12日は、HAYATO君のイベントにゲストで。

3月11日、東日本大震災から5年の節目の年、
一緒に東北の復興支援に通っている
鍵盤奏者HAYATO君が主催したイベントにゲスト出演して来ました。
会場は、HAYATO君の地元「ふるさと新座館」でした。

ステージは、HAYATO君が気仙沼の復興支援に関わって作った曲などを中心に披露し、
自分も、復興支援に関わってから作った曲から2曲を歌って来ました。

【あなたの笑顔思い浮かべて】

【光めざして~不死鳥のように~】

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先週は、伯父が亡くなり佐渡へ。

3月6日夜に伯父が亡くなり、8日の朝急遽佐渡に行って来ました。
伯父が亡くなった日の日中、
パソコンを使っていると急に画面が暗くなったまま全く見れなくなり、
どうやっても復旧せず、
やり取りしないといけなかった何人かの人とも、
パソコンの液晶が壊れた旨を伝え、
修理に出さないといけないと諦めたのですが、
夜になって人と会うために出かけている時に父親から電話があり、
伯父が亡くなったとのとことでした。
そして、帰宅してからもう一度パソコンを試すと、
何もなかったかのように復旧していてびっくり。
ふと、伯父が亡くなる前の虫の知らせだった気がしてなりませんでした。

亡くなった伯父は、母親と随分年齢が離れていて、
伯父の2歳下の弟にあたる伯父と二人、戦後シベリア抑留を経験し、
下の伯父は抑留中の木の伐採作業中の事故で亡くなってしまいましたが、
今回亡くなった伯父は無事に帰国し、94歳での大往生でした。
6,7年前に自分が伯父のシベリア抑留の体験談を
ビデオに収めるために話を聞いた時に、
大変な苦労をしたはずの体験を、
うれしそうに話をしてくれた姿を思い出します。
自分が関心をもって耳を傾けたからだったんでしょう。
シベリア抑留中「ダモイ、ダモイ」と騙され、
自分がどこにいるのかもわからず色んな場所を連れ回されながら重労働を強いられ、
何とか生きのびて日本の舞鶴に降り立った後も、
しばらくは、まだ騙されているのではないかと、
帰国できたことが信じれなかったと話していました。
自分と縁のあった戦時中を知る人が次々に亡くなっていき、
時代の流れを感じざるを得ません。

10日朝8時に納骨をしたのですが、
皆が集まる頃にすごい雪が降り出し、
お寺のお参りを終えて家に戻るとすっかり晴れて太陽が出てきました。

・納骨の時、すごい雪が降っています。
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2010年7月に、シベリア抑留中に亡くなった伯父の慰霊にシベリアへ行き、
帰国後作った慰霊の歌です。
【貴方の眠る場所~ヤゴダの祈り】

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