ブーゲンビル島戦艦大和フォルム発掘の旅:報告:3

さて、ブーゲンビル島の報告の続きです。

●8月1日(月)
捜索最終日。

・発見される前兆か….、早朝、虹が架かりました。

・毎朝やって来るサイチョウと虹。

前日、”小川”隊長が、ビッグマン(酋長)にフィルム発掘の協力を正式に依頼したので、
この日は、何か皆さん気楽な感じで、とりあえずの調査という感じで捜索に出かけました。
実は、前日歩いたルートに気になった場所があったので、
そこを掘ってみようかという話になっていたのですが、
ビッグマン(酋長)が、この日は、また少し違うルートを歩いてみようということになり、
従うことにしました。

・ジャングルに向かう戦友”松下”さんと”吉田”さん。

前日のような湿地がほとんど無かったので、随分と歩きやすいルートでした。
歩いても歩いても、
やはり、なかなか小高い丘と言えるような場所は見つかりません。

・途中休憩。

村人は、とても気が付く思いやりの深い人たちで、
休息の時には、必ず大きなバナナの葉を切って敷いてくれます。
そして、よく働きます。

この日は、最終的に日本軍が駐留した跡が残る場所に辿り着きました。
70年近く前の日本軍のジャングルでの生活の跡がそのまま残っていると言うのが、
何か不思議な感覚でした。
この場所で、終戦を迎えた人もいたのでしょうか…?

・旧日本軍の駐留跡で。

・散乱するガラス瓶。

・中には、キリンビールの文字が入ったビール瓶も。

・「SHOFU FILTER」の文字。

・調理に使っていたドラム缶でしょうか。

こういった日本軍の生活の跡がしっかり残る場所で、
しかも、倒れた巨木があり、
近くを流れる小さな川を基準にすれば、小高いとも言えなくはないとのことで、
取り合えずここで簡単に掘ってみることにしました。
”小川”さんは、巨木の上に上がって、
”早川”氏が刻んだという住所、名前がないか、
堆積した泥とコケを取り去りながらチェックしていました。

・倒れていた巨木。

・スコップで掘っているところ。

結局、この一カ所だけを簡単に掘ってみて、
今回のフィルム捜索を終えることになりました。

・日本軍の駐留跡地で、捜索隊とナカロ村の村人で記念撮影。

この後、またジャングルを歩いて村まで戻りましたが、
とりあえず、ジャングルから車道に出て、路肩で一休み。
その間に、添乗員の”新垣”さんとドライバーが車を村まで取りに行ってくれたのですが、
すぐ来ると思っていたのに待てど暮らせど戻って来ず、
1時間半くらいしてやっと車で迎えに来ました。
よくよく聞くと、村までもっと近い場所だと勘違いしていたらしく、
村まで歩くだけで1時間以上かかったとのこと。(笑)

”新垣”さんが、村まで歩いている途中、
3派あったブーゲンビル革命軍のうちの1派のリーダーだった人物と出会ったと言っていましたが、
以前とは違って、随分穏やかな顔に戻っていたそうです。
パプアニューギニア政府と革命軍が対立していた頃は大変だったようで、
きれいな外資系ホテルが焼打ちに合ったり、
革命軍が、飛行機が離着陸できないように空港の滑走路を掘り返したり、
送電線を倒したり、
今も、至る所に傷跡が残っているわけですが、
ブーゲンビル島内で虐殺された人たちも数万人に上るようです。
このような悲惨な時期を経て、間もなくブーゲンビル島が国として独立することになります。

村に戻ると、
この数日の村人の協力に感謝して、
ナカロ村との友好のためにライブをしました。

・ビッグマン(酋長)の可愛い末娘。

・村人と最後の記念撮影。

やっぱり言葉は違っても音楽は世界共通。
大人も子供も喜んでくれました。

・この日の宿の夕食の魚。

我々のブインでの捜索に同行してくれている
観光局の職員”ローレンス”とドライバーの”ディスモンド”は、
宿に帰るとすぐ、デジカメで撮影した画像と俺のCDの音源をパソコンに取り込んで、
フォトスライドショーを作っていました。

