新曲【みっちゃんと泥棒坂】の歌詞。

気仙沼にある泥棒坂。
この坂に因んで曲作りました。
と言うのも、実は何年も前から気仙沼で
我々ボランティアのコーディネートをしてくれている村上さんから、
「実家近くに泥棒坂と言う坂があるので、何とか歌にできないか?」
とのリクエストが耳に届いていました。
気仙沼に行ってボラ宿で話したりする時、
必ず村上さんから「泥棒坂の歌を…」と言う話が出るので
「諦めきれない余程の思い入れがあるんだろうけど、
いや〜、とは言っても難しいな…。そのうち諦めてくれるかな…?」
などと思っていました。
多分、
ボランティアで関わりのある他のアーティストにも投げてみているとは思うんですが、
多分誰もが実際歌詞にするのは難しいと思っていたでしょうね…。
正直自分も泥棒坂と聞いただけで、
まず難しいだろうと思い込んでいたし、
ボラ宿の熊谷さんがいつも我々の気持ちを察してか、
話が出る度に村上さんに諦めるように
「泥棒坂は無理!無理!」と助言してくれていました。

ところが、この前気仙沼に行った時、
急遽村上さんがコーディネートしてくれてライブをした公営住宅の皆さんが、
歌本でドンパン節の気仙沼版替え歌を合唱した時、歌詞に「泥棒坂」と出て来て、
村上さんだけでなく気仙沼の人にとっても馴染みの坂なんだ…と思った途端、
何だかアーティスト魂に火が点きました。
気仙沼って、漁港として海のイメージが強いですが、
すぐに高台が迫っていて、実は山が近くて起伏があり、
改めて気づきましたが坂が多いんですよね。

気仙沼を離れる前に、村上さんと実際泥棒坂ツアーをして、
村上さんの子供の頃の思い出などを聞きながらイメージを膨らませ、
難題を解決する覚悟を固め、帰宅して構想を考えながら何とか完成しました。
村上さんの幼い頃の小学校の通学路で、
昔は道幅も狭く舗装もされておらず、
今より鬱蒼として不気味な坂だったようです。
ランドセルを背負って学校に通った頃の村上さんの思い出の泥棒坂と言うことで、
坂名が坂名なのでほのぼのとした遊び心を入れた曲名にしようと思い、
村上さんの下の名前が「みつる」で「みっちゃん」と呼ばれていたそうなので
【みっちゃんと泥棒坂】にしました。
曲名見ながら、そう言えば昔聴いた松山千春のアルバムに
「良生ちゃんとポプラ並木」と言う曲があったな…と思い出しました。
何年も前から諦めずに口にし続けた、
何だか村上さんの執念の1曲!って感じですね。
多分想定外でこんな歌詞になったのか…という感じだと思いますが、
かなり難題の約束を思いの外早く果たせて一安心です。
これから気仙沼の歌のCDもレコーディングして作る予定なので、
気仙沼の歌が更に1曲増えての収録になりそうですね。

今の村上さんが、幼い頃の自分を客観的にみっちゃんと呼んだり、
最後の2行の歌詞にも遊び心入れてますが、
「泥棒坂」と言う名称の印象とはかけ離れて、
意外にも真面目な歌詞になりました。

♬ みっちゃんと泥棒坂

1:喜久ヶ沢にある 人影ない坂道
誰が名付けたのか 泥棒坂
小さな背中に ランドセル背負っては
みっちゃんが通った 通学路

春の木漏れ日揺れ 夏の蝉時雨浴びて
息を切らし登った 思い出坂
面影踏みしめながら 登ってゆくと
今も友の呼ぶ声が 聞こえるようで

2:鬱蒼とした木々 薄暗い坂道
何の謂れなのか 泥棒坂
小さな歩幅の おぼつかない足取りで
みっちゃんが通った 通学路

秋の枯れ葉が舞い 冬の風が吹き抜けて
足を早め下った 思い出坂
面影踏みしめながら 下ってゆくと
今でも母が微笑んで 待ってるようで

巡る季節は往き 時を刻みまた巡り
いつしか遠い昔の  思い出坂
悲しいほどふる里は 変わったけれど
今でも心のふる里は あの頃のままに

みっちゃんの心盗んだ 泥棒坂
今でも心盗まれる 泥棒坂

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・喜久ヶ沢坂(泥棒坂)。
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※実際、村上さん以外にも泥棒坂通って学校に通っていた人から、
泥棒坂のイメージそのままの歌詞で昔を思い出したと
嬉しいコメントを頂きました。

ご冥福をお祈り致します。

4月30日~5月1日にかけて、
平成~令和への新たな時代へに変わるタイミングでしたが、
自分が音楽を始める前、
脱サラしたタイミングからの知人小原伸行さんが4月27日に享年75歳亡くなられ、
奥さんからメールを頂き、通夜、告別式と参列して来ました。

考えたら小原さんとは随分ご無沙汰していて、
昨年4月の入間のコンサートに久々に思い出して案内メールを出したら、
参加するとの返事が来たんですが、
結局当日来られなかったので具合が悪いのかな?と思い、
その後、昨年11月池袋のライブの案内を出したら来てくれたのが最後でした。
お酒の好きな方でしたが、
久々に会ったら、無事に帰宅できただろうか?と心配したくらい
元気だった小原さんとは全然違う随分弱っていた印象でした。
一度お元気な頃に、
夏の終わりの小木まつりの自分のステージに合わせて佐渡に遊びに来てくれて、
実家で親父と一緒に酒を飲んだのを思い出します。
佐渡を気に入ったようで、
「飲み仲間と一緒に来て、佐渡で飲めたら最高だな…」と言っていました。
調べたら佐渡に来てくれたのが2011年8月末だったので、
東日本大震災の年、8年も前ですね…。
4,5年前だったかな?と言う感覚でしたが随分経ってました。
そう言えば、4月に2回気仙沼に行きましたが、
4月の頭に行った時に知り合った建設会社の社長さんが小原さんの笑い方そっくりで、
その後4月20日にイベントで行った時にもまた再会し、
やっぱり小原さんに似てるな…と、小原さんを思い出しました。
小原さんには、 昨年11月のライブで7年ぶりの再会ったんですが、
小原さんを思い出した1週間後に亡くなったと思うと、
今思えば虫の知らせのようなそんな気がします。
ご冥福を心よりお祈り致します。

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