誕生日の1日は…。

昨日は、自分の誕生日でした。
自分の誕生日って結構忘れていたりすることも多いんですが…。(笑)

昨日は、14時から毎月1回通っている大宮のデイケアセンターでライブをしました。
本当は、ブーゲンビル島から帰った先週行く予定だったのですが、
例のアレルギー症状で一週間延期したのでした。
TBSでのオンエアの件など報告し、皆さんとても喜んでくれました。

一度帰宅してから、夜は【涙雨】のアレンジをしてくれた”HAYATO”君と
8月8日オンエア予定のTBSのドキュメンタリー番組の挿入歌用に
【涙雨】の歌入れをするために、8時から朝霞台のスタジオを予約しました。
その前に丁度良かったので、ブーゲンビル島のお土産を渡そうと、
近くにお住まいの追っかけ第2号”埼玉の母M”さんと7時に待ち合わせして
お茶をしながら現地の様子を話しました。
その後は、ついでなのでスタジオでのレコーディングにお誘いしたら、
是非見学したいとのことで一緒にスタジオに。

とりあえずは、今回はテレビの挿入歌として流してもらえる程度での音源作りなので、
”HAYATO君のMTRを使ってのレコーディングでした。
無事1時間で録り終え、その後はたまたま自分の誕生日だったこともあり、3人で食事に。
埼玉の母M”さんにご馳走になってしまいました。
ありがとうございました!

思わぬ展開の誕生日の1日となりました。


明日【涙雨】の歌入れします。

さて、明日はいよいよ【涙雨】の歌入れをします。
佐渡の花の木コンサートに一緒に行ったHAYATO君がアレンジしてくれたのですが、
レコード会社のプロデューサーに聴かせたところOKが出て、
アレンジが決まりました。
歌いれするのにCDにもできるようにスタジオで録音しておこうということだったのですが、
レコード会社のスタジオのタイミングが合わず、
CDにする時には、また改めて録り直すことにして、
とりあえずテレビ局に間に合わないと困るのでHAYATO君と歌入れもすることにしました。
番組内で流れる【涙雨】、お楽しみに!?

昨日は、「全国ソロモン会」の事務局長さんからのお誘いで、
ガダルカナル島からY・SATO氏が帰国されているということでお会いしに行って来ました。
4月のガダルカナル島でお会いしているのですが、
40年以上前、企業からの派遣でソロモン諸島国に駐在されたのがきっかけで、
現地の奥様と結婚され、
ソロモン諸島国に帰化され実業家としての他にも、
ソロモン諸島国の国会議員まで務められた経歴をもつ方です。

銀座で昼食を食べながらお会いしてきました。
4月のガダルカナル島慰霊巡拝の時にライブも聴いて頂いていて、
息子さんの奥様がトルコ人なのですが、
ライブに感動してくれその時にCDをプレゼントしました。
Y・SATO氏は、年齢的にはすでに70歳を越えられていると思いますが、
長年日本とソロモン諸島の友好に貢献され少し前に日本から表彰をされたようです。
慰霊巡拝や遺骨収集においても現地との架け橋になって大変尽力頂いているようで、
昨日も、事務局長が、
8月に行く予定の厚生労働省が絡む遺骨収集の調査の件等の段取りで相談されていました。

Y・SATO氏に、自分の音楽活動が、慰霊巡拝に行ってからというもの、
人のつながりなどを通してとても良い方向に動き出している話をすると、
「もうそのように準備されたいたことが動き出しているんだね。」
とおっしゃっていました。

思いも寄らず「としまテレビ」の取材に。

?今日は、急遽声をかけて頂いて、
「区民ひろば池袋」という豊島区のコミュ二ティセンターに行って唄ってきました。
5月に佐渡出身者の集まりでがダルカナル島に慰霊巡拝に行ったことを話すと、
大叔父さんがガダルカナル島で戦死されているということで声をかけて頂いたのがSさんで、
それがきっかけでお付き合いが生まれ応援して頂いています。
Sさんは、保育園の園長を退職された後、
現在このコミュニティセンターの所長として仕事に就かれていて、
今日は、運営協議会の設立集会があり、
区議なども参加されるとのことで2曲唄えるように段取りをして頂きました。
来場者は60歳以上の方たちという感じでしたが、100人くらい入っていたでしょうか。

思いも寄らず「としまテレビ」さんがカメラを回していて、撮影して頂きました。
2曲唄うということで、「どちらの曲を撮ったら良いですか?」と担当の女性から聞かれ
1曲目の【月】と答えると、「じゃあ、1曲フルに撮りますから。」と言うことだったんですが、
結局気がつくとカメラのアングルを変えてもう1曲も撮って頂いていたようです。

もう1曲は、自分の自主制作アルバム【故郷を遠く離れて】から、
Sさんが【故郷を遠く離れて】をリクエストしてくれたので、それを唄いました。
アンコールで【竹田の子守唄】を唄い、結局3曲唄い終了。
豊島区在住の方は、「としまテレビ」見れるんでしょうかね?

