佐渡に向かいま~す!

元々、佐渡で20日に行うライブイベントと、
21日、新潟のイオンで行うイベントでライブをする予定でしたが、
地震のため自粛中止となりました。
と言うことで、佐渡に行こうかどうか迷っていましたが、
昨日佐渡から電話があって、
当初、20日のライブイベントの後、
打ち上げ的にライブをすることになっていた佐和田「SOW」でライブをします。
俺に初めて会えるのを楽しみにしているお客さんもいるということで、
プライベート的にやるライブになるので、
4月16日のアミューズメント佐渡でのライブの営業、準備も兼ねて行くことにしました。
20日(日)19:00~ 「SOW」
アコースティック中心に何組かでやるようです。
場所がわかってご都合がつく方、お越しくださ~い!

高校野球も無事に開催が決まったようで何よりでした。
災害地の東北の高校が出場を宣言していたので中止になってほしくなかったですね。
佐渡高校の初出場もどうなるのか心配でしたが、
本当良かった。
試合二艇によっては現地に応援に行くことも考えていましたが、
自分の都内のライブと重なったので、
こちらで応援ですね。
ライブの時間的に試合はテレビで見れそうです。
健闘を祈ります!

★4月16日(土)
YAMATO LIVE 『男道』 in SADO
場  所:アミューズメント佐渡『はまなすホール』
https://www.e-sadonet.tv/~wakwaksado/
時  間:開場18:00 開演18:30
チケット:前売り¥3,000(当日¥3,500)(限定300名)
※2008年11月2日のメジャーデビュー記念ライブ以来の佐渡でのホールライブです。

■サポートメンバー
・Jembe:masa
・Piano&Keyboads:HAYATO
・E.Guitar:Taro Arai
・E.Bass:Shigeaki Saito
・Drums:Yoshiharu Mitsuoka

今日、佐渡テレビに電話したところ、
送ってあった【栄光の花たち】の音源を
佐渡高校野球部を紹介する番組内でしっかり使わせてもらったとのことでした。
4月16日のアミューズメント佐渡のライブも取材に入って頂けると言うことで、
4月に入ったら、一度出演してライブ宣伝させて頂けることになりました。
もう一か月を切ってしまったので、
是非、チケットお買い求めくださ~い!

ソロモン諸島遺骨帰還派遣(報告:5)

●3月8日
14:55ホニアラ発、ブリスベン行きでガダルカナル島を離れました。
実は、この日、空港に早めに行ったはずが、
団長さんが空港で両替し、遺骨などの超過料金分を支払う予定が、
空港の両替所で両替できないというハプニングが起き、
団長とドライバーの”フランシス”でマイクロバスで街に両替に向かいました。
ところが、なかなか戻って来ず、
フライト30分前になっても戻って来ない。
空港の職員からもそろそろ中に入ってくれとの催促。
でも、団長を置いても動けずにいると、
20分くらい前だったか、猛スピードで戻って来ました。
何と、両替をできると思っていったお店で両替を断られ、
ホテルに戻っても両替するお金が不足しているとかで駄目。
結局”フランシス”が銀行で並んでいる列に謝りながら割り込んで何とか両替ができたものの、
今度は、空港に戻る道が大渋滞。
団長は、もう完全に間に合わないと思い、
今日のフライトをキャンセルして、
大使館に連絡して、これからどうするかなど色々考え出していたとのことでした。
ところが、”フランシス”の運転がすごかったようで、
鬼のようにクラクションを鳴らしながら、
反対車線は逆走するは、歩道を走るはで、
団長も事故に会うのではないかとビビってしまうほどの運転で空港に滑り込んだとのことでした。
後から、団長が訊いてわかったことですが、
当の”フランシス”は、何も無かったかのように涼しい顔で我々を見送ってくれました。(笑)
いやいや、危機一髪でした。

