ソロモン諸島遺骨帰還派遣(報告:2)

●3月1日 
朝から5日の焼骨式、7日の追悼式に参加して頂く
現地の公共機関への表敬訪問と打ち合わせをしました。
まずは、ホニアラ市議会環境衛生課へ。
その後、今回初めて遺骨鑑定士として同行頂くことになっている
”キオポ”さんという方がいる国立博物館に表敬訪問しました。

・国立博物館の敷地内。

・金髪の方が”キオポ”さん。

打ち合わせの後、
国立博物館横を流れる”ボコナ川”で日本人の遺骨が見つかったということで、
すぐ近くの現場に行って見ました。

・見つかった現場。

後日、残っている遺骨を掘ることになると思いますが、
一柱分は、博物館で保管してあるとのことで見せてもらい、
今回、日本に帰還する遺骨となりました。

・水稲とバリカンが遺留品としてありました。

その後、警察署に表敬訪問に向かい、署長と面会。
焼骨式や追悼式に参加すると約束してくれたんですが、
毎回、何人かの警察官と参加してくれるらしいのですが、
今回は、忙しかったのか来ませんでした。(笑)

・警察署長と派遣団。

その後、15:30発の国内線で、
今回最初になる遺骨収容のためにニュージョージア島のムンダへ向かいました。

・空港に向かう途中の空。(南方は雲が面白いですね)

・ホニアラからムンダへ向かう上空から見れる1000の島々からなる美しい風景。

2年前よりも国内線の飛行機が大きくなっていて快適でした。

・ムンダ着。

宿は、2年前と同じ「アグネスロッジ」。

・「アグネスロッジ」入口

・2年前より良い部屋に泊まりました。

この日は作業ができないので2年ぶりの懐かしい景色をゆっくり堪能しました。

・2年前には無かった立派な桟橋で地元の子供たちと。

・桟橋から飛び込む子供たち。

・宿の近くから見える夕景。

・女性たちが野菜や果物を売っています。

2年前の「全国ソロモン会」の慰霊巡拝では、
「アグネスロッジ」で、現地の子供たちの伝統的なダンスがあり、
自分もライブをやりましたが、
今回は、政府派遣の遺骨収容ですので、
そういうこともなく、静かなムンダの夜でした。

●3月2日
いよいよ、今回最初の遺骨収容の作業する日。
場所は、遺骨を保管してくれている
2年前にも訪れた「Peter Joseph WWⅡ Museum」という戦争博物館。
個人の庭に日本兵、アメリカ兵の遺留品集めて作られた博物館ですが、
のご主人は、積極的に日本兵の遺骨を探してくれています。

・戦争博物館「Peter Joseph WWⅡ Museum」

今回の我々遺骨帰還団が来る前に、
すでに日本から遺骨調査団が来ていて、
遺骨を掘ったり、現地の人から受け取ったりしたものを白い袋に入れ、
それぞれの地域に分けて地域名と何柱分かを明記してありました。
我々遺骨帰還団は、それをきれいに洗骨、焼骨して日本に帰還させることが仕事になります。
庭にブルーシートを敷いて保管されていた25柱の洗骨作業を開始。
刷毛とタワシなどを使って、
骨に付いている泥をきれいに落としていく作業でした。
自分も初めての体験でしたが、
皆が、心を込めて真剣に作業を進めました。
中にあったある一柱は、
ヘルメットをかぶったまま明らかに爆弾の鉄片が鉄製のヘルメットと頭蓋骨を一気に貫通していて、
大腿骨にも鉄片が達して、骨に痛ましい傷痕が残っている
凄惨な死を遂げたことが生々しく想像できるものもありました。
最後は、一袋に何柱か分が一緒になっていたりするので、
洗骨の済んだ遺骨を遺骨鑑定士の”キオポ”さんと団長がチェックし、
何柱分かを最終カウントして終了になりました。
この日は、遺骨が多くなかったこともあり、
作業をより丁寧にでき、18柱を3時間かけて洗骨しました。

・爆弾の鉄片がヘルメットと頭蓋骨を貫通していた遺骨。

・喉仏

今回、初めて厚労省の遺骨収容に同行したわけですが、
このムンダでの遺骨収容では、
23柱のうち、はっきり日本人とわかるのは18柱で、
他の5柱は、遺留品などの証明できるものが無かったとのことで、
今後、継続調査と言うことになり今回の帰還対象にはなりませんでした。
遺骨収容を巡って、
他の国でも、お金になると言って日本人ではない骨を持って来る現地人もいるらしく、
厚労省では、帰還遺骨のカウントにあたって、
そのあたりをかなり厳しくチェックしていることがわかりました。
日本の調査団が同伴して掘った遺骨であれば問題ないのですが
現地の人が持ってきた遺骨の場合、
日本人の遺骨と言う証拠もなく何でもかんでも受け入れてしまったり、
一柱がバラバラになっている場合、何柱分にもカウントできるわけで、
部分的に少ない遺骨の場合は、
他の遺骨の残骨ではないかと疑り、遺骨と遺骨がどのくらい離れた場所で見つかったかなど、
かなりしっかりチェックして柱数を出しているようです。
適当に数を追えば、遺骨収容数はどんどん増えるわけですが、
そうではなく、真摯に対応して
正確な遺骨帰還数をカウントしようとしていることがわかりましたね。

雨季ということで、
いつ前が降り出してもおかしくないので、
ご主人が、ブルーシートの上にシートで屋根を張ってくれていて、
それが幸いし、作業が終わりかける頃、
2年前には経験しなかったほど、
こんなに激しい雨がこんなに長く続くのかと言うくらいのスコールに見舞われたのですが、
濡れずに済みました。

・作業終了後、なかなか雨が止まないので自宅ベランダで雨宿り。

・ベランダに飾ってあった自作の貝殻の飾り物。

やっと雨が止むと、
遺骨を見つけて保管している人がいるとの情報があり、
その家に行ってみましたが、
本人が留守で、遺骨がどこにあるかわからず空振りに終わりました。

・遺骨情報確認中も激しい雨で、雨宿りのメンバー。

初めての洗骨作業を体験して、
作業初日の一日が無事終わりました。

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