TBSのオンエア日程決まりました!

4月のガダルカナル島慰霊巡拝の模様のTBSオンエア日程が決まりました。
また変わる可能性もあるようですが、とりあえず変更がなければ8月8日(土)とのことです。
ということは、おそらく17:00~の「報道特集 NEXT」という番組内だと思います。
来週早々放送作家の方とお会いするので確認します。
まだ、番組の編集前のようですが、6月末に行った佐渡の花の木コンサートのシーンから番組が始まる構成を考えているようです。
そうなると、サポートで入ってくれていたメンバーも少し映るかも知れませんね。
現地の慰霊祭で【涙雨】を唄っている途中で雨が降って来たシーンも使われるようです。
変更がなければ8月8日、是非見てくださ~い!
 さて、明日はガダルカナル島のつながりから知り合いになった佐渡出身のご婦人のご紹介で、
急遽、”区民ひろば池袋”http://www.city.toshima.lg.jp/shisetsu/9431/007028.htmlで行われる「運営協議会設立集会」なる場で、飛び入り的に2曲唄わせて頂く事になりました。
他には大学生の漫才や芝居などがあるようです。
午後2時に会場入りになってますので、
お近くの方お越しくださ~い!

ブーゲンビル島慰霊巡拝の報告:3

●7月16日
この日は、ソハーノ島という周囲400メートルくらいしかない島にある
ブーゲンビル島の合同慰霊碑での合同慰霊祭と、
自分が「全国ソロモン会」と交流をもつきっかけになった
10年来のお付き合いがあるご婦人Yさんのお父さんが、
やはりこの島で亡くなって慰霊碑があるので、
最後にYさんのお父さんの慰霊祭する予定で動きました。?

10時からの慰霊祭に向けて、
9時の先発隊と9時半の後発隊に分かれて島に渡りました。
ソハーノ島、宿の食堂から慰霊碑も見えていましたが、
いざ上陸すると本当にきれいな島でびっくりしました。
慰霊碑が島の先端の高台にあるんですが、
その周りがずっと一面緑の芝で覆われていて、
黄色い花を付けた木やブルメリアという白い花を付けた木があったり、
ぽつんと椰子の木が立っていたりして
何だか別世界に来た気分でした。
何年かこの島にゆったり住みたい気分になりました。(笑)?

慰霊祭の準備が済んで、
10時からの慰霊祭を待つばかりになりましたが、
来賓で来てくれることになっていたブーゲンビル島の大統領夫妻と、
この島にある学校の先生と子供達が待てど暮らせど来ず、
まあ大統領は忙しくて来れなくなったのかで済みますが、
先生と子供達は約束しているのにどうなっているのか?と、
現地のスタッフを学校に呼びに行かせると、
何と勘違いで、島の反対側にあるYさんのお父さんの慰霊碑の前で待っていました。
結局、慰霊祭も30分遅れでスタート。

この日は太陽が照って、尚且つ蒸し暑く、
待ってる間もなるべく風がある場所を探して待っていたのですが、
何と慰霊祭がまさに始まるというその瞬間から
嘘のように噴水のしぶきのような細かい雨が降り出しました。
でも、空には太陽が照っているんです。
実は、今回テレビ局の放送作家に頼まれて、
自分の慰霊祭で唄うシーンや現地の様子がわかる映像を
少し撮って来て欲しいと言われていたのでカメラを回していたのですが、
思わず「あっ、雨だ!」という自分の声が入っていました。
そう言えば、ガダルカナル島の時も合同慰霊碑前での合同慰霊祭で
【涙雨】を唄っている時に雨が降り出したんですが、
今回もやはり合同慰霊碑前での合同慰霊祭のタイミングでした。
それが、また慰霊祭が終わる頃にピタッと晴れてしまうんです。
また”涙雨”を体験した気持ちで一杯でした。

この日は、持って行ったギターを使って初めて現地の慰霊祭で唄いましたが、
空から降る”涙雨”を浴びながら【涙雨】を唄えたことが、
また自分の心に深い感動となりました。
子供達は、皆中学生でしたが、
一人の女の子がギターを持ってきていて、
伴奏をしながら5,6人の代表で唄う予定だったのですが、
事務局長が自分のことを日本のプロシンガーだと紹介した途端に、
子供たちがプロの後に唄うのはいやだと言い出しらしく、
何とか説得して唄わせたようです。(笑)
ただ、1曲唄ったら気持ちよくなたのか、
もう1曲とうことで結局2曲唄ってくれましたが、
女の子なかりのハーモニーがとてもいい感じでした。?

