【30年ぶりの再会】に感謝です!

昨年12月、新潟万代シティーのイベントに参加した際に、
30年ぶりに3人の恩師と再会を果たしました。
自分が小6の時の担任だった恩師、
妹の担任で自分は家庭科を習った女性恩師、
そして、自分がギターを始めるきっかけになった恩師の3人でした。
皆さん、小6の時にお世話になりました。

3人の恩師ともそれぞれの立場で自分を応援して頂いていて、
本当に感謝に絶えないわけですが、
今回、ギターを始めるきっかけになた恩師が書いて下さった文書を紹介させて頂きます。
今は新潟の小学校で校長をされていて、
遠くから陰ながらもしっかりと自分の応援をして頂いています。

昨日久々に近況報告を兼ねてメールをさせて頂いたら、
学校便りや校長会の便りで下記の文書を掲載して
俺のことを紹介して頂いたとのことでした。
旧知の人から早速CDを欲しいとの問い合わせがあり、
恩師から贈って頂いたとのことで、
その方から毎日の通勤時に車で聴きながら聴き惚れているとの連絡があり、
恩師も嬉しかったとおっしゃっていました。

紹介頂いた文書です。

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【30年ぶりの再会】
校長 森 弘志

先日、新潟の万代シティへ出かけました。目的は一人の歌手と会うためです。彼の出番 は、3時半からということで、余裕を持って車で出かけました。予報は雨でしたが、昼頃まで は薄日が差す穏やかな天候でほっとしていました。しかし、3時ころから急変し、風雨が強く なり、彼の出番のころには横なぐりの雨がたたきつけるようになりました。中止かもしれないと心配しながらも野外ステージに向かいました。そこには30年前と変わらない笑顔の彼がいました。彼は、私が新採用で佐渡の北端の小さな学校に赴任したときの6年生でした。毎日のように私の借家に遊びに来ていて、砂浜で野球をしたり、夏は海に潜ってあわびやサザエをとったり、自転車で遠出をしたりしていました。そのうち、私の持っていたギターに興味を示したので、簡単なコードを教えて弾き語りのまねごとをやるようになっていました。そんな1年を過ごしたのちの六送会で、彼はもう一人の6年生ともに、ステージ発表をしました。曲は、南こうせつの『夢一夜』、へたでしたが、一生懸命で感じるものがありました。
それから30年後、ちょっとしたきっかけで、彼がシンガーソングライターとして活動しており、10月1日にメジャーデビューすることがわかりました。
さっそくメールで連絡を取り合い、CDを購入するとともに、今回の再会となったわけです。
主催者からの中止の申し出を断り、たった6人の聴衆の前で彼は5曲を歌い上げました。あのような状況下で予定通り歌いきる姿勢にプロとしての自覚を感じるとともに、歌やギター演奏もさすがにプロでした。感激の再会となりました。
CDのライナーノーツやプロフィールで、「小学校6年の時に先生からギターを教わったのが音楽の道をめざすきっかけ~」と書いてありました。
嬉しいやら恥ずかしいやら、また、それで良かったのかとの自問もありました。しかし、音楽の道で生きることを決めたのは彼自身、星の数ほどいるプロ志望の中で、メジャーデビューできるのはほんのわずか、その中でヒットに恵まれるのは一人二人という厳しい世界の中で、がんばっている彼をこれからも応援していこうと思います。
「がんばれば、必ず夢は叶う。」
「努力は人を裏切らない。」
「実現できない夢はない。」などなどいろいろな格言がありますが、なかなか夢を持てない状況で自分を信じてがんばっている彼から大きなパワーをもらった気がしました。

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自分の母校である外海府小学校も中学校も早々と無くなってしまっています。
残っていた校舎も取り壊されて3年くらいになるでしょうか…。
今は、校舎跡地にただ草が茂った状態になっています。
恩師の文章の中にも書いてありますが、
当時の思い出を歌に残そうと作った曲が、
メジャーデビュー決定後最初に作った【追憶の故郷】です。

