シベリア慰霊巡拝報告:後半

●7月24日
慰霊巡拝二日目。
・アルセニエフ朝の街並み
  

・市場の様子                              ・猿の腰掛も。
  

・この日の供花を購入
 

・アルセニエフ埋葬地

この埋葬地は、慰霊碑がありませんでした。
収容所が駅の近くだったようで、慰霊祭を行った石垣の前は線路です。

・埋葬地付近の民家。     ・埋葬地一帯。          ・慰霊祭を行った石垣と前の線路。
  

・ノボスイソエフカ墓地
※ ガイドが、連絡を取りながら調べたのですが、残念ながら、場所を特定できませんでした。

アルセニエフ~ウラジオストクへいっきに戻る大移動。
・こんな景色が続きます。
  

・途中トイレ休憩のレストラン  ・レストラン隣の民家       ・駐車場に現れた犬。
  

・また、こんな景色が続きます。
  

長時間の移動の末、いよいよウラジオストック市内へ。

・ウラジオストックの海     ・ウラジオストックの巨大煙突 ・ウラジオストックの街並み
   

・ウラジオストック海洋墓地  ・ロシアの慰霊碑        ・ロシア人の墓地
  

海洋墓地は、基本的のロシア人の戦没者の墓地で、
奥の方に入って行くと、日本人が購入したという場所に慰霊碑がありました。
 

・ウラジオストック海洋墓地慰霊碑

きれいに区画されたロシア人の墓地の奥に、
草が茂ってこんな感じで建っていました。

・病院の火事で亡くなったらしい女性たちの墓

ロシア人の墓石には、必ず故人の似顔絵が入っています。

この後、この日の慰霊日程を終えたので、
別料金を払ってウラジオストック市内を見学しました。

・モスクワの方はわかりませんが、
沿海地域は、9割9分と言っていいほど、日本車ばかりでした。
 

・ウラジオストック中心部
  

・ウラジオストック港を一望できる展望台から。
  
以前は、こんな写真撮影は絶対できなかったようです。

・ヴェニスホテル
最後は、空港内にある奇麗な三ツ星ホテルでした。
  
・目の前が空港
 

・9月25日
朝、空港から車で10分のところにあるライオン墓地へ。
最後の慰霊を終えて、14:30発ウラジオストック航空で帰国。
※ デジカメを忘れ、写真を撮り忘れましたが、
やはり、場所的にも空港から近いことから日本人墓参者も多いのでしょう。
最近献花されたばかりの供花があり、一番立派な慰霊碑でした。
ただ、逆に、目につくだけあって、
南方の慰霊碑にも落書きなどがありましたが、
反日感情を持つ人間の仕業でしょう。
何かで壊され欠けている個所が何カ所もありました。
杉村団長さんからは、
来年は自分の伯父が亡くなったチタ州に行こうと言って頂いています。
内陸部になるので、日程も、旅費も倍かかるようです。

・最後、成田空港で、今回の慰霊巡拝団5名と。

今回のシベリア慰霊巡拝を終え、
南方への慰霊巡拝の時でさえも、
戦勝国アメリカの管理人付き、大理石造りの立派な慰霊碑と
日本の戦友・遺族を中心とした民間の慰霊碑とのあまりのギャップを目の当たりにしましたが、
シベリアは、場所も広範囲で数も多いということもあるでしょうし、
戦没者ではなく抑留での死亡者ということもあり、
より目を向ける日本人が少ないのでしょうか?
更に、輪をかけてささやかな慰霊碑ばかりでした。

それと、大きな違いは、
南方では、住民が親日的なため、
通訳はじめ、各慰霊碑を管理してくれている村の代表などが、
一緒に慰霊祭に参加してくれるような流れが出来上がっていて、
慰霊巡拝と言う活動を通して友好関係が築かれている感じですが、
今回のロシアでの慰霊巡拝では、
日本留学経験のある通訳も、
慰霊の間は車で待機しているといった感じで、
完全に仕事として割り切っている感じで、
慰霊祭には一度も参加しませんでした。
元々、ロシアはロシア正教のキリスト教の信仰の土台があったはずなんでしょうが、
やはり、ソ連時代に崩壊してしまっているのでしょうかね。
団長も、多分信仰心がないんだろうからしょうがないと言っていました。
仕事としては、よくやってくれたと思うのですが、
日露友好の架け橋くらいの自覚をもってもらって、
個人的には、是非、慰霊祭に参加して欲しかったと思いました。
このあたりも、南方の慰霊巡拝とのギャップを感じました。
ただ、内陸部に行くとホテルなどがなく、
地元住民にお世話にならないといけないことが多いようで、
慰霊祭にも地域の代表が参加したりというのはあるようです。

今回は、自分の伯父が亡くなったチタ州へは、
3000キロも離れた地、沿海州での慰霊巡拝でしたが、
日本人である以上は、
戦後65年と言う節目に参加させて頂いたことは、
大変、意義のあることだったと思っています。
現在の日本の平和社会を手にするまでに、
このような計り知れない多くの犠牲があったことが忘れられないためにも、
自分なりに後世に向けて発信していかなければと思いました。

最後に、杉村団長はじめ、
慰霊団の皆様、大変お世話になりありがとうございました。

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