「いち」から思わぬ展開に…。

一昨夜は、池袋の「いち」が最後の営業ということで、
マスターに最後の3日間のどこかでギターを持って行くと伝えてあったのですが、
声をかけてあった同じ佐渡出身の”S”さんと6時半頃お店に行き、
やはり佐渡つながりでの源チャン”さんが後から合流しました。
ところが、やはりお店が最後ということもありお客さんがいっぱいで、
我々も8時くらいまで空いていた予約席にいましたが、
店で唄うという雰囲気ではなかったので、
”S”さんが、佐渡の同じ地域出身の親戚の方を呼んでくれていて、
最初は、2人が合流したもののまだ後から何人か来るということで、
8時で「いち」を出てカラオケBOXに移動してライブをすることにしました。
”S”さん、”源チャン”さんと俺の3人で先にカラオケBOXに移動し、
後から”S”さんの親戚の方が仕事仲間と4人で合流。
歓談時間を入れ2時間あまり、7人でのプライベートライブになりました。

【佐渡ヶ島】、【月】、【涙雨】、【男道】を唄い、
その後は、歓談をしましたが、
何と”源チャン”さんのお母さんの佐渡の実家のお寺の息子が、
自分の高校の同級生だったことが判明。
その場で、仙台にいる高校の同級生に電話を入れ俺に替わってくれましたが、
卒業して以来二十数年ぶりの会話でした。
彼とは1年の時にクラスが一緒で、
高校に入ってすぐの体力測定で、
競技は、200M、砲丸投げ、走り幅跳びだったのですが、
200Mで彼と一緒に走り俺が勝ち、
彼は陸上部に入って400Mの選手になったのですが、
そのこともあり、俺を陸上部に入るように誘ってくれていたことがありました。
ちなみに、1年の時は体力測定の総合得点で俺は学年で2位でした。
それから運動部に入らなかったので2年、3年は順位は落ちましたが。(笑)
彼とはそんな思い出がありました。

同級生との電話で、今はプロとして歌を唄っている話をすると、
驚いたことに何かの雑誌に佐渡出身のYAMATOという名前が出ているのを見たことがあり、
まさか同級生のYAMATOじゃないだろうな…と思ったことがあったとか。
やっぱりYAMATOだったのかという話で盛り上がりました。
何を見たのかわかりませんが、
自分の知らないところで一人歩きしているものなんだな…と。
”源チャン”さんの話では、
この夏は、久しぶりに佐渡に帰るという話も出ているらしいので、
久々に佐渡で会えるといいなと。
何だか、こんな思わぬ久々のつながりも生まれ、
「いち」から思わぬ展開の一日になりました。

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