歌詞を紹介します。

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【追憶の故郷】
詞・曲/YAMATO  2008

1:茜雲を追いかけながら 裸足で駈けずり回った浜辺
遠くで母親の呼ぶ声に 気づけば夕陽は関崎の向こう
風に棚引く夕餉の煙 跳坂の上には瞬く一番星
「じゃあまた明日な!」って手を振って 笑顔で別れた友たちは何処

忘れない無邪気なあの頃を忘れない
誰もがそんな追憶の故郷
胸に抱いて今を生きている
都会の空の下で生きている

2:学校帰り道草しながら あの娘と探した四葉のクローバー
古いアルバムの思い出と 一緒にそっと仕舞ったまま
木造校舎のささやかな校庭 僕らの愛と夢を育ててくれた
空に高らかに響いていた 歌声は時代の流れに消えた

忘れない憂い無きあの頃を忘れない
誰もがそんな追憶の故郷
胸に抱いて今を生きている
都会の空の下で生きている

帰りたい故郷を捨てた訳じゃない
夢追うにはただ小さ過ぎた場所
そうただそれだけなんだ
故郷は今もこの胸の中…

【追憶の故郷】(ライブ動画)
http://jp.youtube.com/watch?v=QuM-RWie9RQ

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何の保証もない、もしかすると夢だけで終わるかも知れない人生の選択に対して、
少なからず影響を与えたことに対する恩師の親心とも言える
「それで良かったのだろうか?」という複雑な気持ちも垣間見えますが、
こうやって陰ながら応援し支えようとして頂いていることに心から感謝でなりません。

20代半ば~30代半ばにかけて、
自分の人生の生き甲斐とは何か?
本当やらないといけないものがあるとすれば何なのか?
小さく凝り固まった人生は送りたくない…。
できれば社会的な貢献度が大きければ大きいほど良い。
遠回りしながら自問自答を繰り返していました。
サラリーマンも経験しながら、
単に安定した収入を得ることだけでは本心が納得いかないことを強く感じました。
自分の納得いく人生を探すことをこのまま諦め、
妥協の人生に入ってしまうのか…、
いっそその方が楽かもしれない。
「でもそれじゃ駄目だ!」という自分の心の叫びがありました。
体裁やら他人の目を気にしていたら踏み切れなかったと思います。
周囲からどういう目で見られようと、
自分の心の叫びにだけ従おうと思いました。
それは、自分だけにしかわからないことです。
第三者からは、現実離れしていると思える夢を語り、
それに向かうということは孤独からのスタートです。
でも、最終的にはその思いに共感し応援してくれる人が出てくるからこそ
夢は実現できるのであり、
一人では絶対不可能です。

幼い頃から佐渡島内でも僻地と言われる
貧しく不便な地域で生まれたことに対する
強いコンプレックスと常に向き合っていました。
だからかも知れませんが、
「他人と同じ道は絶対行かないぞ!」という思いが強くありました。

人生かなり遠回りしましたが、
遠回りしたからこそ自分の本当にやりたい納得いく人生の術が
音楽にあったということに気付きました。
今こうして迷いのない目標に向かった人生を送れていることに
大変な充実感を感じていますし、
それだけに、恩師との30年前の出会いに人生の必然性さえも感じています。
別に早急に結果を出すことなど一切ないと思っていますし、
またお金をかけたプロモーションをしない限りは急になんてあり得ないので、
じわじわとで良いのでメジャーデビューから次の段階の結果を出すんだと
新たに誓っている次第です。
それが、応援している皆さんへのまた何よりの恩返しになりますので。

今週金曜日、恩師のご紹介でサポーター登録させて頂いた
新潟の『いじめ根絶県民運動』のフォーラムに参加して来ます。
翌日は、浦和でライブ、翌々日は、木更津FM出演とちょっとバタバタします。

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