その後は、島の反対側にあるYさんのお父さんの慰霊碑に行き、
同じように慰霊祭を執り行いました。
Yさんの名前は”幸子”なんですが、
依然自分の都内のライブにYさんが来てくれた時に、
【泰平】という友人に作ってあげた曲の替え歌で、
【幸子】にして唄ってあげたことがあり、
どうしてもその歌をお父さんの慰霊碑の前で欲しいと当日朝にリクエストがあり、
今回【泰平】改め【幸子】で唄いました。(笑)
ご本人も何度も”Oh~幸子♪”と唄うので、
「これだけ”幸子”と呼んでもらえればお父さんにも届いたでしょう。」と
とても喜んでくれました。
まさか、ブーゲンビル島の慰霊祭であの歌を唄うとは思ってもみませんでした。(笑)
そんなことで、これでブーゲンビル島での全ての慰霊祭の日程を無事終えました。

夜は、昼間慰霊祭に来れなかったブーゲンビルの大統領をお迎えして、
ささやかながらのパーティとなりました。

大統領もこの夜は、時間がたっぷりあるということで、
自分のライブもしっかり聴いていってくれました。
唄ったのは3曲、【月】、【太陽へ向かうハイウェイ】、【涙雨】でした。
現地の他のお客さんたちまで聴きに来てくれてたくさん拍手をもらいました。

●7月17日
この日は、いよいよブカ島を離れ、ラバウル経由でポートモレスビーに向かう日。
朝食を終え部屋に戻ろうとする途中、
3,4人で話していた現地人らしき人物の一人が
今回一緒に慰霊に参加した俺と同年代のM氏を捕まえて、
何やら一生懸命話し出しました。
現地のピジン語というか訛っている英語というか、
言っている言葉を一生懸命聞くと、
何やらカセットテープという言葉が聞き取れました。
後から添乗員Sさんが来て通訳してくれてわかりました。
昨夜の俺のライブを聴いて大変感動したので、
M氏を俺と勘違いして呼び止め、
俺の歌の入ったカセットテープが欲しいと交渉していたようなんです。
最初Sさんも「今回彼はカセットテープは持って来てないんだ。」
と断ってくれていたのですが執拗に食い下がって来て、
「カセットテープを100本くらいダビングして、
自分の地域の住民に聴かせたいんだ。」と言うのです。

そのうち彼がとっても社会的な地位のある人物だとことがわかりました。
どうも、ポートモレスビーの上にあるゴロカ”というコーヒーで有名な都市の
リージョナルマネージャー”らしいのです。
Sさん曰く、”リージョナルマネージャー”は、
日本で言うと県知事くらいの役職だそうです。
とにかく、俺の歌に感動したので
自分の地元でたくさんの人に聴かせたいと一歩も引かないんです。
よく考えると、ポートモレスビーで招待されている日本大使館のパーティーで
大使にプレゼントするCD以外に、
もう1枚余分に自主制作の【故郷を遠く離れて】を持ってきていたことに気づき、

それを彼にプレゼントしました。
ゴロカ”に来た時には空港で自分の名前の”ロッキー”と言ってくれれば、
空港職員は皆わかるからと大変な喜びようでした。
そして、自分の兄さんか弟がラジオ局にいるので、
どんどん流すと言ってくれていました。
パプアニューギニアで自分の知らないうちに”YAMATO”名前が広がるかも?(笑)
実は、レコード会社側からも、
【涙雨】を英語バージョンにしてソロモン諸島で広げる方向を考えたらどうか言われていて、
今自分の昔の教え子に英語訳を頼んでいるところなんです。
ソロモン諸島やパプアニューギニアは大変親日的なので、
持って行き様によっては面白い展開が作れるかも知れません。
そんな面白い出会いがありました。

ブカ島を離れ、ラバウル経由でポートモレスビーに到着、
その日のホテルは、なかなかきれいで、かなり日本に近い環境で快適した。(笑)
ただ、アレルギーは最悪の状態で、
痒みと全身赤く腫れ上がって火照ってる感じで、
遂に瞼にまでアレルギーが出て来て不快きわまり無かったですが、
その状態でパプアニューギニア大使官邸の夕食会に行って来ました。
6時~8時頃まで、西山大使と他日本人スタッフ2名に接待頂き、
歓談のひと時をもたせて頂きました。
菊本事務局長より、大使官邸でライブをと言われていましたのでギターも持って行き、
【涙雨】、【男道】、【ソロモン戦友讃歌】の3曲を唄いました。
唄った後、自分のCDをプレゼントしましたが、
大変感動して頂いたようで、「広報で宣伝しますよ。」とか
「日本に帰ったらCDまとめて買いますよ。」などと言って頂きました。
「もっとスタッフを呼んで聴かせれば良かった。」とのお言葉も頂きました。
別のスタッフからも、
「在パプアニューギニアの日本人を集めてライブをしてもらいたいくらいです。」と言って頂き、
大変実りある大使官邸ライブで、今回の全スケジュールを終えました。

●7月18日
ポートモレスビーから成田まで約6時間半。
今回ご夫妻で参加されたS夫妻の奥様と帰りの飛行機の席が隣同士になり、
色々話しているうちに時間が過ぎ、
気がついたら成田まであと1時間ちょっとになってました。
お陰さまで長い機内の時間が有意義に、しかもあっという間に過ぎ去りました。?

