また、新たなご縁が…。

今日、いつも応援して頂いている佐渡つながりのSさんから電話が入り、
「鼓童https://www.kodo.or.jp/news/index_ja.htmlの”藤本容子”https://www.otodaiku.co.jp/yoko/morisa_komorisa.htmlさんに
【花の木コンサート】https://gazoo.com/G-Blog/SADO_MURA004/128972/Article.aspx
にゲストで出演してもらえるように話したんで連絡してみて。」
という話になりました。
驚いたことに、Sさんが、自分がソロモン諸島に慰霊巡拝に行ったという話しをされたところ、
実は、”藤本容子”さんの叔父さんがやはり南方で戦死されているという話になり、
大変驚かれたということでした。

元々”藤本容子”さんとは面識があったんですが、
ステージ構成も考えてしまった後だったので、
一人ならどうにでもなるんですが、
今回サポートメンバーが多いので正直どうしようかと思ったものの、
”藤本容子”さんの叔父さんが南方方面で亡くなられているという話から、
これはまた何かのご縁だとも感じたので、
「全国ソロモン会」の方達と是非お会いしてもらいたいと思い連絡をしました。

”藤本容子”さんは、鼓童でただ一人歌を中心に活動をされていて、
子守唄をテーマにしている歌手です。
実は、昨年、佐渡でのライブに知人から誘われて一度行ったことがありました。
その時に少しお話させて頂き、
自分が子供の頃、母親からよく子守のことを聞かされたと話したところ、
是非話を聞きたいと興味を持っていただいたことが最初のご縁でした。

昨年のメジャーデビュー直後、
佐渡の『TSUTAYA』でのインストアライブにお越し頂きCDを買って頂いた後、
今年に入り、佐渡に帰るタイミングで母親を交えて話を聞きたいとわざわざ電話を頂き、
「YAMATOさんの曲大好きですよ。」とうれしい言葉も頂きました。
ただ、その後、”藤本容子”さんも鼓童で海外に出られたりなかなか忙しい方なので、
連絡が途絶えていたんですが、
今日、Sさんからの電話をきっかけに自宅に電話をしたところ、
ニューヨークから帰られたばかりとのことで、久々に話ができました。

”藤本容子”さんご自身も少し前までは戦争が遠いものに感じていたそうですが、
最近になって叔父さんが戦時中南方方面で亡くなられた事実を知り、
身近なものに感じるようになったそうです。
子守唄を軸にした活動の中で、子守唄が慰霊に通じることを感じていらっしゃるようです。
”藤本容子”さんのお叔父さんは、パプアニューギアで亡くなられたとのことでしたが、
7月にまた慰霊に行くブーゲンビル島は現在パプアニューギ二ア領になります。
最近のソロモン諸島の慰霊巡拝を通して自分の中に芽生えてきた
慰霊と平和という思いと合致した気がして、
話していて本当に共感できて通じるという感覚で、
また新たなご縁を感じさせて頂きました。
これも、自分がソロモン諸島の慰霊巡拝に行ったからこその出会いで、
感謝に尽きますね。
そして、ご主人さんは、”鼓童”草創期からの太鼓の大御所
”藤本吉利”https://www.kodo.or.jp/member/yoshikazu_ja.htmlさんなんですが、
何と叔父さんが自分の叔父さんと同じシベリアで亡くなられているというご縁も。

結局1時間以上話したでしょうか…。
”藤本容子”さん、ライブの時のMCでもそうでしたが、
本当に情に脆い方で、
今日も電話の向こうで何度も声を詰まらせていました。
自分も話をしながら胸が一杯になってしまいました。

結局、当日”藤本容子”さんにも飛び入りで2曲ほど歌って頂く事になり、
「全国ソロモン会」の方々が来られるので、
”藤本容子”さんの子守唄、本当に良いタイミングだったと思います。
また、新たなご縁を感じた1日でした。

そう言えば、この前佐渡に帰った時、
シベリア抑留を経験して、まだ健在の87歳の叔父さんから、
シベリアで亡くなったもう一人の叔父さんの情報や抑留中の話を聞きました。
足を怪我して動きが鈍っているところに、
他の人が伐採した大木が倒れてきて下敷きになって亡くなったと聞いているそうで、
シベリアのチタ地区で亡くなったらしいと伝え聞いているとのことでした。
この写真しか残っていないと言う、20歳頃に満州で撮影した戦友との全体写真があり、
皆で大笑いしている最高の笑顔の写真で、
それだけに胸に迫るものがありました。

従姉の姉さんも話をずっと聞いていたんですが、
突然、「あら?いつの間にか写真が傾いてる!」と。
居間に亡くなった叔父さんの靖国神社からの額入りの遺影が飾られているんですが、
見たら額の中の写真が斜めに傾いていたんです。
何十年も飾られてきて初めてのことらしいですが、
自分が、亡くなった叔父さんへの慰霊に関心を持ち出したことに対して、
何か信号を発してくれたような気がしてなりませんでした。
情報を収集して、遅かれ早かれシベリアにも慰霊に行けたらと思い出しています。

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