シベリア慰霊巡拝報告:前半

3泊4日のシベリア慰霊巡拝から無事に帰国しました。
今回は、少人数の参加者で、
と言うか、本来定員に満たず、
中止になるはずの予定の最後の慰霊巡拝コースが、
自分の問い合わせによってギリギリ復活したものでした。
昨年、「東京ヤゴダ会」主催の千鳥ヶ淵のシベリヤ抑留死亡者鎮魂祭でお世話になった
「東京ヤゴダ会」杉村事務局長さんを団長とした男性5名、添乗員1名のツアーでした。
杉村団長(抑留経験者)、松村氏(抑留経験者)、野口氏(元高校教諭)、
水野氏(会社経営)、YAMATO、小林氏(添乗員)
本当は、遺児にあたる女性がもう1名参加予定だったのですが、
直前になって、
親戚の不幸で参加できなくなってしまい、
初めてお父さんの慰霊に参加する予定だったようなので残念だったと思います。

●7月22日
15:50発のウラジオストク航空で2時間10分、
現地は、日本より2時間進んでいるので20:00ウラジオストク(アルチョム空港)着。

機長が先に降りることになているらしく、客は、待たされます。
空港で写真を撮ると止められました。
唯一の1枚。
以前は、ウラジオストクは軍港なので、
ウラジオストクの軍港付近で撮った写真は没収されたようです。
まだまだ、社会主義の名残が色濃く残っている感じです。
空港に着いた時に、
中国に似た印象を受けたのもそのあたりが影響しているんでしょうね。

1日目は、ウスリースクホテル宿泊。
空港から約80キロ移動。
ホテル隣接のレストランで初めてのロシア料理を食べました。
前情報の通り、まず、量が多いし、脂っこかったですね。

・レストラン

・ロシア人ガイドと運転手

最初に出てきた野菜の前菜だけで腹いっぱいに。(笑)

・スープ             ・少し油が混ざった白米。
 
魚が出たんですが、撮り忘れました。

・ウスリースクホテルロビー

・ホテル室内

さすがに、ソロモン諸島で宿泊する宿から比べたら格段良かったですが、
エアコンがないのでちょっと暑かったですね。
さすがに、ソロモン諸島にはありました。
夏が短いとは言え、
扇風機くらいは置いて欲しいなという感じでした。

・ホテル外観

●7月23日
慰霊巡拝、第1日目。
・最初に、慰霊祭用の供花購入。

・ウスリースク埋葬地慰霊碑

 
この慰霊碑は、山道を上がったような寂れた場所にあり、
道からも奥まったところにあったのでとても分かりづらく、
ドライバーがよく見つけてくれたという感じでしたが、
杉村団長は、英霊が呼んでくれたんだと言っていました。
本当、そんな寂しい場所にありました。

・ノボニコーリスク埋葬地慰霊碑

この慰霊碑周辺は、いかにもシベリアという大草原が広がっていました。
この後、一度ウスリースクに戻り、昼食後、94キロ移動し、レッチホフカへ。

・レッチホフカ埋葬地合同慰霊碑

この時は、近所に住んでいると思われる6歳の女の子がおばあちゃんとやって来て、
おばあちゃんは遠くから見ていましたが、
抑留経験者の松島さんがおばあちゃんの了解を得て、
女の子もずっと慰霊祭に参加し黙祷もしてくれていました。
ビデオにはおさめたのですが、写真を忘れました。
松島さんも、良い供養になったと言っていました。

・ボカルーチ会慰霊碑


この慰霊祭で【涙雨】を歌っているとき、
歌が聴こえたようで、後ろに見える宿舎からロシア人が何人か聴いていたようです。

・移動中は、こんな景色が続きます。
  
この後、50キロ余り移動し、アルセニエフへ。

・この日の宿近くの屋台。
カメラを向けたら、恥ずかしがって顔を隠した女の子。

・二日目の宿。(ドブラブシーカホテル)
  

・ホテルの食堂
 
この宿は、家族経営らしく、
経営者のおばちゃんが、滅茶苦茶愛想が良かった。(笑)
本来のロシア人は陽気だという真髄をみたような人でした。
ロシア人の中では、普段は、ツンとしているほうが賢く見えるという風潮があるようです。
長年の社会主義政権下の影響もあるんでしょう。

こんな感じで、第一日目の慰霊日程を終えました。

ウラジオストク周辺地図。
https://map.yahoo.co.jp/pl?lat=43.133150&lon=131.930691&ei=UTF-8&type=scroll&mode=map&p=%E3%82%A6%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%AF&sc=15

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