13時半から式典が始まり、
神事に乗っ取って式典が進みました。


その後、来賓挨拶。
・元プロレスラー衆議院議員 馳浩氏

・大東亜聖戦大碑護持会会長 田母神俊雄前航空幕僚長

・大東亜聖戦大碑護持会顧問 アパグループ代表 元谷外志雄氏

式典終了後は、アパホテルでの懇親会でした。
・元谷氏と田母神氏

懇親会の席でも、【月】、【涙雨】、【男道】の3曲披露させて頂きました。
【男道】の時には、田母神氏の立場を考慮して、
ぴったりの歌だと思いますということで唄ったら、
ご本人が歌の途中で思わず大きな拍手をしてくれていました。
やはり、ご自身の心境にぴったりの歌だったのでしょう。
演奏の後、田母神氏、元谷氏両氏と名刺を交換させて頂きましたが、
田母神氏は、大変お茶目な方で、
イメージとして怖い人と思われているのではないかと著書の中で語っていますが、
実は福島弁訛りが取れず、
自衛隊時代は一旦職務から離れると部下からも「タモちゃん」と呼ばれ慕われていたそうです。
そのことが垣間見えるのが、
正式な名刺を頂いた後、
もう1枚あるのでと渡してくれた名刺がこれ。
・表

・裏(お互いもっと仲良くなったら詳細お知らせするネ ウッフ)

落語が好きで、
講演の時も常にユーモアを忘れないというのがこのあたりからも伺えました。
・最後は、がっちり握手をして。

懇親会の後は、プライベートのカラオケタイム。
我々の荷物が置いてあったので少しお邪魔したところ、
本当に気さくな方で、最初に唄った歌は意外にも甲斐バンドの【安奈】でした。

・日本をまもる会会長・大東亜青年塾塾長 中田清康氏
https://www.nipponwomamorukai.jp/

懇親会の後、
別れ際に改めて大東亜青年塾の藤田氏が、
「YAMATOさんのお蔭で本当に救われた。ありがとう」
と握手しながら涙を浮かべていて、
おそらく、大東亜青年塾として今回初めてのライブ企画が、
あのまま完全に中止で終わっていたらと言う相当の責任を感じていたのでしょう。
そこまで感謝され、自分としても、本当に行って良かったと思えましたね。
その後の2次会で「co.mo.ro」というカラオケBOXに入ったのですが、
その代表と少し話をして自己紹介にミニアルバム発売記念ライブパーティーのチラシを渡すと
2枚欲しいということで、
男女のトイレにすぐ1枚ずつ貼ってくれました。

また、ライブを絡めて金沢に行きたいものです。
初金沢、楽しんできました。
何と言っても人との出会いが全てでしたが。
9日、10時40分池袋発の高速バスに乗って18時過ぎに金沢駅に到着。
完全などしゃぶり状態でした。
「大東亜青年塾」の事務局の陶芸作家”針生俊”氏と連絡を取りながら待ち合わせし、
一旦、3日間の宿になる事務所に行って荷物を置き、
初顔合わせの4人で居酒屋での交流会に。
その後、21:30頃、
別の「大東亜青年塾」の事務局藤田氏とライブ居酒屋「ぷかぷか」で待ち合わせし、
「チャンネル桜」というインターネット番組用にライブの模様を撮影したいとのことで、
撮影して頂きました。
この時の模様は、デジカメで撮影するのを忘れたのでアップなしです。
ただ、あいにくのどしゃぶりの天候だったため、
マスターもいつも来る常連さんたちが全然来てないと言っていましたが、
お客さんが少なかったですね。

