昨日は佐渡の友人が上京。
佐渡産食材の素材を活かした高級料亭にでも来たかのような
上品で繊細な料理が食べれますので、
一度行ってみてください。
24日までの期限で依頼を受けていた
「大宮南ロータリークラブの歌」の音源を完成させて佐渡に行って来ました。
丁度スケジュールの合間に3日ほど予定が空いていたので、
佐渡に拠点を移す同郷の知人から頼まれて付き添いでした。
最初は、24日19時30分の新潟発のフェリーに乗る予定でいましたが、
関越に乗る前の道路事情で間に合わず、
途中で翌朝6時発のフェリーに変更しました。
夜新潟に着くとすごい風雨でしたが、翌朝には何とか天候も落ち着きました。
前日まで荒れていたらしい佐渡の天気も一転、
予報では雨のはずだったんですが、
こんな太陽に迎えられました。
その日は、羽茂大崎そばの会に参加。
年に3、4回開催で、何と40年続くイベントだそうです。
太陽が出たり雨が降ったりの忙しい天気でしたが、会場満席でした。
自分はソバのことは全くわからない人間ですが、
地元の方が作った田舎料理から始まり、
つなぎなしそば粉100パーセントのそばがお代わり自由と言うことで、
そば好きにはたまらないイベントなんでしょうね。
食事が落ち着いたところで、
ステージでは地元の方による昔ながら伝わる歌に踊りをつけたりのアレンジを施した
心温まる芸が披露されていました。
自分もギターがあれば飛び入りでと言う話も頂きましたが、
車にギターを積んでいなかったので、
また改めてと言う話になりました。
次回は2月開催のようです。
その後は、実家に帰ってゆっくり過ごしました。
27日、早朝両津発5時半のフェリーで帰って来ました。
また、12月9日のコンサートが終わったら一度佐渡に行く予定です。
一昨日は、12月9日「埼玉会館」で演奏する曲で、
バンド
これまでやったことのな
昨日は、昨年夏に自分のライブを聴いてからファンになってくれた
入間の石田食堂のママさんの予てからの希望だったお店でのライブをしてきました。
思いがけずお会いするのは初めての佐渡高校の大先輩に来て頂いていたりもして、
予定通り30名くらいのライブでした。
石田食堂のマスター、ママさんも、
「大きな会場よりこれだけ近くで聴ける方がいい」と、
とても喜んでくれました。
終わった後は、そのままお客さんとの交流会で、
自分の歌に本当に感動してくれた地元の有力な方々から、
また力強い応援のお声を頂き、
来年は入間でより大きなソロコンサートを準備することになりそうです。
2次会は、2度目になりますが、
9月のAMIGOライブでお客さんが結構来てくれた
「カサブランカ」と言うお店でカラオケ。
最近、お馴染み浦和「サンアイ」でもそうなんですが、
自分のカラオケを聴いてファンになってくれたり、
ライブに行きたいと言ってくれる人が結構いてくれて、
昨夜も何人か12月のコンサートに行きたいと声をかけて頂き、
カラオケ交流も侮れないのです。(笑)
・石田食堂のママさんと。
今日は、依頼を頂いていた大宮南ロータリークラブの歌のレコーディングをしました。
昔会員の方が作った歌のようですが、
オケのリニューアルと歌入れまで時間のない中でしたが、
東北ボランティアつながりのぬまっちに入れてもらった打ち込み音源をベースに、
いずみんが重ねる生楽器のアレンジを考え譜面に起こしてくれて、
山野さんのエンジニアのもと、ピアノ、クラリネットをいずみんが、
バイオリンを有香さんが演奏し、何とか最後自分の歌入れまで終わりました。
普段自分が歌う歌とは全く違うので、
ビブラートをかけないように淡々と歌うのはなかなか大変でした。(笑)
一昨日は、YAMATOハンドの今や押しも押されもせぬ重鎮の一人、
バイオリン有香さんのご親族への結婚お披露目ディナーにお呼び頂き参加してきました。
鹿児島からご両親も来られていて、
鹿児島県人と結構お付き合いのある自分にとっては、
お父さんの最初の挨拶から”ザ・鹿児島の男”をもろに感じ、
大変親近感を持たせて頂きました。
有香さんとは、3年前の自分の10周年コンサートからのご縁ですが、
こういう日を迎え、今日の席に声をかけてもらえたこと、
大変嬉しく光栄でした。お幸せに!
そして、これからもよろしくです!
昨日は、「毎日新聞」の埼玉県版で
12月9日「埼玉会館」で開催予定のコンサート情報を掲載頂きました。
https://mainichi.jp/articles/20171110/ddl/k11/040/232000c
当日ご来場者皆さんにプレゼントする
「熊本復興応援ソング」を収録したオリジナルCDも無事プレス発注をかけました。
当日楽しみにお越しください!
さて、12月9日「埼玉会館」コンサートまで残り1ヶ月となりました。
当日来場者の皆さんにプレゼントさせて頂く
熊本復興応援ソングを収録したオリジナルCDがプレス発注できる段階になりました。
ジャケットで使っている熊本城の写真は熊本市の方から使用許可を頂き、
ジャケット内側の阿蘇の写真は熊本の支援者がわざわざ現地に撮りに行ってくれました。
【熊本城復興の歌】は、ピアノ、ギター、バイオリンVer.と
ピアノ、尺八、二十五絃箏の和楽器Ver.の2パターンで収録し、
テンポも同じはずなのに全く違った雰囲気に仕上がり、
【故郷とともに】は、これまでの自分のギターで録ったデモ音源とは全く違う、
ピアノの他に尺八、二十五絃箏の和楽器の音を存分に楽しめる音源になりました。
現地支援者も大変満足してくれていて、
制作に関わって頂いたミュージシャンに感謝していますとのことでした。
来年はいよいよ熊本でのライブの話も頂いていますので、
熊本では、これまでで一番大きなコンサートを実現したいものです。
当日お越し頂ける皆さん、楽しみにお越しください!