この慰霊巡拝で出たアレルギーは正直きつかったですが、
医者から食べ物の症状ではなく薬疹ぽいと言われたこともあり、
アラワ”二日目から症状が出たことを思うと、
かつて銅山の鉱毒被害が多発した地域なので、
やはりその地域に残留している有毒物質が水や食物を通して体内に入って
アレルギー反応を起こしたのが原因かな?
と思えてきます。
長くなりましたが、こんなブーゲンビル島慰霊巡拝の旅でした。

パプアニューギニア地図:http://www.worldmapfinder.com/Map_Detail.php?MAP=21710&FN=map-full.gif&MW=1940&MH=1443&FS=564&FT=gif&WO=0&CE=6&CO=195&CI=0&IT=0&LC=3&PG=1&CS=iso-8859-1&FU=http://www.adb.org/papuanewguinea/img/map-full.gif&SU=http://www.adb.org/papuanewguinea/country-info.asp

※ブーゲンビル島は、間もなくパプアニューギニアから独立国家として独立する予定です。

ブーゲンビル島慰霊巡拝の報告:2

●7月14日
さて、この日からブーゲンビル島での具体的な慰霊祭をおこなって行きました。
まず、前日来た道を1時間余りかけて戻り、
前日立ち寄った”マビリ”という土地にある”マビリ教会”での慰霊祭でした。
この教会は戦時中悲惨な事件があった場所で、
この教会にいたドイツ人の牧師が、日本側からスパイ容疑をかけられ斬首されたというものでした。
スパイというのは、戦時中であれば大変な重罪になるわけですが、
斬首というのは当時最も重い処刑法だったとのことで、
実際、斬首されたのかどうかわかりませんが、
戦後、牧師の慰霊碑に刻まれている”斬首”という言葉を巡り、
日本側から”処刑”に訂正して欲しい旨のやりとりがあったそうです。
そして、現在は”処刑”という文字に訂正されていて、
忌まわしい過去があったにせよ、
処刑されたドイツ人牧師も、この地で亡くなった日本兵も、
共にこの教会で供養しましょうということで、
「全国ソロモン会」や有志団体から寄贈された教会の建物の傍らに、
ドイツ人牧師と日本の慰霊碑が並んでありました。
教会の中には、この”マビリ”の地で亡くなった戦没者の写真の他にも、
希望する遺族が掲げた戦没者の写真がいくつか掛けられていました。

ここでは、約1時間ほどの慰霊祭でしたが、
福岡から来られていたご婦人Tさんのお父さんがマビリの地で亡くなられている為、
追悼文を読まれました。
それぞれがご焼香と献花をした後、
教会のメンバーがギターを持ってきて追悼の歌を披露。
実は、2泊3日のブーゲンビル島の慰霊では、
事務局長が悪路なのでギターが壊れないかということを心配し、
また、行きは車3台で行ったのですが帰りは2台になることもあり、
自分のギターは持って行くのをやめたのですが、
急遽教会の青年のギターを借りて唄って欲しいということになり、
カポもハーモニカも無かったので、
カポ無しで唄える【ソロモン戦友讃歌】を1曲唄いました。
慰霊祭後は、教会で用意してくれた食事を皆でいただき、
暫しの交流をして次の慰霊地に向かいました。

午後は、”キエタ”という地での慰霊祭でしたが、
また”アラワ”方面に戻り、今度は”マビリ”と反対方面に2,30分行ったところでした。
”キエタ”は、「全国ソロモン会」の会長さんが終戦を迎えたところでした。
慰霊碑は、近くに住み出した現地の女性が管理してくれているらしく、
周りに花などがきれいに植えられていました。
近くにはオーストラリア軍の上陸記念碑と
日本の零戦や戦車が野ざらしで一緒に展示されている場所がありましたが、
草が茂っているので草を踏み倒して近くに行くといった感じでした。

