「三陸新報」が届きました。
2012年6月に初めて復興支援に訪れた時に出会ってから丸9年になるんですね…。
今は94歳になりお元気なようで何よりです。
気仙沼が気に入って、新卒で東京からIターンで就職したそうで、
気仙沼で会えるのをお互い楽しみにしています。
明日夕方、能登のFM「ラジオななお」にゲスト出演します。
以下ご紹介頂いています。
ネットからは全国で聴けますので、よろしくお願いします!
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志賀町、輪島のご当地ソングを歌われている、歌手のYAMATOさんが、
ラジオななお、ラジオかなざわ、ラジオこまつで、
明日5月26日水曜日18時半〜放送の「山崎至の至らない話」にゲスト出演されます。
YAMATOさんってどんな方で、
なぜ、能登のご当地ソングを作られたのかなどを、ご本人からお話いただいています。
もちろん、曲も聴けます!
圏外の方は、サイマル放送でお聴きいただけます^ ^
https://www.jcbasimul.com/…
こちらの記事もぜひご参考に♪
https://noto-renaissance.net/shiga-wajimasonglive2021/
確か10年くらい前にHAYATO君に録ってもらった音源ですが、
『遥かなる故郷の空よ、海よ』のフォトスライドショー作ってみました。
音楽活動を始めて間もない頃、
右も左もわからない音楽業界に故郷への強い思いだけで飛び込み、
当時抱いていた心境を綴った歌ですね。
2005年〜2007年まで続いた「佐渡お笑い島計画」で、
2006年のキャンペーンソングでした。
5年前の大宮「東光寺」で、
東日本大震災から5年間毎年行なわれていた追悼法要ライブ、
最後の年にお声かけ頂き開催した時のライブ動画。
このライブの【涙雨】だけは、
1曲だけ編集してアップしてもらっていたので紹介したりしていましたが、
ライブのフルバージョンは告知していなかったかも知れません。
当日撮影した高橋さんが、
MCをカットして歌だけ全12曲を1時間弱に編集アップしてくれています。
大きな本堂なので、小ホール並に250人位入っていた記憶がありますが、
東日本大震災と追悼をテーマにした選曲でのライブでした。
尼僧瀧本光静先生が作詞したのを依頼されて、
自分が補作詞、作曲した【優しい手〜静かな光になりたい〜】をライブで披露したのは、
考えたらこの時が最初で最後ですね…。
【月】は、普段歌っているアコースティックVer.ではなく、
アレンジの違うCDのフルバンドVer.で歌ったら、
何か最初から歌詞を間違えてしっくり来ないと思っていたら、
2番は歌詞が完全に飛びましたね…。
お時間ある時にどうぞ!
◆セットリスト
1:天つ風〜久遠の祈り〜
2:平和の鐘
3:誓い
4:涙雨
5:19の夏〜あなたと歩いた月の夜道〜
6:月夜に降る雪
7:あなたの笑顔思い浮かべて
8:追憶の故郷
9:優しい手〜静かな光になりたい〜
10:月
11:光めざして〜不死鳥のように〜
12:それだけで幸せなこと
7、8年前に尼僧の瀧本光静先生からの依頼で作曲した
【優しい手〜静かな光になりたい〜】、
人前で歌ったのはこの時しかないんですが、
コロナ禍と言う世情もあるのか…、何だか以前よりもより心に響いて来る気がしました。
当時HAYATO君にアレンジしてもらって録ったデモ音源ですが、久々に。
CD発売からタイミングが遅れましたが、
能登のCDのチラシ、ポスターのデザインができました。
デザイナーが、毎回ご当地ソングCD のジャケットに自分が出ていないので、
今回はポスター、チラシで表に出しましょうとのことでこんな感じになりました。
背景の写真は、中さんが日頃撮っている写真の中から、
さくら貝の地元志賀町増穂浦の写真を使わせて頂きました。
これから能登の志賀町や輪島市を中心に
あちらこちらでポスター、チラシを見かけるようになると思いますので、
地元の皆さんよろしくお願いします!
久しぶりにテレビをつけたらやっていたNHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」。
普段はほとんどテレビを観ないものの、
たまたまドキュメンタリー系の番組をやっていると観てしまうのですが、
芸人としては、
今明石家さんまを抜いて人気で3年連続1位になっていると言う
サンドウィッチマンを追いかけた再放送でした。
自分としては、芸能の世界に身を置きながら、
芸能界にはほとんど興味がないと言うか、
音楽の世界での自分の方向性と言うか立ち位置が見えて来てから
興味が無くなったと言ったほうが正しいかも知れませんが、
彼らが何でこれだけ人気が出るようになったかと言う内容の中で、
共感できるワードがいくつかありました。
まず、背伸びをしないと言うことや、
周囲が二人のことをプライベートと仕事の時で垣根がなく裏表がない、
全く変わらないと感じていたり、
これは自分がいつも心がけている自然体でいることと通じると思いましたね。
あと、人の為に、誰かの為に何ができるかと言うことを考えていると言っていました。
自分の為にと言う動機だけで何かやってもすぐに限界が来ると思いますが、
誰かの為にと思う方が人は力が出るんですよね。
自分の為に命をかけることはなかなかできなくても、
愛する人の為には命をかけることができるのだと思います。
話しが飛びましたが、具体的には売れなていなくても面白い芸人はいるので、
自分たちの力で引っ張り上げてあげられるような機会があれば、
そう言う芸人を用いてもらうように働きかけたりしていると言っていました。
常に誰かの力になってあげられることがないかを考えているんでしょうね。
東北にいる時に東日本大震災に遭遇して生き延びられたことで、
自分たちがやらなければならないことがあると思うと言うようなことも語っていました。
実は、全く知らなかったのですが、M1でグランプリを獲っていたようで、
確かにたまたまテレビで二人の漫才を見て
なかなか面白いな…と思ったこともありましたし、
東北の被災地支援を熱心にしていると言うことでも、
ちょっと気になっていたりしたのですが、
今回の番組を観て、自分の中での好感度も上がりました。
昨年11月3日、コロナ禍の中ではありましたが、
毎年恒例の「東京ヤゴダ会」主催シベリア抑留犠牲者鎮魂歌慰霊祭が開催されました。
自分は、伯父が一人シベリアで亡くなっている為、
遺族としての立場で、2009年から毎年追悼の歌を奉納させて頂いています。
昨年の慰霊祭、自分は屋根に近い場所で歌っていて全く気づきませんでしたが、
【涙雨】を奉納している時にミストのような雨が降っていたようで、
歌い終わる頃にはすっかり止んでいました。
2回目の参列になった能登から参加の中西さんが参加者の感想で、
「皆さん、涙雨が降りましたね。思いは間違いなく亡くなった方に届いています」
と話をしてくれた後、初めて能登から参列してくれた元自衛官の中さんが、
「これがYAMATOさんがよく話していた”涙雨”かと思った。
その瞬間英霊がこの慰霊祭の場に降りて来て我々を包んでいる感覚になった」
と感動的な感想を述べてくれていました。
少し前から、慰霊祭の模様をフォトスライドショーにしようと思っていたのですが、
意識したわけではないのですが、奇しくも先日「昭和の日」にアップとなりました。
振り返れば昭和という時代は、
日本のみならず世界中で多くの尊い命の犠牲が払われた激動の時代でした。
戦争と言うのは、国と国の、
双方の正義と正義のぶつかり合いですから、
どちらが正しいかを論じたら平行線を辿るばかりだと思います。
同じ戦争の括りの中でも、
場所が変われば加害側、被害側の立場が逆転することも多々あることです。
平和とは”命の尊厳”であると思うので、
我々が平和を希求する上で、かつての戦争で犠牲になった尊い命に目を向けることなく、
真の平和は語れないと思っています。
今我々が享受している平和の礎は、
日本だけではなく世界中で払われた尊い命の犠牲故に、
戦争の悲惨さや不条理さを世界の人々が知ったことで構築されたのは間違いないことで、
何かの折りに、そのような犠牲に意識を向ける時間を持つことは、
まずは自分の心の中に平和を宿す上でとても大切なことだと思っています。
その犠牲になった命がせめて浮かばれるとすれば、
その犠牲を忘れることなく、
ニ度と戦争を起こすことのない平和な世界を実現していくことだと思います。
そうは言っても、悲しいかな今この時も世界各地で紛争は止むことなく続いていますが…。
シベリア抑留問題は、
当時のソ連によって終戦後に日本人に降り掛かったあまりにも不条理な災難であり、
戦時中に亡くなった方々は英霊として靖国神社に祀られていますが、
シベリア抑留中に亡くなった方々は、終戦後になる為そのような扱いにならず、
日本に戻った遺骨は千鳥ヶ淵墓苑に納められています。
自分の伯父の遺骨も、
シベリアの埋葬地からすでに千鳥ヶ淵墓苑に戻っていることになっていますが、
60万人近い日本人がシベリアに抑留され、
食べ物もまともに食べれず過酷な労働を強いられる中、
飢餓、作業中の事故、極寒の冬を越えられずにと、
約1割にあたる6万人近い方が亡くなっていると言われています。
生き残った方の年齢のほとんどが20歳代前半以下であったことを考えても、
どれだけ過酷な環境であったかを物語っています。
余談になりますが、これまでシベリア抑留犠牲者の慰霊祭に関わりながら、
つくづく日本人の人の良さみたいなものを感じることがありました。
この問題は、
本来なら終戦後に起きたロシアの国家的犯罪とも言えるような大変な問題なのですが、
日本人は高らかにそのことを訴えず泣き寝入りのようになっていることもそうですし、
直接の被害者である遺児の方が、ロシア人を恨む言葉どころか、
慰霊に行った時に親切にしてもらって有り難かったとか、
慰霊碑を管理してくれていることに感謝しているとか、
そんな言葉を何度か聞いて驚いたことがあります。
何て素晴らしい心なんでしょうかね…。
「昭和の日」、遥か遠い昔ではなく、
わずか人一人の人生ほど前の昭和の時代に
そのような悲惨な歴史があったことを思いながら、
フォトスライドショーを観ていただけたら幸いです。
スタッフの中さんが撮ってくれていた写真を中心に、
能登ご当地ソングCDお披露目ライブツアーのフォトスライドショーを作ってみました。