うと信じ
思いの限りに 声の限りに
あなたの心に 花咲くように
桜の季節がもうそこに…

miyagi07

54433866_2149410468481817_6557137071998238720_n

佐渡LIVEの動画②&3.11に関連した曲を。

【ONCE AGAIN~君のいない部屋~】
この曲は、一昨年暮れの自分のコンサートを初めて聴いて感動してくれたご婦人から、
昨日まで普通に元気だった娘さんが、
ある日突然部屋で亡くなっていて、
今も部屋をそのままにしてあるというお話を打ち明けられ、
敢えて歌の主人公を僕にしましたが、
愛する人を失った悲しみを表現できればと作った曲です。
東日本大震災で愛する人失った方の気持ちにも重なる曲だと思うのでアップします。
昨年夏の佐渡コンサートでの映像です。

【男道】
復興支援で通った仮設住宅でのライブでは、
基本バラードの曲を歌うことが多かった中で、
復興に向かう応援歌として1番男道、2番女道にして力強く歌って来た【男道】です。
この曲、元々は、
10年余り前に亡くなってしまった知り合いの格闘家師範の追悼のためたに作った歌です。
先日の佐渡LIVEの映像ですが、
初めて自分のライブに来てくれたマスターと同級生というお客さんの大平さんを
いきなりステージに上げて、即興でサックスを吹いてもらいました。
お陰で盛り上がりました。

【愛しき人よ もう一度】
先月の気仙沼ライブに行った時、
知り合いのお店で夕食を食べている時に
マスターに紹介されたお客さんだったご婦人に、
名刺代わりにこの曲が入った非売品CDをプレゼントした後、
早速翌日CDを聴いて感動したとの連絡を頂きました。
電話で、震災ではなく20年ほど前にいじめを苦にした娘さんが
自死された経験を持たれているとのことでした。
とっても明るいご婦人で、
今は全くそんなことを感じさせない雰囲気の方なのですが、
もちろん娘さんを亡くしたばかりの頃は精神的にかなり追い詰められたそうですが、
明るく見える今も心から離れたことはないそうです。
最近、その経験があってなのでしょうか、
幼い子供たちの命を守るボランティア団体を立ち上げたばかりとのことでした。

この曲、すでにCD音源やライブ映像をアップしていましたが、
以前録ってから自分の歌い方も変わったのでそれに合わせていますピアノを録り直し、
和楽器アレンジとしてこれまでの尺八の他に二十五絃箏を入れて、
あとベースを入れれば完成になるアレンジになっています。
これは東日本大震災で、お子さんを亡くされた方のお気持ちにも通じる曲かと思います。
これも先日の佐渡ライブの映像ですが、
ライブも終盤、お店の売り上げに貢献しようと飲んでいる
初めてのおやじさん達がかなり出来上がってざわついてますが。

【涙雨】
3年前、大宮の東光寺と言う大きなお寺で、
東日本大震災後続けて来た震災犠牲者鎮魂慰霊祭での奉納演技を、
5年の節目で最後にするとのことでお声掛け頂き、
奉納ライブをさせて頂いた時の映像です。

3.11に思う。

3.11を前に、考え過ぎなのかな…と思ったりしますが、
自分なりにちょっと思うところがあり気持ちを整理していました。

自分が震災直後、何かしたいけどそういったボランティア活動の経験もなく、
どうしたらよいかもわからず、
歌を歌うものとして歌で何かできれば本望と思いながらも、
あれだけ大変な経験をされた皆さんを歌で励ますなど、
単なる自己満足かも知れないし、とてもおこがましく思えて踏み出せませんでした。
自分も被災して同じ体験をした立場で発信するのであれば、
それは大変な説得力をもつと思いますが、
そうではない立場で次々に復興支援ソングとして歌が世の中に発信されることに、
とても違和感を感じていました。
もちろん、CDの売り上げなどが全部被災地に寄付されると言うことが前提であれば、
それはそれで良いことだったとは思いますが…。
結局、自分は復興支援活動を始める前の
自分の悶々とした気持ちを歌った歌は作りましたが、
復興支援に関わる歌を作ったのは、
初めて現地に行って心から作りたいと思ってからでした。
消極的と思われるかも知れませんが、
自分の中では被災地で自分の歌が必要とされる時が来たら、
例えば震災を経験された被災地の方か、
すでに被災地で復興支援の活動していて、
現地の様子を分かっている方から
是非歌って欲しいと言うお墨付きが頂けたら歌えるかな…?と思いながら、
悶々とした日々を過ごした1年間でした。
1年少々過ぎたところで、まさにそういう出会いがあり、
自分の歌が被災地で歌える時が来たのかな?と、
背中を押された気持ちで現地に向かう気持ちを固めたのを、
つい昨日のことのように思い出します。

それで、何が言いたいかと言うと、震災後8年目を迎えますが、
愛する人を失った方の悲しみは、
もちろん当事者の皆さんは必死に忘れようと闘っていると思いますが、
何年経っても決して忘れられるものではないと思います。
だから、被災地の皆さんが、前を向いて頑張ろうとか、
もう辛いこと、悲しいことは忘れて前に進もうといったことをご自身で発信するのは、
当然そういう気持ちにならないと復興が進まないので当然のことと思うのですが、
当事者でもなく被災地に責任のない立場の第三者から
そういうニュアンスの言葉を発信するのは、何だか違う気がしてなりません。
むしろしてはいけないのではないかと思ってしまいます。

