ソロモン諸島報告:2(22日~25日まで)
戦後生まれ、
しかも戦争の記憶というものがすでに風化しいる世代の自分にとって、
ソロモン諸島の長閑な南国の風景を眺めていると、
60余年前にこの地で激しい戦いが繰り広げられたということが
どうしても結びつきませんでした。
車で移動している時も、船で移動している時も、
日本人だとわかるのでしょう。
現地の人は、子供であれ大人であれ気さくな笑顔で手を振ってくれます。
それに手を振って応え、また時にはこちらからも手を振りながら、
自分が佐渡ヶ島で過ごした幼い頃、
幼馴染と一緒にバイクや車に乗った観光客に向かって手を振って、
振り返してくれるとすごく喜んでいたあの頃を思い出しました。
そういう光景を見て体験しながら、純粋さというか素朴さというか、
日本を含め現代の先進国で失なわれてしまった何か大切なものがあることを強く感じました。
心が洗われるというかそんな感じです。
発展途上国の国々を訪れると貧しさの中にも
きっと多くの人がこいう感覚を受けるのだろうと思いました。
特に慰霊地のある近くの村々を訪れた時に接した子供たちの笑顔と眼差し、
本当に輝いていて見ているだけで感動し、心打たれました。
今日の日本では、こういう子供たちの笑顔や輝いた眼差し、
なかなか見れなくなってしまったのでは?というのが率直な感想でした。
写真でしか見たことの無い貧しい時代の日本の子供たちの眼差し、
好奇心に満ち溢れ、まさにそういう眼差しだったと思います。
そうであってはならないと思うのですが、
物質的な豊かさを手に入れることと相反して、
内面的な心の豊かさを失っていっているという日本でよく耳にするその言葉が
やけに真実性をおびたものに感じました。
ソロモン諸島の子供たちの輝いた笑顔や眼差しを見れただけでも
価値のある体験だったとも思えます。
●4月22日
午前中にソロモン航空の国内線でムンダを出発し、
ガダルカナル島ホニアラに戻り、午後から慰霊地を巡りました。
一木支隊鎮魂碑、ギフ高地、ムカデ高地(血染めの丘)、平和記念公苑(アウステン山)、
米軍先頭記念碑etc。
https://www.we-love-solomon.com/sightseeing.htm
米軍の記念碑と日本の慰霊碑のあまりの格差に驚きました。
アメリカの記念碑は国がお金をかけ大理石で立派に建てられたもので、
専属の管理人がいてしっかり管理されていました。
片や日本はというと、
民間レベルでお金を集めて作られたささやかな慰霊碑が各地に点在してる感じで、
平和公苑の大きな慰霊碑などでも普段は人がいて管理するわけではないので、
ペンキを塗りなおしても塗りなおしても落書きが絶えないということで、
今回も酷い落書きがたくさん書かれていました。
現地の人が鉄を売ってお金にするために
文字を刻んだ鉄のプレートが何度も盗まれるという有様のようです。
今回もありませんでした。
アメリカと日本の国家間の価値観の違いなのか、
戦勝国アメリカと敗戦国日本の太平洋戦争に対する歴史認識の違いなのか、
おそらくそのあたりから来ると思われる待遇の違いを目の当たりにした感じでした。
●4月23日
午前中、日本大使館を表敬訪問。
岩撫臨時代理大使と面会し、
【月】と【故郷を遠く離れて】のCDをプレゼントしました。
会の方々からは、
「ソロモン諸島の大使には、何故臨時と代理という余計なものがついているんですか?