・遺骨は、こういう箱に入って運ばれます。

帰りは、オーストラリアの税関にきちっと話が通っていて、
税関職員が出迎えてくれていてスムースに抜けられました。
とにかく、オーストラリアの税関は
外来種の動植物などを国内に持ち込まれないようにチェックが厳しく、
ガダルカナル島で買った貝殻のネックレスにワンポイントで木の実が付いたものは、
木の実の部分だけペンチで取られてしまいました。(笑)
実は、もしかしてと思いスーツケースに入れないでわざと首につけていたので、
やっぱり駄目なんだという感じでした。
木の彫り物などの土産物も、きちんと申告していないと取り上げられてしまうようです。
そのくらい厳しいですね。
ブリスベンから、その夜の宿泊先のゴールドコーストに行き一泊。

・ゴールドコーストのホテルからの夜景。

●3月9日
朝10:50ゴールドコースト発、成田行きの便に乗り、
19:00頃無事に成田に着きました。
すでに厚労省の職員が迎えに出向いてくれていて、
日本では、税関を完全に別ルートでフリーパスで抜け、
用意してあったバスに乗り、
その夜は、翌日が千鳥ヶ淵での遺骨の引き渡し式のため九段会館で一泊になりました。
『全国ソロモン会』のメンバーやJYMAの学生たちが迎えに来てくれていて、
皆で会食をしてその夜は解散しました。

●3月10日
千鳥ヶ淵での遺骨引き渡し式当日。
朝、9時半にバスが九段会館まで迎えに来て、
厚労省の団長、副団長お二人以外の今回の派遣団員6人一人一人が、
それぞれ今回帰還した遺骨の入った箱を一箱ずつ捧持し、
そのバスに乗って千鳥ヶ淵墓苑まで向かいました。
実は、現地では、作業に追われてそれほど特別な思いが湧いたりすることは少なかったのですが、
千鳥ヶ淵墓苑に向かうバスの移動中、
膝に遺骨を捧持しながら車窓から見える千鳥ヶ淵のまだ咲いていない桜並木が目に入ると、
戦後66年経って、やっと祖国日本に帰ってこれた遺骨なんだという想いが込み上げ、
胸が一杯になってしまいました。
10時から引き渡し式で、
時間になると生演奏に合わせて遺骨を捧持した我々が丁寧に迎えられ式典が始まりました。
そして、式典中は、
献花に来られた遺族の方々が、中には涙を流されている方も多くいるわけですが、
我々に感謝を込めてお辞儀をしていってくれる姿を見ながら、
やはりそこでも胸が一杯になってしまいましたね。
引き渡し式の後は、すぐ派遣団の解団式も行い、
我々政府派遣遺骨帰還団の任務は終わりました。
その後は、皆それぞれ三々五々解散しました。

素晴らしい団長さんの元、JYMAの青年たちも本当によく動いてくれて、
また団員相互が一致団結して本当に有意義な派遣期間を過ごさせて頂き感謝でしたし、
近年では大変多い数になるらしいのですが、
無事163柱を日本に帰還させることができました。
まだまだ、残っている遺骨の数を考えると少ないのこま知れませんが、
今回思ったのは、
遺骨収容が済んでいる勝戦国アメリカとは明らかに遺骨のある場所の条件が違うということ。
日本兵は、戦死した数が多いのはもちろんですが、
過酷なジャングルなどで亡くなっている方が大変多いことが、
遺骨収容の難しさを生み出している原因にもなっているということ。
『全国ソロモン会』の遺児の方々もどんどん年齢が高くなっていっていますので、
今後も、自分も中心的に遺骨収容に関わっていくことは間違いないと思うのですが、
機会を頂ければ、伯父が亡くなったシベリアでの遺骨収容にも参加したいという思いもあります。

これから、ますます、戦友の方は少なくなり、
すでに現地での作業ができる方はわずかになっていますし、
その後を引き継いでいる遺族特に中心的な遺児の方々も70歳代前後です。
そうなると、明らかに次の世代に引き継がれないといけないことは明確で、
遺族と言っても、孫の世代や親戚などとなると、
直接的に遺骨帰還事業に関わる方はかなり少なくなってしまうのは間違いないでしょう。
そういう直接的に関係する遺族などの枠を越えて、
思いのある若い世代が積極的に関わっていかないとなかなか進まなくなるでしょう。
『全国ソロモン会』も自分も含め、
戦友、遺族とは関係ない若い世代が入会して動き出していますので、
年会費5000円がかかりますが、自由に入会できます。
関心、思いのある方は、是非お声をおかけください。

長くなりなりましたが、
これでガダルカナル島政府j派遣の遺骨収容の報告を終わります。
お読みいただいた皆さん、ありがとうございました!