その後も更に少し先へ進んで、
今は反政府軍の心配があり行けない”ブイン”方面に向かって、
道路脇のひろばで”ブイン”方面で戦没されている方の慰霊祭を行いました。
このあたりは、やはり反政府軍が動乱を起こす前は、
銅山で繁栄していたんだろうなと思わせる建物跡が残っていたりしていました。
外資系のリゾートホテルの建物も無残な姿で残っていましたが、
動乱前に慰霊に来ていた時にはそのホテルにも宿泊したそうです。
そのあたりの海岸線の景色は本当きれいでした。
”アラワ”の宿への帰り道、
今回体調があまりよくなくドクターストップがかかって来れなかった
お馴染みの遺族の方の変わりにもう一箇所簡単に慰霊祭を行い、
この日は結局計4回の慰霊祭を執り行ったことになりました。

夜中から朝にかけてずっと雨が降っていたので、
慰霊祭中に降られる心配をしていたんですが、
一日晴れてくれて滞りなく慰霊の日程を終え何よりでした。
帰ったその日は、日本で食べたらいくらするんだろう?というようなロブスターが待っていました。
もういい!というくらい食べました。(笑)
この日も、南十字星がきれいに見えていました。
どうも”アラワ”に着いて、
この日からアレルギーが出てきました。
最初腕の内側に少し出て来たんですが、
まさか、あんなに酷くなるとは思ってもみませんでした。

●7月15日
この日のスケジュールのメインは車での移動。
要は、6時間余りかけて”アラワ”まで来た道をもどるわけです。
また夜中から朝方まで雨が降っていましたが、
出発の頃には晴れてくれました。
途中一箇所、”ヌマヌマ”という地にある慰霊碑でも慰霊祭をしました。
こんなところに慰霊碑があるの?というような
人間の背丈以上茂っている草をそのまま車で踏み倒していくと慰霊碑がありました。
そこでも、慰霊に行けない方面に向かって亡くなられた方々の慰霊祭を行いました。

そして、太陽が照って暑いくらいだった天候が、
慰霊祭が終わる頃になると段々雲行きが怪しくなってきて、
車に乗って暫くすると土砂降りの雨になりました。
慰霊祭が済んだ後で良かったとい感じでした。

川の増水が心配されましたが、
車で渡れなくなるまでの影響はなく、
行きで昼食を食べた”テンブツ”村で再度昼食を摂りましたが、
とにかく雨がずっと土砂降りだったので、
あと二つほど残っている川の増水が心配だということになりすぐに出発しました。

車の中で、添乗員のSさんが、
「あそこのオーナー、今日は雨が降ったから1割り増しにしてくれと言って来た。
こっちは、雨が降ったのに行ってやったんだから逆に1割引きだよ。」と呆れてました。(笑)
ちなみに現地のお金で一人20キナ、日本円で約800円なので決して安くはないです。

その後も、増水の心配は問題なく、無事最初に泊まったブカ島の宿に戻りました。
その夜は、前夜の”アラワ”の宿のロブスターに続き、カニでした。
このカニが、またとっても美味かったです。
皆さん、さすがに移動疲れがあり、
この日は皆さん早々と寝たようです。

そして、翌日は、ブーゲンビル島でのメインの慰霊祭、
夜は、ブーゲンビル大統領を招いてのパーティでした。
続きは、また追って。

※ ブーゲンビル島地図
http://map.yahoo.co.jp/pl?p=Genn&lat=-5.999908&lon=154.999934&lnm=%A5%D6%A1%BC%A5%B2%A5%F3%A5%D3%A5%EB%C5%E7&idx=100&type=scroll&sc=13&v=2&ei=euc-jp:
今回は、ブカ島というところからブーゲンビル島の東側海岸線を走る道路を使って、
”キエタ”までの往復でした。

ブーゲンビル島慰霊巡拝の報告:1

4月に慰霊巡拝に行ったガダルカナル島は、
ソロモン諸島国という国に属しビザがいりませんでしたが、
今回のブーゲンビル島は、
同じソロモン諸島方面でもパプアニューギニアに属しているため、
ビザを申請しての慰霊巡拝となりました。
今回も、感動的なシーンや出会いがありましたので報告して行こうと思います。

●7月11日
ニューギニア航空で21:05成田発でしたが、30分ほど遅れてのフライトになり、
パプアニューギニアのポートモレスビーに向かいました。
機内では、慰霊巡拝ではお馴染みの添乗員Sさんと二人、
添乗員さんと顔見知りの男性フライトアテンダントに頼んで、
乗客が寝静まった後も客室最後部の空間のカーテンを閉めて語り明かしました。
お陰で睡眠時間1時間での旅の出発となりました。(笑)

