驚きの出会いがあった佐渡でした!

4日土曜の朝7時過ぎ、
自宅まで「若波会」のメンバーの”F”さんの車で迎えに来てもらい、
佐渡に向けて出発しました。
新潟発の昼のフェリーに乗り、
我々以外は、「若波会」のほとんどのメンバーが新幹線を使っての移動だったんですが、
フェリーで皆さんと合流。
40人余りという、「若波会」としては過去最高の『宵の舞』参加人数で、
早速、会長はじめ男性陣は宴会スタート。
酒盛りが始まり、さすが「若波会」という感じでした。(笑)
佐渡へ着くと、そのまま今回の宿、相川にある「吾妻ホテル」に向かいました。
夜は、『宵の舞』第一日目、「若波会」が参加する日で、
皆さん食事をした後、ホテルのバスに乗り込み、スタート地点に向かいましたが、
途中で雨が降り出してしまいました。
雨が止むのを待ちながらバスの中で待機していましたが、
開始時間には何とか雨が上がり、
第一組、二組くらいまで流しが始まりました。

・第一組目。

・第二組目。

いよいよ、「若波会」のスタートかと思われたんですが、
直前になって雷と雨が降り出し、
様子を見ていたんですが、結局、中止のアナウンスが流れ、
第一日目は残念ながら中止になってしまいました。
結局、「若波会」は、今年10年毎年参加して来たようなんですが、
初めて雨に当たったそうで、
今年は、「宵の舞」で踊れずに終わってしまうことになりました。
皆さん、自然相手、こんなこともあるさと意外にあっけらかんとしていました。
その後は、ホテルに戻り、
替わりにホテルのロビーで、宿泊客に向けて披露していました。
その後、俺は迎えに来てくれた親父の車で実家へ戻りました。

第二日目は、昼間皆さんそれぞれ観光や用で動いていたようです。
俺も、大野亀のカンゾウの花がすでにきれいに咲いているということで行って来ました。

・カンゾウの花に囲まれて。

・向こうに見えるのが大野亀。

・カンゾウの花。

ちなみに、「佐渡 お笑い島 計画」の第二期キャンペーンソング
【遥かなる故郷の空よ、海よ】のPVの出だしはここで唄っています。
第三期キャンペーンソング【時代の風】のPV出だしは、大野亀の頂上で唄っています。

・実家を見下ろす跳坂から。

先月、上京して痛めていた足腰を知り合いの治療院で治療してもらい、
半年間苦しんだ激痛が嘘のように消えて元気になったお袋は、
早速、今の季節にだけ採れるモズクを採りに海に出ていました。

・お袋。

この日の夕方、ホテルでまた「若波会」が踊ることになっていたので、
ホテルの外の芝の所で踊るという事もあり、
さすがに、外で地声は厳しいだろうと思い、
俺が自宅に持っているPAセットを持って行きました。
また、雨が来そうな模様だったので、
少し予定時間を早めて6時過ぎからスタートしました。

・【相川音頭】

・【佐渡おけさ】

【相川音頭】と【佐渡おけさ】の間に皆さん衣装を着替えるため、
その合間に、俺が1曲だけ【佐渡ヶ島】を唄ったんですが、
そこで、驚きの出会いあがありました。
自分が、唄った後、
一人の浴衣を着た宿泊客の男性がやって来て、
「すみません、以前、パプアニューギニアのパーティーで唄ったことがありませんか?」と。
確かに2年前、パプアニューギニアの”マイケル・ソマレ”首相が来日した際、
今は亡き「全国ソロモン会」の菊本事務局長さんの計らいで、
そのレセプションで俺が唄えるように交渉をしてくれて唄ったことがありました。
その旨応えると、
「やっぱりそうでしたか!」と。
何と、そのレセプション会場にいた方で、
俺に声をかけてくれて名刺を交換していた”広瀬”さんという方でした。
色んな方と名刺を交換したので名前ではすぐ思い出せなかったのですが、
俺自身、一度見た顔は結構インプットされるタイプなので、
話しているうちに、お顔は段々思い出して来ました。
でも、その時に唄ったのは【涙雨】で、
あの時はスーツを着て唄ったこともあり随分印象が違うのではないかと思ったのですが、
気が付いて頂けたのも驚きでしたし、
よくよくお話を聞くと、
本当は、先週佐渡に来ようと思っていたのが一週間延びたそうで、
また、「吾妻ホテル」に宿泊していなかったら無かった出会いだったと思うと、
何だか引き寄せられた感じで、本当に感動の出会いでしたね。

・”広瀬”ご夫妻と。

・”広瀬”さんと。

帰りは、フェリーも一緒になり、
「若波会」のメンバーとも少し交流して別れました。
何だか、この出会いのために佐渡に行って来たような感じでしたね。

・実家の玄関にいたツバメ。

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