ソロモン諸島遺骨帰還派遣(報告:4)

●3月6日
この日は、焼骨式予備日でしたが、
団長の判断で雨季と言うこともあり、
一日前倒しで焼骨式をやっておいて正解でした。
朝、バラナ村に保管してある遺骨を引き取りに向かっている途中に強く長い雨が降り出し、
皆が、昨日のうちにやっておいて正解だったと胸を撫で下ろしました。
バラナ村は、遺骨収容では大変お世話になっている村で、
『全国ソロモン会』とも関係が深く、
2年前に来た時も訪ねましたが、
村長のピーターさんが昨年亡くなったばかりでした。

・村で雨宿り。

・村に置いてある戦時中の遺留品。

この日、村で保管してもらっていた遺骨11柱のうち8柱を日本兵のもの断定しましたが、
残り3柱は、遺留品などがなかったため継続調査ということになりました。

・遺留品のサングラスと。

そのl後、昨年亡くなった村長のピーターさんを村の敷地内に埋葬してあるのですが、
その墓のすぐ隣に家を建てようと穴を掘っていたところ、
きれいに埋葬してある日本兵のものらしい遺骨が9柱出てきたそうで、
遺骨が見える状態まで掘ってある場所を確認しました。
この遺骨に関しては、
今回、新たな遺骨情報として情報だけ持ち帰ることになりました。

・きれいに埋葬してある状態。

午後からは時間があるため、
皆さんの希望を訊いて、
まずは、全滅した一木支隊の2か所の慰霊碑を回りました。
2年前に行ったところは学校の敷地内の教会傍の慰霊碑だったのですが、
現地のドライバーが草の茂った道をどんどん入っていくので、
間違っているのではないかと思っていたら、
ガダルカナル島に10回来ている吉田婦人でさえ、
一度イル川の反対側から川を渡って来ようとして水かさが増えていて渡れず諦めたという
もう一つの一木支隊の慰霊碑がありました。
この辺りの海岸が、百戦錬磨と言われた一木支隊が、
米軍に3万名の兵力があることを知らず、
わずか900名ほどで正面突撃全滅した場所になります。

・イル川河口にある一木支隊慰霊碑。

・テナル教会前の一木支隊慰霊碑。

その後は、ガダルカナル島の西側の端にある
日本軍が最後ガダルカナル島から撤退したエスぺランス岬へ大移動。
小さな集落があり、個人の方が作ったという小さな慰霊碑が木の根元にありました。
ここで、NHKから自分の取材にあたって頼まれている
慰霊のために【涙雨】を唄っているシーンをカメラに収めました。

・日本軍が撤退した場所で村人と記念撮影。

この時、吉田婦人とJYMAの学生”山澤”君以外は、
自分の【涙雨】を初めて聴いたわけですが、
唄い終わった後、
佐藤団長さんが目に涙を浮かべながら「初めて聴きましたが、感動しました」と声をかけてくれ、
また遺族の方からも「良い歌で感動しました」と言って頂きました。