●7月12日
ポートモレスビーにて飛行機を乗り継ぎブーゲンビル島の玄関口のブカ島に向かうのですが、
乗り継ぎの国内線のフライトが当初の9:30発から3時間ほど遅れるということで
ポートモレスビー市内見学に出発。
連合国軍共同墓地、国会議事堂、帰りに宿泊する”エラビーチホテル”などを見学。
その後、国内線にてブーゲンビル島の玄関口”ブカ島”へ。
宿は、”クリビレッジリゾート”というところで、
一応は、全室シャワー、トイレ、エアコン完備でした。
シャワーは使用中に出なくなるので困りましたが。(笑)

何よりも、食堂が海の上にあり、
海の中の熱帯魚を見ながら水族館気分に浸れるところが魅力でした。
食堂からは海峡を挟んで”ブーゲンビル”島が正面に、
周囲が400メートルほどの合同慰霊碑のある”ソハーノ島”が右手に
白い慰霊碑とともに見えていて、
どちらも”ブカ島”から直線距離にすると4~500メートルといったところだと思います。
海峡をYAMAHAの船外機を付けたボートが頻繁に往来していて、
交通手段のメインが船だということが容易にわかりました。
ボートは水上タクシーとして利用されています。
現地1日目の夜は海風が心地よく、、意外に涼しくて快適でした。

●7月13日
この日向かう”ブーゲンビル島”は、現在独立する準備をしているところですが、
我々が滞在する”アラワ”という地域は、
かつて銅山で繁栄した頃に地域住民に鉱毒による健康被害が多発。
パプアニューギニア政府が、地主にも安い地代しか払わないことから反政府運動が起こり、
長い間紛争が続いた地域でした。
反政府軍の反乱によってこの”ブーゲンビル島”の経済発展は完全に止まり、
”ガダルカナル島”から比べても明らかに遅れているようです。
今は大分治安は安定したものの、
島の反対側の”ブイン”という地域に向かう途中では、
已然反政府軍の残党がいて、高い通行料を請求することがあるらしく、
「全国ソロモン会」のメンバーも2、3年前に一度”ブイン”に向かう途中に彼らに遭遇し、
銃を突きつけられ高い通行料を請求され、
怖い思いをし引き返したことがあるとのことでした。
それ以来、”ブイン”方面への慰霊巡拝は取りやめているのですが、
”戦艦大和”のフィルムが埋められているのがその地域のため、
フィルム捜索メンバーは、今回の我々の現地で得る情報を聞いて
いつ捜索に行くかを判断することになっています。

夜中ずっと雨が降っていてどうなるかと思いましたが、
朝になると少し晴れ間が出てきたので、
雨の切れ間を縫って2艘のボートに分かれて便乗し、
2泊3日で慰霊に向かう”ブーゲンビル島”に渡りました。
と言っても、ものの5分で対岸の”ボニス”に到着。
それにしても、皆ボートを海上タクシーにして生計を立てているだけあって、
船外機の操縦がとても上手く、感心しました。
港らしき狭い砂浜の海岸にボートを頭から乗り上げて着けるのですが、
それが隙間無く並んでいて、
一艘ギリギリ丁度空いているスペースにも見事に乗り着けてしまいます。
狭い場所でよくぶつからないなと感心してしまいました。

さて、その後は2台の四輪駆動車に分乗し、
目的地”アラワ”に向けて”ガダルカナル島”、”ブーゲンビル島”の慰霊巡拝で
最も過酷だと言われている舗装されていないデコボコ道を6時間余りかけての移動。
舗装されてなくても平らなら良いのですが、
思っていたいた以上の悪路で、
車は大きな穴を避けながら走るのですが、
そんな道でも現地のドライバーは70キロで飛ばす、飛ばす。(笑)
後部座席は、左右向かい合うタイプの座席でほとんどクッション性がないため、
その振動はかなりのものでした。

途中、”テンブツ”という集落で昼食を摂りましたが、
慰霊団が立ち寄るようになって食堂を始めたという馴染みのファミリーらしく、
常連の方はプレゼントを用意してきてファミリーに渡したりしていました。
食事は思いの外美味しく、自分は魚を食べませんでしたが、
アジの唐揚げとカツオか何かを煮付けたものが大変好評でした。
道中は、以前かかっていた橋が川の氾濫で壊れているものが多く、
11本の川を水に浸かりながら車で渡りましたが、
これまでも、川が増水して渡れず断念したことがあるようです。
道路脇に一箇所、戦時中の日本軍の朽ち果てた戦車が放置されている場所があり、
その残骸を見ながら64年の流れた歳月の重さを感じさせられました。

あと、車で走りながら”ガダルカナル島”の住民との違いに気づきました。
と言うのは、同じように皆我々を見つけると手を振ってくれるのですが、
手を振るときに大きな声を上げながら振ってくれるのです。
”ガダルカナル島”の島民よりも純粋というか天真爛漫というかそんな印象を受けました。
経済復興が遅れている分、住民の心が擦れていないということなのだろうかと思いました。
それでもある戦友の方が、紛争が起こる前と後では島民の表情が変わったと言ってました。

