佐渡から帰る途中の出来事。

さて、昨日長野経由で夜中に帰省から帰り、また日常に戻りました。
長くなりますが、偶然とは思えないことがあり、
追悼の意を込めて書いてみようと思います。
長野に向かうのに高速に乗らずに、
初めて寺泊辺りから新潟の海岸線を暫く走ってみましたが、
途中でビックリすることがありました。
夏の長岡花火でお世話になった
フェニックス救援隊古川代表の所有するフェニックスハウスを経由し、
しばらく行ってからナビが内陸部に案内したので一旦そちらに行きかけたんですが、
車を止めてトイレ休憩できる最寄りの場所を検索すると、
海岸線をもう少し行った所に出雲崎の道の駅が出て来たので、
また戻って海岸線を走り立ち寄りました。
すると、何とそこに6年前に自分が依頼されて作曲と歌入れをして作った
「佐渡世界遺産の歌」のCDが販売されているのを発見!
と言っても1枚しかありませんでしたが…。
作詞された佐渡金山の地元相川の故市川求さんは、
3年前に亡くなられてしまいましたが、旧相川町の観光課長をされていたこともあり、
地域の観光活性に熱心な方でした。
このCDを作った6年前、ご自身の作詞したものがCDになり、
凄く嬉しかったんだと思いますが、
ガンの闘病中ながらパワフルな方だったので、
自分の10周年ライブにも佐渡から駆けつけて販売したり、
目標にしていた1000枚をあっという間に捌いてしまいました。
ちなみに葬儀の時にも、
大好きだった千昌夫の歌と「佐渡世界遺産の歌」がずっと流れていたそうです。
歌詞を書くくらい市川さんにとっても、
佐渡の世界遺産登録というのは念願だったのですが、
国内推薦の段階でライバル地域に負けながら5年流れて来て、
ただ大体どの地域もそのくらいかかるようなんですが、
今年、佐渡が国内推薦を取れる大きなチャンスの年らしく、
関係者は最後の期待をかけて頑張っています。
そのCDを見つけて初めて知りましたが、
出雲崎は佐渡から船で金を運ぶ航路だったので、
関係の深い土地柄と言うことで市川さんルートなのかはわかりませんが、
CDがこちらにも渡り販売されていたようです。
ふと、市川さんに連れて来られたような感覚になりましたが、
実は、暮れのXmasライブに、市川さんの従妹の方が来てくれていて、
最近「佐渡世界遺産の歌」はほとんど歌って無かったんですが、
追悼の為にと今回久々に歌ったばかりでした。
そして、その従妹の方とつながったのは、
昨年7月に世田谷一家殺害事件はじめ、
殺人事件被害者遺族の会「宙の会」の土田さんからのお声掛けで参列した、
20年前の歌舞伎町の火災事故で亡くなった犠牲者の慰霊祭でした。
ご遺族に佐渡の方がいると聞いていたのですが、
まさか市川さんの従妹だったとは知らず、
従妹の方は自分のことを知ってくれていたんですが、驚きの出会いでした。

またその前には、市川さんが亡くなってすぐでしたが、
これまた何でこんなミラクルが!?
と驚くような流れで市川さんの弟さんとつながりました。
(実は、市川さんの弟さんとは知らず、15年ほど前に一度会ったことがありました)
弟さんは市川さんの話が出る度に偉大な兄と慕っていましたが、
何と奇遇にも佐渡と姉妹都市で
自分が頻繁にライブをしている入間に住んでいたことから、
市川さんが亡くなった後は、
自分が代わりにYAMATOを応援すると言ってくれていました。
入間コンサートの時のスタッフを2回ほどしてくれたんですが、
一昨年のホールコンサートを手伝ってくれた後、
メールのやり取りが途絶えてどうしているのかな…?と気になっていたので、
その慰霊祭で従妹の方に確認すると、
実は急逝していたこと知ってびっくりしました。
偉大な兄と慕っていたお兄さんを追うように亡くなった感じですが、
まだ60歳前だったと思いますので若過ぎましたね…。
市川さん親族とは、不思議とそんなつながりがあるのですが、
そんなことが重なってのこのCDの発見。
ナビの案内のまま内陸ルートを通っていたらCDを発見することも無かったと思うと、
市川さんに連れて来られたようで何か偶然には思えなくて、
市川さんご兄弟の追悼の意を込めて書いてみました。

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