今更かも知れませんが…。

今日たまたま目にとまり、
少し前の記事で今更と言う感がありますが、
もし読んでいない方がいましたら是非読んでみてください。
イスラム国で殺害された湯川遥菜氏のお父さんの取材に対するコメントを通して
多くの韓国人が日本人は嫌いだけど
日本人の意識の高さに感動したと言うコメントが相次いでいると言う内容のものでした。
国民性というのは、長い歴史的背景が大きく絡み、
国際平和の第一歩として相互理解の努力をすべきだと思うので、
なるべく表面的な批判、発言は避けないといけないと思うのですが、
韓国人がこういった日本人の意識構造を評価している声と言うのには正直驚きました。https://www.zakzak.co.jp/…/…/20150206/frn1502061135001-n1.htm

自分がこれまで経験した交流の中で、
日本人の精神性の高さみたいなものを感じさせられたことが何度かあります。
まずは、「全国ソロモン会」を通した戦友の皆さんとの交流の中で、
一緒にかつての戦地に行って戦没者の慰霊をさせて頂く貴重な体験をさせていただきましたが、
冷静に考えたら自分たちは国家の被害者だと恨み辛みをぶつけても良いはずの方々が、
実際そう言う方も当然いるわけですが、
自分が交流させていただいた皆さんからは、
そういった言葉を聞くこともありませんでした。
あの時代に翻弄された自身の運命を潔く黙って受け入れ、
ただただ生き残ったものの使命として亡き戦友への一途な思いだけで、
ガダルカナル島、ブーゲンビル島へと年に2度行けば100万円ほどかかる費用を自腹で捻出し、
多い方は10年、20年と通い、
家が建つような金額をかけて来ていました。
もうそう言う戦友の皆さんも次々に亡くなられ寂しい限りですが、
今の時代を生きる者として、
あの時代を生きた日本人の精神性の高さをまざまざと見せられる貴重な期間でした。
履き違えた自由を振りかざして、
バランスも大事だと思いますが、
公のことよりも個人の権利や主張ばかりが目立つ今の時代が
本当に変わってしまったと感じますし、
同時に今の時代の人間関係の希薄さを感じざるを得ません。
これは、あの時代の戦争を肯定するとかしないとかの問題とは全くの別問題だと思います。

また、4年前の東日本大震災の後、東北に通わせていただくようになり、
震災直後からの東北みなさんの姿、
そして今は現地で交流させて頂いていますが、
やはり東北の人たちの忍耐強さ、
精神性の高さを通して日本人であることに誇りさえ感じさせて頂くことがありました。
通っている中で、今でも強く印象に残っているのが、
当時85歳のある老婦人が、
「戦時中のことを考えれば、住む場所があって食べ物があるだけで本当に感謝なんだ」
と言う言葉。
裏返せば戦時中がどれだけ大変だったかという事にもなりますが、
こう言う意識、精神がやはり日本人なんですよね。
まさしく、湯川氏のお父さんのコメントにつながるものであり、
国や文化が違ってもこう言う日本人の意識構造、
精神性を理解し評価してくれる韓国の人々の冷静な声にうれしく思いました。

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