出会い(人生)は偶然か…?必然か…?

日々、様々な人との出会いを繰り返す。
日常生活の中で無意識にすれ違う人は数限りない。
ただ、その中から大切な人間関係に発展する出会いが生まれる。
全てが必然と言ってしまうととっても窮屈な気がするが、
偶然では割り切れない出会いも確かにある。
その出会いに意味があるかどうか?となると、
意味があると考えれば必然であり、
無いと考えれば偶然ということで大筋はくくれる気がする。

人生を単純に偶然の連続で成り立っていると考えると、
何だかとっても薄っぺらな気がする。
全てが必然と言い切るつもりは全くないが、
自分の人生で起こる様々な出会いや事象をじっくり見つめた時に、
明らかに必然としか捉えられない出会いがあるものだ。
点と点が結ばれて線になるって感じ…。

自分の人生、音楽をやることが必然だったと考えると、
一見遠回りしたように見えながら、
今の音楽活動にとってこれまでの経験が実にプラスになっているのである。
小6の時に恩師の影響でギターに出会ったこと自体が必然ということになる。

前置きが長くなりましたが、
何故こういうことを書いたかというと、
来月に控えているソロモン諸島の慰霊巡拝ツアーに
『全国ソロモン会』事務局からの強い要望があり参加することに対して、
最近になって強い必然性みたいなものを感じ出しているからです。
まさに点と点が線で結ばれる感覚です。

何故必然性を感じるのかという理由をわかり易く
現在から過去に時系列で書いてみます。

★『全国ソロモン会』主催、ソロモン諸島慰霊巡拝ツアー参加予定
※以前、由紀さおり・安田祥子姉妹に同行してもらい慰霊の計画があったようですが、
その計画は流れて、歌手としては自分が初めての参加のようです。

★2008年、偶然、知人である”Y婦人”が参加している『全国ソロモン会』の
遺骨収集のドキュメンタリー番組を見たことから【涙雨】を制作し提供。
『全国ソロモン会』との交流が始まる。

★2004年、音楽活動開始

★2000年、”Y婦人”と自分のビジネスのお客さんとして出会う。
(当時、Y婦人はそろばん塾をされていて、
遺族としての遺骨収集活動には携わっていませんでしたし、
自分もそういう背景は全く知らず、音楽活動も全くやっていませんでした。)

ここまででも、それなりに”Y婦人”との出会いに必然性を感じるのですが、
もっと遡ると言うか、
何の因果か、自分が生まれながらに与えられている名前にも
更に必然めいたものを感じるのです。

アーティスト名『YAMATO』の由来は、
ご存知の通り本名の「山登(やまと)」からです。
これでも十分なくらいですが(笑)、下の名前は『靖』。
何と子供の頃から父親が俺の名前を相手に説明する時に、
何かにつけ「靖国神社の靖です。」と説明するのを聞いて育ったので、
俺も相手に名前の漢字を説明する時にそう言って来ました。
でも、本来は”井上靖”の名前をもらったようなんですが…。(笑)
2005年、長渕剛がテーマソングを提供した映画『男たちのYAMATO』。
何とよりによってタイトルに「大和」でなく、
俺のアーティスト名と同じ「YAMATO」が使われていたことに正直驚きました。(笑)
そして、駄目押しに俺が通った大学は、「靖国神社」のすぐ隣にありました。(笑)
そんな俺も、実は、靖国神社には確か2度ほどしか行った事がないと思います。
それも参拝という目的ではなく…。

こうやって俺が生を受けた時までの人生を遡って振り返ると、
最近になって自分の人生の中で音楽という手段を通して、
日本という国家でその恩恵を享受しながら生きる者としての連帯的責任とも言うべきか、
戦争で亡くなられた方々の御霊の慰霊という目的を果たさなければならない、
ある意味そういう必然的なものを感じてしまうのです。
偶然と割り切ってしまえばそれまでなのですが、
自分の中では、今回のソロモン諸島慰霊ツアー参加の要請を受けた時から、
これまでの人生のいくつかの点が太い線で結ばれた強い感覚を受けています。