途中2,3度のトイレ休憩や、
戦没者の写真を教会に掲げて毎回慰霊祭をやらせて頂いている”マビリ教会”にも立ち寄り、
シスターと翌日行う慰霊祭の打ち合わせなどをしたりして、
やはり6時間余りかけて”アラワ”の宿に到着しました。
島民はほとんどがクリスチャンなわけですが、
途中、道路端に大きな十字架が数多く地面に立てられているのが目に付きました。
自分が乗っていた車は途中2度もパンク。
予備のタイヤは一つしか積んでいないのでもう一台のを交換しました。
見るからにタイヤの目がないという感じでしたが、
やはりかなりの悪路というのは身をもって実感しました。
帰りまた同じだけ乗るのかと思うとゾッとする感じでしたが、
今回も会長93歳をはじめ、90歳前後の方が4人いましたので驚くばかりです。

”アラワ”では、”クリビレッジリゾート”という宿に宿泊。
トイレ、シャワーは各部屋にはなく共同でした。
建物自体、自家発電で電気を供給しているので、
普段夜中は停電するらしいのですが、
今回我々が宿泊するということで24時間停電しないようにしてくるはずが、
結局夜中トイレに起きると真っ暗。
夜雨が降っていたので本当に真っ暗で困りました。
外はまだ良いのすが、トイレの中が本当何も見えないんです。
皆さん、準備の良い方は携帯用の懐中電灯を持ってきているので使ったようですが、
中には慰霊祭用のロウソクを灯して行ったら途中で消えて困ったという方も。(笑)
次の日は、話してもらってちゃんと24時間停電無しでした。

夜は、ガダルカナル島の経験から熱帯夜を覚悟していたのですが、
結構涼しくて拍子抜けした感じでした。
夜空も晴れていたので星が奇麗で、
前回”ガダルカナル島”では見逃した南十字星を初めて見ることが出来ました。
南十字星を見たかったという方もいて、満足げでした。

翌日は、”ブーゲンビル島”での慰霊祭でしたが、続きはまた明日。

※ ブーゲンビル島地図
http://map.yahoo.co.jp /pl?p=Genn&lat=-5.999908&lon=154.999934&lnm=%A5%D6%A1%BC%A5 %B2%A5%F3%A5%D3%A5%EB%C5%E7&idx=100&type=scroll&sc=13& v=2&ei=euc-jp:
今回は、ブカ島というところからブーゲンビル島の東側海岸線を走る道路を使って、
”キエタ”までの往復でした。

渋谷のオーロラビジョンでオンエア!

先ほどレコード会社のプロデューサーから電話が入り、
自分がソロモン諸島から帰るのを待っていたとのことで、
何かと思えば、
渋谷のオーロラビジョンでPVと一緒に自分の楽曲をオンエアできる枠が取れたとの連絡でした~!
オーロラビジョンの会社に、
自分の今やっている慰霊巡拝の活動などを交えてアプローチをかけたところ、
どちらかと言うと軽いノリの楽曲が多い中で、
逆に俺のような曲は面白いかもしれないという話になり枠をもらえることになったそうです。
これからオンエアの楽曲を決めたりPVを作成したり諸々準備も必要になるので、
オンエアはまだ先にりますがとりあえずそんな話が決まりました!
前回のガダルカナルの時もそうでしたが、
慰霊巡拝から帰ると色んな新たな展開が生まれるんで本当不思議です…。
インタビューも交えて1日15回のオンエアのようですが、
また詳細は追って資料を送るとのことでした。
とりあえず帰国早々の朗報でした!

無事に帰国しました!

ご無沙汰していました。
お陰様で一昨日夜、
7泊8日のブーゲンビル島の慰霊巡拝ツアーから帰国しました!
今回は、旅の4日目から全身激しい蕁麻疹に見舞われ、
酷い痒みと火照りの症状を抱えながらの慰霊巡拝となりました。
元々、中国留学中に初めてアレルギー症状が出るようになったんですが、
普段日本で生活していても、
多分疲れているときに出るんだと思いますが、
年に1回あるかないかでたまに出ることがあります。
今回は本当に全身隈なく出た感じで、全身が腫れてる感じでしたね。

行きの飛行機の中から慰霊巡拝ではお馴染みの専属添乗員さんと
添乗員さんが男性のフライトアテンダントとも顔なじみのようで、
乗客が寝静まった後、最後部に行って盛り上がり、
結局1時間寝たか寝ないかの状態で翌日からの日程がスタート。(笑)
ガダルカナル島の時もそうだったんですが、
現地では毎晩1、2時間ごとに目が覚めるので、
熟睡できてないこともあるのか、
だからと言って昼間は疲れた感は全くなく至って元気なんですが、
やはり体の疲れもあって抵抗力が弱っていたんでしょう。