・フォトスライドショー制作中。

・宿からの夕焼け。

発掘最終日も、結局フィルムは発見できず終わりました。

●8月2日(火)
本来、この日は、ブインで撃墜された山本長官機のところに行く予定だったのですが、
途中まで行くと、ドライバー”ディスモンド”の親戚から
長官機の墜ちている村で少しゴタゴタがあるので翌日の方が良いという情報が入り、
この日は、中止。
一度宿に帰ってどうしようかと言うところで、
”小川”さんが、ブインで果たしたかった目的のもう一つにブイン山に登ることがあったのですが、
ブインに来て早々、近くの集落の人にブイン山の状況を尋ねると、
現地の人も、今はあまり登らないので止めた方が良いと言われ、一度断念していました。
ところがこの日、”小川”さんが「一人でも登ろうかな…」と言い出しました。
ブイン山と言う山は、確かな標高はわからないのですが、
おそらくあってもせいぜい200メートルほどではないかと思います。
戦時中旧日本軍が、
連合国軍がブイン海岸に攻めてくるだろうという推測から
ブイン山山頂を迎え撃つための攻撃拠点にしていたのでした。
実は、”小川”さんがブイン山にこだわる理由は、
4年前にTBSが戦艦大和のフィルム発掘を取材した時に、
愛知県の”片山”さんという戦友の方から
自宅に持っている馬の尻尾の毛で作られた戦艦大和の大きな艦旗を見せてもらったことがあり、
実は、その”片山”さんが、戦前最後にそのブイン山で戦っていたとのことで、
山頂の写真を撮って来てほしいと頼まれていたからでした。
”片山”さんには、
「現地の人も今あまり登らないので止めた方が良いと言われて登れなかった」
と言えば済んだと思うのですが、
”小川”さんは、友人”早川”さんの遺志を継いで戦艦大和のフィルム捜索に乗り出した方ですから、
何とかして”片山”さんの思いに応えたいと言う方向に気持ちが働いたのと、
やはり、撮影したいというプロカメラマンの性もあったんでしょう。

”小川”さんが登るなら俺も登ってカメラを回すと伝えると、
結局、有志の”小川”さん、”吉田”さん、慎重だった添乗員”新垣”さんと俺の4人で登ることに。
ところが、この辺りからというところで登り出して間もなく、
草が茂っていてどうも思うように前に進めず、
すぐに、山を熟知している地元の住人に同行してもらおうと呼びに行くと、
村の婦人が来てくれて道案内をしてくれることになりました。
婦人は、我々が行こうとしていた道ではないところから進んで行き、
そうすると思いの外、途中からはほとんど草もなくしっかりとした山道がついていました。
低い山とは言え、
山道が緩やかに蛇行してつけられているのではなく、
ほぼ、真っ直ぐ山頂に向かってつけられていたので、
傾斜が20~30度くらいあったのと、
途中、あきらかに酸素が薄くなったと感じる地点もあり、
これが、かなりきつい登山になりました。

・途中休息中。

俺は、一生懸命カメラを回していましたが、
皆さん、途中何度も休みながら、結局1時間半くらいかかって山頂に到着しました。
しかし、村の婦人はお伴の犬二匹を従えながら、
途中”吉田”さんに手を貸して引っ張ってあげる余裕もみせながら、
何のことは無くスイスイ登っていました。
”小川”さんも、かなり大変だった感じですが、
山頂に着くと、”片山”さんとの約束を果たせたと達成感に満ちていました。

・功労者の村の婦人。

・達成感に浸る4人。

・敵艦までの距離を測る装置らしい…。

戦闘機からの弾が垂直に当たると、これだけの鉄も貫通してしまうんですね…。

帰りは、40分くらいかけて下って来ましたが、
帰りは帰りで足に負担がかかって大変なんですよね。
”吉田”さんは、柔らかい地下足袋だったせいか、爪が一つ死んでしまったようです。

・お伴の犬たちも一休み。

皆さん、ヘトヘトでしたが、
途中、ブイン山の麓から少し登ったところで
脇道に逸れて歩いて行った高台にある慰霊碑にお参りして下山しました。

・「日本将兵之碑」と書いてあります。

下山して村に着くと、子犬がお供してくれた母犬を待っていました。

・お疲れ様!

実は、登山があんなに大変になると思っておらず、
皆さん、飲み物を持って行かなかったので、
下山後のコーラは美味かった~!

・一働きしてきた婦人を待っていた家族。

・皆で記念撮影。(後ろがブイン山)

しかし、ドライバーの”ディスモンド”や観光局の巨漢”ローレンス”などは、
ジャングルでのフィルム捜索はもちろん、
わざわざこんな大変な登山まで終始同行してくれたのでした。
彼らの誠意がとてもうれしくなりましたね。

戦艦大和のフィルムは発掘できなかったものの、
今回の目的の一つは達成でき、達成感のある一日となりました。
しかし、宿に帰ってから、
”小川”さんは、両足の腿、ふくらはぎから始まり、
背中の筋肉までがほぼ全身筋肉痙攣を起こし、
痛みで絶叫するのを、皆が、両手で筋肉に圧をかけて治まるのを待つという状態になりました。
”吉田”さんも、”小川”さんが落ち着くとさすがに疲れたようで、
その後は、俺が全身マッサージをしてあげました。
いや~、本当にお疲れ様の一日でした。

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