今日は、久々に「目黒庄や408店」で催された
佐渡の郷土料理を食べる会「佐渡うめえもん会」に、
奥さんが行けなくなったので自分を誘いたいとお声かけ頂き行って来ました。
知っている方も多く、歌ってくれと言うリクエストもりましたが、
今回は急遽お誘い頂いての参加で、
全く歌う準備をしてませんでしたので、また機会がありましたら。
・首都圏佐渡連合会前坂田会長挨拶。

・料理長によるマグロ解体ショー。


・鬼太鼓


・佐渡民謡

・菊地幹夫さん民謡。


・裕次郎の歌を受け継いで歌っている石原プロ―モーション”金児憲史”さん。

その後は、少し早めに抜けて元々予定している
次の浦和サンアイでの「ゆる会」も顔を出して来ました。
・還暦を迎えたこの1年は、毎日が誕生日の中さん。

時々気になって見る中国「広州日本人学校」の様子。
ホームページで校歌のことがアップされていたので。
自分が留学していた1991年当時は、まだ日本人の児童、
生徒が20人足らずの時代で日本語補習校でした。
まだ専任の先生も派遣されていない中、
我々学生アルバイトがメインで教えていたわけですが、
補習校10周年記念に合わせて校歌制作の話が持ち上がり、
趣味でギター弾き語りをしているレベルで、
オリジナル曲もまともに作ったことがなかった自分が、
他にいないからと作ることになりました。
どうしたら校歌っぽくなるかと悩みましたが、
中学生女子からは、校歌っぽくない方が良いとリクエストがあって、
ならばと何とか作った校歌が思いの外好評で、
その後日本人の子供が増えて正式に日本人学校に昇格した時に、
そのまま正式な校歌として残され、自分もすっかり忘れていたんですが、
ある時知人から教えられて知りました。
今や400名規模になって児童、生徒が歌ってくれていることを思うと、
感慨深いものがあります。
校歌が先生や児童、生徒からとても愛されているとの噂が
耳に届いたりすることもありましたが、
かつて学校文集で広州日本人学校の誇りは、
校歌だと書いてくれていた先生もいたくらい大変光栄なことです。
今年度の音楽集会で改めて歌ってくれた模様が、ホームページに紹介されていました。

もう12、3年前に、広州日本人学校の10周年式典にご招待頂き行って来ましたが、
その時に交流した当時の先生方との約束で、
帰ってから校歌以外に何か卒業の歌をと作った【旅立ちの歌】です。