そう言う心の問題は、内面的に強い人もいれば弱い人もいる、
個人差がとても大きい問題だと思います。
復興支援に通っている中で、仮設住宅の頃から交流があり、
ご家族をほとんど全員亡くされた方がいて、
先月の気仙沼ライブにも会えるのを楽しみに来たと再会できましたが、
やはり表情に憂いを感じますし、そういう方の悲しみが消えるはずはないと思います。
また折角命が助かったと思えば、
自死を選択される方も多くいたり、
また精神的に病んでしまっている方も多くいると聞きます。
結局第三者の我々は、
単に生活環境やインフラが整ったから復興が進んでいると判断するのではなく、
被災地の皆さんの心に寄り添う気持ち、
そういう気持ちをもっての心の復興支援をまだまだ続ける必要性を感じています。
そう言うことを思っているので、自分自身が被災地で発信する歌は、
無理に明るい歌とか、元気が出る歌とか、
そういう歌はそう言う方に任せて、
そうでなくて苦しみや悲しみに寄り添うような歌、
この人は自分の苦しみ、悲しみをわかってくれる人と
思ってもらえるような歌を歌うことができたら本望で、
それが自分自身が理想とする復興支援活動かな?と思っています。
今日は、気仙沼からののど自慢を観ながら
ボラ宿熊谷さんの告知通り南郷の伊藤自治会長の出番も確認し、
その後は編集作業しながらそんなことを考えていた一日でした。

17265239_1340215119358426_3695166917647947071_n

佐渡LIVEの動画①

自分は、ご縁のあった方が亡くなった時など、
追悼のために歌を作ることが結構あるんですが、
意外かも知れませんが【男道】もそうなんです。
作りながら涙が止まらなかったのを思い出します…。

さて、先日の佐渡でのライブの時にも歌いましたが、
桜の時期になると歌う【永別の空】と曲があります。
この曲は自分が音楽活動を始める前の2003年、
脱サラして仕事をしている時にお世話になった知人の女性が
急に危篤になり亡くなってしまい、
以前も書いたことがあるので知っている方もいると思いますが、
その女性が危篤になったと言う時間に虫の知らせと言うのか、
呼ばれたと言うのか、とっても不思議な体験があり、
音楽活動を始めてから追悼にと思い立って作った歌です。
自分の歌って、これまで日舞が多いですが、
フラダンス、ベリーダンスとコラボしたり、バレーの先生からも
コラボできたらと言われたことがありましたが、
踊りやダンスの方が踊りたいと思う曲があるようで、時々御話を頂くことがあります。
実は、先日の佐渡ライブの時に日舞の方がお客さんでいたらしく、
マスター経由で【永別の空】のCD音源で踊らせてもらっても良いか?
との連絡があったそうです。
もちろん大丈夫ですと伝えましたが、
この曲、映像見た方もいるかも知れませんが、
6年前に藤間流の日舞の先生とステージでコラボしたことがありました。
桜が出てきて、ゆっくり入ってサビはかなりドラマチックに盛り上がっで終わるので、
日舞の方が踊りたくなる曲なんでしょうかね…?
最近、以前よりmasaさんと二人だけと言う演奏の機会も減ったような気もしますが、
自分の音楽スタイルの原点とも言えるギター、ジェンベの弾き語り演奏です。
久々に確認しながら歌ったリハ映像なので、
わからない程度に歌詞を少し間違ったり、
ギター、ハーモニカも怪しいところがありますが、
スマホではないビデオ映像、最近アップしてるデモ音源も
宅録で遠慮がちに歌ってる簡単な音源なので、ライブ臨場感のある音でどうぞ!
この曲も、季節的に3.11に向けた追悼の歌ですね。
https://www.youtube.com/watch?v=prmllnMK9uM

新曲【いつかの蛍火】デモ音源。

歌詞を紹介したばかりの新曲【いつかの蛍火】デモ音源アップしました。
歌詞をアップした時に書きましたが、
この曲は元々は、故郷の実家付近に子どもの頃いた蛍が消えてしまったことをテーマに
歌にしようと作り出したんですが、
蛍には人の魂が宿るという謂れもあったりするので、
ふと3.11に向けて特に恋人やご夫婦のどちらかを亡くされた方をイメージして
鎮魂の思いも込めようと作った曲です。
時々、故人と蛍に纏わる不思議な話みたいなものを読んだことがある気がしますが、
丁度御殿場ライブにも来てくれるFBお友達が
ご主人が亡くなられた時の自身の体験を書き込んでくれてました。
改めて紹介します。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
うち、川沿いで、7月中頃になるとちょい下った沢に蛍が数匹飛ぶんだけど、
主人が10年前の9月6日に亡くなって、
葬式が終わった日になんとうちの庭まで蛍が一匹飛んできてさ。
爺さんが「帰ってきたのかな」って。

9月に蛍が飛んだのはあとにも先にもその時だけよ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

自分が作ったご縁があって10年前に作った戦没者の鎮魂歌【涙雨】もそうなんですが、
その場にいる当事者にとっては起こる現象が偶然とは思えない、
亡くなられた方が何かを伝えようとしているような、
そんな感覚になるんですよね…。

日本大震災犠牲者のご冥福をお祈り致します。

WordPress Themes