日本国にもっとソロモン諸島国に対する位置づけを上げてもらいたい。」
という話が出ていました。
やはり、ソロモン諸島に想い入れのある戦友や遺族の方々ならではの発言だと
つくづく感じました。
午後は、翌日の合同慰霊祭に向けて
コカンボナ村にある全国ソロモン会慰霊碑を下見しました。
92歳のソロモン会副会長Y氏が上陸したという場所で、
現在も残っている鬼怒川丸の残骸をみたり、
またY氏が、2ヶ月ほど過ごしたという洞窟の場所がわかったと言うことで、
その洞窟にも川を渡って行って来ました。
飢えで食べ物がない中その洞窟にたどり着くと蛇が2匹いて食べたそうですが、
その蛇にも大変感謝されていました。
洞窟でも簡単に慰霊を行いましたが、
Y氏が最後に亡くなった戦友に向かって、
「今帰ったぞ~!一緒に飲もうや~!」と日本酒で乾杯をしている姿に
戦後60余年経っても今だ抱き続けている亡くなった戦友への想いが伝わり
本当に感動で目頭が熱くなりました。
●4月24日
ソロモン諸島最後の日。
午前中は、今回の慰霊巡拝で最もメインであった全国ソロモン会慰霊碑での合同慰霊祭。
https://www2.gizo.net/solomon/htm/ireihi.html
コロンバンガラ島とは違い、ガダルカナル島は滞在中ほとんど雨は降らず、
この日も本当に暑い中での慰霊祭になり、
しっかりテントを用意してくれていたものの暑い中での1時間ほどの慰霊祭でした。
来賓として岩撫大使と、
現地では有名な方なのですが、
若い頃、企業派遣でソロモン諸島駐在中に現地人の奥様と結婚し、
ソロモン諸島国に帰化され、国会議員まで務められた実業家のY・SATO氏。
日本とソロモンの友好に長い間尽力されたことが認められ、
この度日本国から表彰を受けたようです。
そして、「キタノメンダナホテル」:https://solomon-tour.jp/kitanohotel.html
支配人山縣氏の3人をお迎えしての慰霊祭となり、
3人のご上人の全身全霊のお経の後、
慰霊祭としては2度目になる【涙雨】を唄いました。
【涙雨】は、ご上人方も感動して頂いたようで、
聴きながら本当に胸を打たれたと言ってくれていました。
慰霊祭終了後は、
この慰霊碑を管理してくれているコカンボナ村で昼食を用意してくれていて
村での屋外パーティとなりました。
やはり慰霊碑を管理してくれていることに感謝として、
お米や衣類などをプレゼントしていました。
この村の子供たち、しつけがしっかりされている感じで、
ある域を越えてはむやみに馴れ馴れしく近づいてこないんです。
それがすごくけな気な感じで、
中でもルシアナという10歳の女の子がとても可愛らしく印象に残りました。
前日の下見の時に初めて会話をしたんですが、
弟たちの面倒を見ながらも、
すぐ下の妹に指示して自分にカカオの実を取って渡してくれたり、
すごく気配りができて賢い印象を受け、
またいつか会いたいと強く思った女の子でした。
その後は、あまりないことらしいのですが、
大使婦人が我々を大使邸宅でのお茶会に招きたいということになったようで、
その他の場所の慰霊巡拝の予定を取りやめ、
夜のお別れパーティー前に大使邸宅を訪問しました。
すでに大使にプレゼントしたCDを聴いて頂いたようでお礼の言葉を頂きました。
夜はホテルでのお別れパーティー。
大使ご夫妻やY・SATO氏、元大統領など現地の来賓の方々、
そして現地にいるJICAの青年たちが集い賑やかなパーティになりました。
国際会議で使う会場らしく、
思っていたよりしっかりした音響があり気持ちよく歌わせて頂きました。
セットリスト:
1:涙雨https://www.youtube.com/watch?v=tfcekRpU9AI&feature=related
2:ソロモン戦友賛歌(作詞・全国ソロモン会事務局長/作曲・YAMATO)
3:月(英語バージョン)
4:太陽へ向かうハイウェイ
自分のライブの後は恒例らしいのですが、