今回佐渡でちょっと驚いたことが。
家紋について興味がある方がいましたら読んでください。
この年齢になってくると、自分のルーツと言うのが気になってくるわけですが、
これまでは特殊な「山登」と言う名前でちょっと調べたりして来ました。
ただ、佐渡でも自分の実家のある20軒余りの集落にだけ
「山登」以外に「船登」、「長登」、「浜登」と
(登)に何か意味がありそうな名前が4種類集中しているので、
多分全国500人くらいいる「山登」の流れとは基本違うと思っています。
お寺の過去帳など調べると何かわかることがあるのかも知れませんが、
すでに住職のいない寺になっているので調べられません。
実は、今回佐渡に帰るまで自分の実家の家紋が墓に彫られていることを
全く気にも留めずにいて気付かなかったのですが、
9月に叔父が亡くなって、
帰省中に叔母から墓に家紋を彫りたいので写真に撮ってもらいたいと連絡があり、
全国五大家紋の一つ「鷹の羽」だとわかりました。
その中の「丸に違い鷹の羽」というものです。
はっきり彫られているのに、 全く気にも留めなかった自分が情けないですね。
ただ、我が家は隣の本家にあたる「山登」の分家になるんですが、
3、4代前にどういう事情があったのかわかりませんが、
我が家の方が長男なのに分家した流れらしいです。
その後、本家の方は2代前に結婚していた家督が亡くなり、
一旦外へ出た弟を家に戻して兄嫁と結婚させて後を継がせたようなんですが、
自分が子供の頃、その家督についた人が佐渡観光のピーク時に欲が出たのか
やっていた民宿を広げたかったようで、
急に自分の実家の土地を返せと言い出し父親とゴタゴタあり、
結局裁判で我が家の方が勝つんですが、
それ以来親戚付き合いはしてない感じです。
以前本家の方の墓の家紋を見たら「丸に蔦の葉」だったので、
てっきり我が家もそうだと思い込んでいたのですが、
今回叔父の墓に彫る家紋の件で全く違う「丸に違い鷹の羽」だとわかりました。
元々本家自体「丸に蔦の葉」なのに
分家したことで「丸に違い鷹の羽」を家紋にしたのか、
それとも長男が分家して出た時に本来の本家の家紋「違い鷹の羽」を持って出て、
本家の方が「蔦の葉」に変えたと考えるべきなのか、疑問が残ります。
それで驚いたことと言うのは、
ご縁があって熊本の復興支援に関わっていて、
復興支援ソングとして2曲作り、
1曲は熊本城、もう1曲は阿蘇に二度行っていることもあり、
阿蘇をテーマにして作った曲なんですが、
この「違い鷹の羽」の家紋に関して知らべてみると、
阿蘇神社の神紋が地元有力一族に下賜された後、
武家を中心に好まれて広がっていったものと書いてありました。
中でも実家の家紋「丸に違い鷹の羽」は、青井阿蘇神社の神紋になるそうです。
7月に阿蘇でライブをして、
地震で大きな被害のあった一の宮阿蘇神社を訪ねお参りして来ましたが、
まさか、そういうことを知らなかったので神紋は気にも留めませんでした。
ネットである方が書いていた阿蘇神社と
「違い鷹の羽」の家紋に因んだ内容が書かれたブログを読んだところ、
阿蘇にある幣立神社の神官さんから、
「阿蘇神社の神紋である違い鷹の羽は、神をあらわします。
違い鷹の羽を囲む丸の一族は、
神の命をうけ天下を統一する一族を意味するそうです。」
と説明を受けたと書いてありました。
佐渡自体が、流人の島であり、
多くの人が歴史上佐渡に移り住んできたのは間違いないことで、
自分が生まれ育った「岩谷口」という集落は、
今回の佐渡の実家付近の写真を見てもらうとわかるように、
最後まで車道がつけられなかったほど
険しい海岸線の断崖絶壁に阻まれた土地にできた集落なので、
集落の「船登」とう家が廻船問屋として財を成し繁栄していた時代背景なども考えると、
自分の実家のあるあたりの集落は 定住地を探して
海から船で移り住んできた人たちが作った集落ではないかと思えたりもします。
我が先祖が「丸に違い鷹の羽」の家紋を全く関係ない立場で家紋にしたのか、
それとも何か阿蘇神社から派生し全国に広がっていった流れの中で
今日に受け継がれてきているのかは明らかではないですが、長くなりましたが、
今回佐渡に帰って知ったちょっと驚いた阿蘇とのご縁でした。
3日の千鳥ヶ淵墓苑での慰霊祭が終わると、
深夜に6人で佐渡に向かいました。
早朝10時過ぎに実家のある岩谷口集落に到着。
11時頃から集落の収穫文化祭でライブ。
たくさんの方に来て頂き、普段は寂しい限界集落が一時賑わいました。