言うまでもなく、
戦争は多くの尊い命の犠牲が伴うもので、
如何なる理由があるにせよ決して肯定されて良いものではないと思っています。
太平洋戦争の時代に当事者として関わったわけではない現代に生きる我々は、
現在の国際的な感情を伺いながら当時を客観的に批判するのは簡単です。
ただ、当時の時代的背景の中で、
国家の主導権を握っていた一部の権力者の執った政策のある意味犠牲者であり、
時代に翻弄されたという言葉がぴったりではないかと思いますが、
国家のため家族のためという純粋な精神を抱きながら捧げられた多くの若く尊い命に対して、
日本国民である以上、
その歴史的な犠牲の土台の上に国民としての恩恵を享受している以上は、
亡くなられた方の個人の尊厳として慰霊の念を捧げるべきであると思えて来ます。
それは、決して戦争を肯定することとは別であると思いますし、
逆に個人の尊厳を尊ぶことと過去の史実を知ることによって
同じ過ちを繰り返さない平和への強い願いに繋がることだと信じています。
自分自身の反省も含め、
無関心であることが一番よくないことなのだろうと思います。

先日、たまたま40歳代後半の知人と会っている時に、
妻と子どもを連れて靖国神社に行って来たと言っていました。
その知人とはそういう話をしたことが無かったので驚きました。
当時、出兵する前に残された若者たちの寄せ書きをずっと読んでいると
胸に込み上げてくるものがあり、
ご英霊という敬意の念しか湧いてこなかったと言っていました。
そして、子どもたちの教育に対しても
自分達の先祖はこんな過ちを犯したとマイナス要素ばかりを列挙して教育するより、
国家のために家族のために犠牲になっていった
尊い精神性の部分に対しては誇るべきものとして育てる方が
日本と言う国を背負っていく子どもたちにとっては絶対プラスじゃないかと言っていました。

自分も『全国ソロモン会』の方との交流を通しながら、
人生の中では本当に極々短い期間に築かれたはずの
戦友という命がけで築かれた絆がどれだけ深いものであったか。
戦後64年目に入った今もなおその絆を大切にされ、
老体に鞭打って遺骨収集というかたちで余生を捧げている方がいるという現実があります。
一人一人の命の尊厳と言うものが軽んじられて来ているのでは?
と思われる事件が連日のように報道されている今日の我が国。
今日の我が国で失われてきている人としての心の美しさと言うか、
人としての大切な部分を改めて感じさせられる気がします。

国境という壁がある以上、
結局はどの国も自国の国益を第一に政策を考えるのが当然。
それが戦争の要因につながることがあるわけで、
個人的には、そこから真の国際平和と言うのは実現できるのだろうか…?
という疑問はあります。
でも、その反面、自分の生まれ育った母国さえも愛する気持ちを持てない者が、
本当に世界の平和を考えられるのだろうか?という思いも同時に沸いて来ます。

そういう諸々の思いを抱えながらソロモン諸島に行って来たいと思っています。

2件のコメント

  • By yuusuke320, 2009年3月27日 @ 7:56 PM

     こんばんわ。 おじゃまします。
     トラックバックがないようで長くなりますが・・・

     昨年のオイラのブログ(http://yuusuke320.blog115.fc2.com/blog-entry-387.html)です。

     先日、映画「靖国」見てきました。  あなたは見ましたか? 数ヶ月前のマスコミ騒ぎは何だったのでしょうか? 静かな上映会でした。
     定点観測「靖国」の問題点をピックアップして淡々と克明に描いてました。 「誰も知らなかった、歴史がここにある」との映画コピーそのものです。ですが、李纓監督が中国人(日本在住19年)でなければこれほどサワギにならなかったのでは?との感想です。確かに「靖国」をテーマに10年も取材した彼の視点と執念には拍手と称賛を贈りたいが「靖国神社には、もうひとつの日本の歴史がある」を知らしめてくれた彼の行動力を非合法で排除しようとする集団の存在こそ問題なのではないか・・・・・

     

  • By yamato, 2009年3月29日 @ 5:38 AM

    > yuusuke320さん、

    「靖国」、まだ見たこと無いです。
    「靖国」の問題に関しては、テレビニュースで報道される首相はじめ閣僚などが参拝したしないの内容を耳にしていた程度で、本当靖国神社に対する意識を持ち出したと言えるのは、『全国ソロモン会』との交流が始まってからと言っても良いかもしれません…。
    中国人の監督なんですね…。
    レンタルででも借りて見てみたいと思います。

    ブログ拝見しました。
    六本木で喫茶店をされてたこともあったんですね…。

Other Links to this Post

この投稿へのコメントの RSS フィード。 TrackBack URI

コメントする

WordPress Themes