結局5日くらい我慢していたことになりますが、
帰国してからも全く症状が治まらないので、
昨日地元の病院の救急部に行って診てもらって来ました。
あいにく、専門医ではなかったのですが症状を診てもらい、
念のため採血して検査の後注射をしてもらって来ました。
専門医では無かったので、
明日は休み明けにまた改めて皮膚科に行って来ますが、
アレルギーの出方が食べ物というより
薬のアレルギー反応が出るときに似ているような話をしていました。
と言っても、現地では一切薬など飲んでないんですが、
思い当たる変わったものと言うと、
車の移動中に現地の人が差し入れしてくれた生の落花生か、
現地の人が作るジャングルジュースというアルコールを、ちょっとコーク割で飲んだくらい…。
あとは、水だけど、基本ミネラルウォーターしか飲まないので…。

たまたまアレルギーが出る前に日本から持って行った柿の種を食べたときに、
ご丁寧にアルレルギーが出る可能性のあるものとして袋に三種類書いてあり、
その中に落花生が書かれているのを見ました。
普段、日本では乾燥させたものを食べているので問題なくても、
生の落花生というのが悪かったのかな?とも思ったりしています。
かなり食べましたので。(笑)

今日は、多少症状は治まった来た感じですが、
とにかく本当に全身隈なくと言って良いほど酷いのいで、
明日また病院へ行って専門医に診て貰って来ます。
アレルギーが出る人は肝臓の機能が弱い人が多いらしいですが、
採血の結果は肝臓機能は数値的に問題ないとのことでした。
献血しての血液検査でもいつも問題ないですからね…。

慰霊巡拝自体は、また感動的な出会いなどもあり、充実したものになりました。
また、追って報告をブログにでもアップしたいと思いますが、
「全国ソロモン会」の会長はじめ事務局長、他に戦友の方が一人と、
90歳前後の方が今回も3人いましたが、
ガダルカナル島以上に過酷なあの慰霊巡拝のスケジュールを
何事も無く無事に消化してくるというのは、
本当に奇跡的なことだとつくづく感じながら帰って来ました。

追記:
知人のコメントで気づいたことがあります。
今回行ったブーゲンビル島で2泊したアラワと言う地にいる時に症状が出てきたんですが、
実は、その地はかつては銅山で大変繁栄した地域で、
地域民の間に鉱毒による健康被害が多発したことをきっかけに反政府軍の運動が勃発して、
大分沈静化されて来てはいるものの、
今でもブーゲンビル島の一部地域に反政府軍の残党がいるようなんですが
そういう縁のある地だったんですよね…。
診て貰った医者が、食べ物ではなく薬疹っぽい症状だと言ったことも
今思うとその辺が関係することがあるのかな?と。
自分の体が「アラワ」にいる時に口にしたものの中に、
わずかながらでも含まれている有毒物質に敏感に反応することが可能性としてあるのかどうか…?
とにかく明日、専門医のところに行って来ま~す!

本日ブーゲンビル島に出発です!

いよいよ、今日ブーゲンビル島に出発です!
元々、自分の10年来の知り合いのご婦人が
「全国ソロモン会」のメンバーだたことから始まったソロモン諸島への慰霊巡拝ですが、
その知り合いのご婦人のお父さんが亡くなられているのがブーゲンビル島です。
今回のメンバーは、もうベテランの方々ばかりということですが、
参加者名簿を見ると中には自分以外の有志で、
高校教諭や戦史研究家の方などもいらっしゃいます。

自分の出身新潟の新発田連隊からたくさん出兵してソロモン諸島で亡くなっていますが、
やはり新発田出身の山本五十六海軍大将が戦死した場所が
ブーゲンビル島のブインという場所です。
残念ながら現在も長く続いた反政府独立運動の影響が残っているらしく、
治安の関係上そこには行けませんが、
精一杯の慰霊をしてきたいと思っています。

ガダルカナル島から同行していた放送作家のH氏は、
我々が帰った後出発する計画の戦艦大和のフィルム捜索メンバーに同行する予定なので、
今回のブーゲンビル島には同行しませんが、
今後シベリアへの慰霊巡拝に向けた自分の番組のために、
自分のホームビデオで簡単に現地がわかる映像や、
自分の現地でのライブの模様を撮影して来て欲しいということになっています。
実は、戦艦大和のフィルムが埋まっている地域は、
丁度治安の悪いほうの地域らしく、
これまでも捜索に3回行って1回しか具体的な捜索ができていないそうです。
今回も、我々の情報を待ってから行くかどうか決定するそうです。
どんな慰霊巡拝ツアーになるか、また帰国後の報告をお待ちください!
では、18日夜に帰国しま~す!

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