でも、とってもいい感じの店で、
藤田氏とも、追々音楽を絡めた企画ができればということになりました。
帰ってからは、宿泊する事務所2Fでの2次会。
結局、俺が寝たのは朝の5時半でした。(笑)
それでも、翌日は8時半に目が覚め、
事務所の1Fで翌日の催しで配布する資料の袋詰めをしていたので
3時間くらい手伝いました。
午後3時半になって近くの銭湯が開いたので入りに行き、
夜は、出演バンドの”サネヨシ”メンバーと、
俺が今回関わるきっかけになった森川氏が東京から到着し、
近くの居酒屋で懇親会を開きました。
2次回は、有志で近くのホルモン焼きやに行き、
最後は、また事務所2Fで3次会の流れになりましたが、
俺は、翌日朝7時に迎えに来るとのことだったので、
その夜は、おとなしく深夜1:30くらいには布団に入りました。
ただ、一部の”サネヨシ”メンバーはやはり朝まで飲んで語っていたようで、
俺が起きると、ギターの弦を張り替えてチューニング途中にダウンしたようで、
ギターを抱えながら寝てましたね。(笑)
さて、『大東亜聖戦大祭』当日は、
前々日、前日とかなり激しい雨が降りましたが、
秋晴れの素晴らしい天気になりました。
本当に、雨に当たらない男です。(笑)
兼六園の隣にある石川護国神社に着くと前日のうちにすっかり会場は準備されていました。
・石川県護国神社

・大東亜聖戦大碑

・今回のステージ

8時過ぎからリハをしして、
出演3組のリハを一通り終えてから記念撮影。

11時過ぎから”サネヨシ”のライブがスタート。
・サネヨシ演奏中

ところが、1組目の”サネヨシ”氏の演奏中に残り2曲を残してハプニングが。
何と、次期実行委員長から演奏の音が大き過ぎるということでストップがかかってしまいました。
歌のテーマはロックの”サネヨシ”氏にしても、
もう一組パンクの”護国勤皇楽団”にしても催しの趣旨には合っているはずなんですが、
何せ、関係者や来ている方々の年齢層が高いことと、
どうも客席側にテントが張ってあったため余計に音が響いていたようで、
ロックという表現方法は拒絶されてしまったようです。
実は、今年10周年ということなんですが、
音楽を取り込んだのは今年初めてのことで、
「大東亜青年塾」の森川氏が、
何とか若い人に来てもらいたいと言う発想から、
普段都内にいるので、
趣旨の合った音楽をやっているミュージシャンと出会った時に声をかけて、
今回集まったのが3組ということだったようです。
”サネヨシ”氏の演奏でうるさいということは、
次の”護国勤皇楽団”のパンクは尚更ということになるので、
森川氏からすぐ俺の演奏をお願いしたいと頼まれ、急遽早めのスタートになりました。
かなり気まずい雰囲気が漂っていて、
森川氏や、他の「大東亜青年塾」のスタッフからもかなり焦りの表情が伺え、
俺も、この状況を何とか打破しなければと一瞬プレッシャーを感じましたが、
まあ、普段、老人ホームなどに通って唄っていることもあったり、
年配の方が多い場でもかなり唄って来て感覚がわかっているので、
まあ、普段通りやれば大丈夫だろうということで演奏をスタートしました。
■セットリスト
1:誓い
2:木蓮の花咲く頃(オケ)
3:遥かなる故郷の空よ、海よ
4:月
5:涙雨(オケ)
6:男道(オケ)
7:それだけで幸せなこと

・客席側から

1曲、1曲唄い終わる度の拍手で、
聴き手に届いている感覚がわかりましたが、
ステージを終えた後、青年塾の皆さんが俺のところに来て、
「YAMATOさんのお蔭で、本当に助かった」
と口々に感謝の言葉をかけてくれて、
森川氏も、
「お客さんが、YAMATOさんの演奏に対して心から拍手をしているのがわかりました。
全てが帳消しになりました」
と言ってくれ、
何と、演奏をストップさせた次期実行委員長が俺を見るなりにこにこしながら
「YAMATOさん、本当にありがとうございました」
とお辞儀をしてくれたのを見て、
俺も今まで経験にないプレッシャーから解放された気分を味わいましたね。
順番を変えて、自分の演奏を挟んで”護国勤皇楽団”の演奏と思ったようですが、
”護国勤皇楽団”は、この状況から自分たちの演奏はできないと思ったようで辞退したようです。
でも、思わぬ展開になり、
折角遠いところを来たのに怒っても不思議ではないし、
しかも、みんな手弁当で東京や群馬から来たバンドメンバ-だったんですが、
文句も言わず、
”サネヨシ”メンバーの中には、
「これがロックの宿命かな?」などと言っているメンバーもいましたが、
何か、人間的にとっても良いメンバーでしたね。
式典の様子は、また明日。