ソロモン諸島の報告:1(18日~21日まで)

ソロモン諸島から帰国して早10日ほど経ちましたが、
一昨日は、従弟が自動車の修理工場を経営しているので、
留守中に車検と車の板金修理を頼んでいたのが仕上がり引き取りに行って来ました。
新品のようになって車が返って来ました。(笑)
【セブンスナイト】
https://www3.ocn.ne.jp/~seventh/about.html

その後は、久々に埼玉の母”M”さんとお会いしてソロモン諸島の報告をし、
また、9日の渋谷APIAのライブでお友達といらしてくれるということで別れました。

そして昨日、また、えっ!と驚くようなつながりが判明しました。
年初めに参加した異業種交流会で唄わせてもらったのがきっかけで、
イベントの企画を仕事にされているご婦人と知り合い、
6月に「三越友の会」主催の食事会でライブをしないかと声をかけて頂いたんですが、
昨日、ご婦人から自分のライブ案内が載った
「三越友の会」の会報誌が送られてきたので電話をし、
慰霊巡拝のためにソロモン諸島に行っていた旨を話すと、
何と旦那さんのお父さんが自分が行って来たガダルカナル島で戦死されていて、
何年か前に旦那さん親族が慰霊巡拝に参加したとのことでした。
ソロモン会主催のものに同行した可能性が高いと思うので確認してみようと思いますが、
本当にどうなってるの?というくらい人のつながりが生まれています…。

さて、簡単に現地での様子を報告します。
最高齢92歳の方を含む戦友3名、遺族9名、日蓮宗の若いご上人さん方3名、
そして、有志としてテレビ番組制作のために同行した放送作家と自分、
総勢17名の慰霊巡拝ツアーでした。

●4月18日
この日の21時過ぎに成田を出発。

●4月19日
翌朝4時半頃パプアニューギア二アのポートモレスビーに到着。
ここで乗り換えてソロモン諸島のガダルカナル島ホニアラへ向かったんですが、
乗り継ぎ時間のタイミング上、空港内で7時間余り待機。
これが大変でした。(笑)
15時過ぎにガダルカナル島ホニアラに到着。
日本の北野建設が経営している
「キタノメンダナホテル」:https://solomon-tour.jp/kitanohotel.html
に宿泊でした。
当然日本のホテルのようにはいきませんが、
冷房完備、日本食もあり快適でした。

●4月20日
この日からガダルカナル島の慰霊で残る人たちと二手に分かれて、
我々は、午前中にニュージョージア島での慰霊のために
そちらの遺族とともにニュージョージア島のムンダに国内線で移動。
宿は「アグネスロッジ」というロッジに宿泊。
冷房は無く、とにかくムンダはホニアラに比べて湿気が高く蒸し暑かったです。
洗濯物が乾かず困りました。(笑)

実は、自分が「全国ソロモン会」に提供した【涙雨】という曲は、
このニュージョージア島と翌日向かったコロンバンガラ島での慰霊巡拝シーンが
テレビのドキュメンタリー番組として放映されたのを見たのがきっかけでしたので、
まさにテレビで見た要所要所の場所を実際に自分の目で見ることができ、
何とも言えず感慨深いものがありました。

午後回った”戦争ミュージアム”という、
収集した戦時中の遺留品を集めて自分の家の敷地内に展示している場所があり、
ドキュメンタリー番組では、
収集された遺骨の焼骨と慰霊祭をその場所でしている時に雨が振りだし、
事務局長が、
「慰霊祭をすると必ず雨が降るので、涙雨と呼んでいるです。」と説明しているのを見て、
【涙雨】というタイトルが生まれたのでした。
その日も、我々が訪れて見学をし終わる頃にスコールがあり、
皆さんが、「やっぱり涙雨だ。英霊が来てくれたことを喜んでくれている。」
としきりに言っていました。
確かにこの地域は湿気が高く、晴れていると思うと急にスコールが来るようなんですが、
本当にタイミングがタイミングなんですよね…。