Y・SATO氏の息子さんの奥様がトルコ人で、
とてもキレイな方なんですが歌も上手で
アカペラの美しい声でトルコの民謡を唄ったり、
日本からの慰霊団が行くといつもスタッフとして行動を共にする
”フランシス”というホテルの従業員が、
ほぼ裸に近い民族衣装のようなスタイルでギターを弾きながら唄ったりしました。
今回自分が持っていったギターは、
日本でこの”フランシス”のことを会の方から聞いていたので、
元々プレゼントしようと思って持って行ったもので、
最後に【月】を日本語で唄ってからプレゼントしました。
高いギターではないですが、
それでも日本メーカーのギターなので本当に喜んでくれて、
お返しに小さな貝殻で作られたゴージャスな首飾りを頂きました。
最後にY・SATO氏からは、
「久々に美しい日本語の歌を聴きました。」と声をかけて頂き、
Y・SATO氏の息子さん奥様からも、
「とても素晴らしい声で感動しました。」と声をかけて頂きました。
翌日出発前にお会いする機会があり、CDをプレゼントしました。
●4月25日
これまでガダルカナル島滞在中には夜中に一、二度雨が降っただけで、
昼間に雨が降ることは無かったんですが、
朝8時半頃ホテルを出発してマイクロバスで空港に向かっている途中に雨が降り出し、
皆さんしみじみと、「お別れの涙雨だ…。」と言うのが印象的でした。
午前11時頃ホニアラを出発しましたが、
”フランシス”が空港の屋上から最後まで手を振ってくれているのが印象的で、
誰かが、「YAMATOさんからあんなギターをもらえれば、そりゃうれしいでしょう!」
と言っていました。(笑)
そういえば、最後に英語バージョンの【月】のギターコード譜を渡したら、
覚えたいと思ったようで「欲しかった!」と喜んでいました。
支配人にもCDをプレゼントしたのでそれで覚えるように伝えて来ました。
そのうち慰霊団が訪れた時のパーティーで聴けるのかな?(笑)
こんな感じでソロモン諸島の慰霊巡拝ツアーは無事終了しました。
戦争を知らない世代の我々にとっては遥か遠い昔の戦争といった感じですが、
自分の知らないところで、
まさに時代に翻弄されたという言葉がふさわしいと思いますが、
戦時中の深い傷跡を今だ尚引きずりながらも、
戦友の方々や遺族の方々を中心に、
国のために家族のためにと亡くなられた方々を想い、
老体に鞭打ちながらも慰霊に余生を捧げられている方々がいるということ、
その現実を忘れてはならないとつくづく感じた次第です。
日々の生活の中でそういった先人達の犠牲の歴史を知り、
一瞬であっても感謝の念を捧げながら暮らすことが
我々にとってのせめてもの慰霊につながる行為だと思えますし、
また日本国に生きている者として他人事ではなく義務だとも思えてきます。
また、それに伴う遺族の方々の大変な悲しみ、苦労があったことも
忘れてはならないと強く思えてきます。
自分の心の中に少なからず変革を及ぼした一週間でした。
今回の体験をベースに、
国際平和ということを真剣に考えていければと思います。
今回の貴重な体験をさせて頂くにあたって、
同行させて頂きお世話になった「全国ソロモン会」の皆様に感謝しながら、
報告を終えたいと思います。
P.S.
来る19日、北海道で行われる「太平洋・島サミット」に参加するため、
パプアニューギニアのマイケルソマレ首相が来日され、
ホテルニューオータニで記念レセプションが開催されるそうですが、
自分にも参加要請を頂いていて、
アトラクションで唄えるように交渉してくれるとのことですが、
どうなるかな…?と。
これまでも全国ソロモン会を通して面識があり、
今回の模様をカメラに収録してくれていた放送作家のH氏とずっと同部屋でしたが、
終戦記念日頃に放映されるテレビ番組になる予定のようです。
カメラの中で唄っている【涙雨】のシーンとは別に、
挿入歌として番組内で【涙雨】を流してもらう話もしたりしましたが、
音源ができたら一緒にテレビ局に持ち込んでくれるとのことでした。
何とか実現したいものです。