・村のリーダーと。

そして、その後、自分が2年前にガダルカナル島の慰霊巡拝に来た後、
佐渡の集まりで唄った時にそのことに触れると、
大叔父さんがガダルカナル島で亡くなっていることから声をかけられ、
その後、追っかけファンになって頂いている同郷の”S”さんの大叔父さん”山口満吉”さんの慰霊を
亡くなったという野戦病院のあった沖川河口付近で行いました。
プライベートなことだったので、
自分と吉田婦人で少し時間をもらって慰霊をさせて頂こうと思っていたら、
団長さんが、折角なので全員でやりましょうと言ってくれて全員で慰霊をさせて頂きました。
実は、無事に沖川で慰霊をできた背景には、
慰霊を頼まれた”S”さんに日本を出発する直前に成田空港で
大叔父さんの写真裏に書いてあった川の名前が薄くなっていて読めないので、
もう一度教えて欲しいとメールをしたのですがタイムリーの返信が間に合わず、
全体の追悼式で合同慰霊するしかないと思っていました。
現地で、他の団員に読んでもらってもなかなか解読できずいたところ、
漢字が苦手だと言っていた予備自衛官でもあるJYMA派遣の”西富”氏が、
沖川ではないか?と読み取ってくれて、
ホテルの山縣支配人に確認すると、
日本名で沖川、現地名で”ローベ川”という川があることがわかかり、
無事、沖川での慰霊ができたのでした。
この”西富”氏には、慰霊の後、
ここの石を持ち帰ってあげたら良いのではないかといううれしいアドバイスまでもらい、
今振り返ると、”山口満吉”さんが背後で働きかけてくれていたのでは?と思わされます。
この”西富”氏、今回初ガダルカナル島でしたが
遺骨収容をスムースに進めるためにも、
現地での仕事さえあれば、ガダルカナル島への移住を真剣に考え出したくらいです。
バラナ村の亡くなったピーター村長の長男”ウィリー”からも受け入れ承認をもらい、
バラナ村で現地人と一緒に暮らす覚悟ができれば本物だと
本気さを表現する言葉として「男は黙ってバラナ村」という言葉も生まれました。
俺が勝手に作っただけですが…。(笑)

・沖川(地元名:ローベ川)

・”S”さんから預かって来た故郷の水とお米と海岸の石をお供えしました。

・川に故郷佐渡の湧水を流しました。

これで、この日の全予定を終えてホテルに帰りました。
とても充実感が残る一日でした。
夜は、ホテルの従業員で、
2年前にギターをプレゼントした”フランシス”からのお誘いで、
夜11時くらいまでホテルの敷地内の休息スペースにギターを持ち寄って唄いました。

・プレゼントしたギターを持つ”フランシス”。
・グリーンのTシャツの青年が、「男は黙ってバラナ村」の”西富”氏。
・俺の向かって右横、JYMA”山澤”君。

●3月7日
この日は、今回の遺骨収容の最後の重要式典になる追悼式が行われました。
来賓の方が集まり、10時半から開催されました。

・各団体、個人からの花輪。

追悼式では、団長、ソロモン諸島国日本大使、各派遣団体の代表と追悼文を読み、
献花をして終了になりました。
『全国ソロモン会』は、自分が初めての参加だったため、
準備しておいた追悼文を読みました。
一旦追悼式の正式な式次第を終わらせた後、
そのまま時間を頂いて、
NHKから頼まれていた【涙雨】を奉納するシーンを撮影して完全に終了となりました。
最後、遺児の男性の方から、
「こんな素晴らしい歌で追悼してもらえるなんて幸せだよ」と言って頂き、
遺児にあたる吉田婦人も、
終わると涙を流しながら感謝の言葉を言ってくれ、
取材があったのでギターを持って来て唄ったんですが、
本当に唄って良かったと思いました。
また、同席していた現地の若者たちが次々に素晴らしかったと握手を求めに来てくれ、
やはり音楽は国の壁を越えることを改めて実感しました。

・【涙雨】を唄い終わって。

・最後吉田婦人と。

夜は、今回お世話になった現地の方々を招いてのパーティーでした。
団長さんからも、是非ライブをということでライブをさせて頂きました。

■セットリスト
1:佐渡ヶ島
2:涙雨
3:男道
4:月
5:泰平[改め:英俊(団長さんの名前」
6:栄光の花たち

・”フランシス”が【月】をコラボしたいとのことで一緒に。

2年前にギターと一緒にハーモニカも一式プレゼントしていたんですが、
とても上手くなっていました。
ソロモン諸島国では、このスタイルで唄うのは”フランシス”くらいでしょう。(笑)

・2年前にプレゼントしたギターとハーモニカで演奏する”フランシス”。

・現地人でソロモン国歌斉唱。

団長さんには、やはりご自分の名前で唄ってもらったことをすごく喜んで頂き、
「今回、思いがけず3回もYAMATOさんのライブを聴けて本当良かったです」
とうれしいコメントを頂きました。

・佐藤団長、遺骨鑑定士”キオポ”さんと。

・岩撫大使と。

・現地のゲストと。

これで、ガダルカナル島での遺骨収容の全行程を終え、
翌日は、またオーストラリア経由で帰国の途に就きました。

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