そして、その後行ったムンダの「全国ソロモン会」慰霊碑での慰霊祭では、
もっと感動的なシーンが生まれました。
慰霊祭を始める前にはすっかり晴れ上がり、
空に綺麗な虹が架かっていたため
皆さん本当に感動しながら慰霊祭に入りました。
慰霊祭は、大体一時間くらいなのですが、
三人のご上人方が全身全霊のお経をあげている途中から
晴れていた空が少しずつ曇ってきて、
その後、遺族代表の方が追悼文を読み終わり、
今回の慰霊巡拝で初めて唄うことになった【涙雨】の途中、
丁度2番を唄いだす頃に何と雨が降り出しました。
自分でも唄いながら「まさか!?」という感じでしたが、
それも、スコールのような土砂降りだとギターが濡れてしまうので、
中断せざるを得なかったかも知れませんが、
本当に”涙雨”というような降り方で、
歌が届いたというような何とも言えない感覚を覚えました。
唄っている間知り合いのご婦人が傘を差してくれていましたが、
終わると雨が晴れ、皆さん本当に感動してくれて、
事務局長さんが、
「YAMATOさんの歌が届いて、英霊が喜んでくれてるんですよ!」と
涙を流しながら喜んでくれている姿に、
本当に現地で【涙雨】を唄えて良かったと実感したひと時でした。
実は、自分は知る人ぞ知るですが、強烈な晴れ男で、
これまでの音楽活動の中で、
野外ライブなどは、自分の唄う前後で雨ということはあっても、
自分が唄う時には晴れるという経験を幾度となくしていて、
正直、唄っている途中でああいう雨に合うというのはほぼ初めての経験でした。
これが、今回の慰霊巡拝ツアーで最も感動的でドラマティックな一こまでした。

●4月21日
翌日は、朝から弁当を持って船でコロンバンガラ島行きメンバーと、
二十数柱の遺骨が現地の人によって保管されているという情報があるため、
その確認のためにレンドバ島行きメンバーに分かれました。
自分は、コロンバンガラ島に行きましたが、
115馬力のいYAMAHAの船外機を付けた船で2時間ほど走り、
子供の頃から実家に船があったので親父とよく乗っていたので、
とても懐かしい感じを抱き、
南国の海の風景を見ながら気持ちの良い移動時間でした。

コロンバンガラ島に着いてからは、
用意してもらっていた車3台で島の端から端までの縦断道路を約1時間半走り、
慰霊地である北天岬(現地名:トキ)に着きました。
この慰霊地もドキュメンタリー番組で見た場所で、
今回も来られていた遺族のK氏が、
海軍だったお父さんがこの海域で戦死されいるため、
番組で北天岬の海岸から遠くお父さんが亡くなられた海域の方に向かって
タオルを振りながら
「お父さ~ん、こちらに来てくださ~い!」と叫んでいるシーンが印象的で、
【涙雨】の”あなたの遣る瀬無い魂の嘆きが 雨となり地に落ち海となる…”
という最後のフレーズはそのシーンから生まれたもので、
まさにその場所に来たんだという感じでした。
この時も着いて慰霊祭の準備をしていると雨が降り出し、
雨が止むまで30分くらい海岸にあった小屋で待つことになりました。

大体どの場所でも慰霊祭をすると地域の住民や子供たちが集まってくるんですが、
皆さん、自分の父親の慰霊地がある場所ということで他人とは思えないようなんです。
現地の人たちにお土産を用意したりして、
大事にしている感じがひしひしと伝わってくるんです。
K氏は持ってくるだけで大変だったと思いますが、
息子さんが用意してくれたという30個以上あったのでは?
と思う数の帽子を現地の人たちに配っていました。
皆さん、毎回現地の人が喜びそうなお土産を何かを用意して慰霊巡拝に参加しているため
こういう時には、戦争という歴史的な負の遺産が、
民間レベルでの日本とソロモンの友好につながっていることを感じます。

帰りはもう少しというところで船上でスコールに合い、
皆さん用意してあった合羽を着て何とか到着しました。
レンドバ島の方も遺骨を確認できたようで、
撮影したビデオを見せてもらいました。
その夜は、コロンバンガラ最後の夜ということで、
フラダンスのルーツと言われるダンスを披露してもらったり、
自分も持って行ったギターで歌を披露し、
ダンスメンバーとのコラボもしたりでかなり盛り上がりました。
無事コロンバンガラ島での日程を終え、
また、翌日ガダルカナル島に戻りました。

ソロモン諸島地図(これで島の位置的なもの確認してください。)
https://tenjin.coara.or.jp/~nippon_f/chizu-5.htm

以上、途中までの報告でした、

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