ソロモン諸島遺骨帰還派遣(報告:5)
●3月8日
14:55ホニアラ発、ブリスベン行きでガダルカナル島を離れました。
実は、この日、空港に早めに行ったはずが、
団長さんが空港で両替し、遺骨などの超過料金分を支払う予定が、
空港の両替所で両替できないというハプニングが起き、
団長とドライバーの”フランシス”でマイクロバスで街に両替に向かいました。
ところが、なかなか戻って来ず、
フライト30分前になっても戻って来ない。
空港の職員からもそろそろ中に入ってくれとの催促。
でも、団長を置いても動けずにいると、
20分くらい前だったか、猛スピードで戻って来ました。
何と、両替をできると思っていったお店で両替を断られ、
ホテルに戻っても両替するお金が不足しているとかで駄目。
結局”フランシス”が銀行で並んでいる列に謝りながら割り込んで何とか両替ができたものの、
今度は、空港に戻る道が大渋滞。
団長は、もう完全に間に合わないと思い、
今日のフライトをキャンセルして、
大使館に連絡して、これからどうするかなど色々考え出していたとのことでした。
ところが、”フランシス”の運転がすごかったようで、
鬼のようにクラクションを鳴らしながら、
反対車線は逆走するは、歩道を走るはで、
団長も事故に会うのではないかとビビってしまうほどの運転で空港に滑り込んだとのことでした。
後から、団長が訊いてわかったことですが、
当の”フランシス”は、何も無かったかのように涼しい顔で我々を見送ってくれました。(笑)
いやいや、危機一髪でした。
帰りは、オーストラリアの税関にきちっと話が通っていて、
税関職員が出迎えてくれていてスムースに抜けられました。
とにかく、オーストラリアの税関は
外来種の動植物などを国内に持ち込まれないようにチェックが厳しく、
ガダルカナル島で買った貝殻のネックレスにワンポイントで木の実が付いたものは、
木の実の部分だけペンチで取られてしまいました。(笑)
実は、もしかしてと思いスーツケースに入れないでわざと首につけていたので、
やっぱり駄目なんだという感じでした。
木の彫り物などの土産物も、きちんと申告していないと取り上げられてしまうようです。
そのくらい厳しいですね。
ブリスベンから、その夜の宿泊先のゴールドコーストに行き一泊。
●3月9日
朝10:50ゴールドコースト発、成田行きの便に乗り、
19:00頃無事に成田に着きました。
すでに厚労省の職員が迎えに出向いてくれていて、
日本では、税関を完全に別ルートでフリーパスで抜け、
用意してあったバスに乗り、
その夜は、翌日が千鳥ヶ淵での遺骨の引き渡し式のため九段会館で一泊になりました。
『全国ソロモン会』のメンバーやJYMAの学生たちが迎えに来てくれていて、
皆で会食をしてその夜は解散しました。
●3月10日
千鳥ヶ淵での遺骨引き渡し式当日。
朝、9時半にバスが九段会館まで迎えに来て、
厚労省の団長、副団長お二人以外の今回の派遣団員6人一人一人が、
それぞれ今回帰還した遺骨の入った箱を一箱ずつ捧持し、
そのバスに乗って千鳥ヶ淵墓苑まで向かいました。
実は、現地では、作業に追われてそれほど特別な思いが湧いたりすることは少なかったのですが、
千鳥ヶ淵墓苑に向かうバスの移動中、
膝に遺骨を捧持しながら車窓から見える千鳥ヶ淵のまだ咲いていない桜並木が目に入ると、
戦後66年経って、やっと祖国日本に帰ってこれた遺骨なんだという想いが込み上げ、
胸が一杯になってしまいました。
10時から引き渡し式で、
時間になると生演奏に合わせて遺骨を捧持した我々が丁寧に迎えられ式典が始まりました。
そして、式典中は、
献花に来られた遺族の方々が、中には涙を流されている方も多くいるわけですが、
我々に感謝を込めてお辞儀をしていってくれる姿を見ながら、
やはりそこでも胸が一杯になってしまいましたね。
引き渡し式の後は、すぐ派遣団の解団式も行い、
我々政府派遣遺骨帰還団の任務は終わりました。
その後は、皆それぞれ三々五々解散しました。
素晴らしい団長さんの元、JYMAの青年たちも本当によく動いてくれて、
また団員相互が一致団結して本当に有意義な派遣期間を過ごさせて頂き感謝でしたし、
近年では大変多い数になるらしいのですが、
無事163柱を日本に帰還させることができました。
まだまだ、残っている遺骨の数を考えると少ないのこま知れませんが、
今回思ったのは、
遺骨収容が済んでいる勝戦国アメリカとは明らかに遺骨のある場所の条件が違うということ。
日本兵は、戦死した数が多いのはもちろんですが、
過酷なジャングルなどで亡くなっている方が大変多いことが、
遺骨収容の難しさを生み出している原因にもなっているということ。
『全国ソロモン会』の遺児の方々もどんどん年齢が高くなっていっていますので、
今後も、自分も中心的に遺骨収容に関わっていくことは間違いないと思うのですが、
機会を頂ければ、伯父が亡くなったシベリアでの遺骨収容にも参加したいという思いもあります。
これから、ますます、戦友の方は少なくなり、
すでに現地での作業ができる方はわずかになっていますし、
その後を引き継いでいる遺族特に中心的な遺児の方々も70歳代前後です。
そうなると、明らかに次の世代に引き継がれないといけないことは明確で、
遺族と言っても、孫の世代や親戚などとなると、
直接的に遺骨帰還事業に関わる方はかなり少なくなってしまうのは間違いないでしょう。
そういう直接的に関係する遺族などの枠を越えて、
思いのある若い世代が積極的に関わっていかないとなかなか進まなくなるでしょう。
『全国ソロモン会』も自分も含め、
戦友、遺族とは関係ない若い世代が入会して動き出していますので、
年会費5000円がかかりますが、自由に入会できます。
関心、思いのある方は、是非お声をおかけください。
長くなりなりましたが、
これでガダルカナル島政府j派遣の遺骨収容の報告を終わります。
お読みいただいた皆さん、ありがとうございました!