今日は、中国留学中にアルバイトをした広州日本語補習校当時、
赴任されていた校長先生とご父兄の有志の皆さんで、
年一回集まっている「広州会」でした。
場所は、巣鴨地蔵通りにあるお店でしたが、多分初めて足を踏み入れました。
昨年の遠野ライブは、この中の遠野出身のご父兄の方がいて実現しました。
1991年当時日本語補習校時代に自分が作詞、作曲した現広州日本人学校校歌を、
ギターの弾き語り音源で少し前に「YOU TUBE」にアップしましたが、
今日の「広州会」の皆さんは当時の写真の中に出てくる皆さんです。

4月26日、長野飯綱町でのライブ無事に終了しました!
ついでがあり、急にママさんに声をかけましたが、
連休前、結構宴会など入っているようで集客が厳しいかも?とのことでしたが、
たくさんの方に来て頂きありがとうございました。
何と、深夜3時半まで打ち上げで盛り上がりました。
今回は、歌詞変更に伴いCD間に合いませんでしたが、
早めに飯綱町のCD仕上げるように頑張りま〜す!
ママさん、お越し頂いた皆さん、ありがとうございました!
・ママさんの挨拶。

・ライブ始める前に生オギターで伴奏も。


・お名前拝借コーナー。

・途中地元で復活した権現太鼓も。

昨夜は、明治大学紫紺館椿山荘で、
ガダルカナル島で26年間キタノメンダナホテルの総支配人をされていた
山縣さんがいよいよ帰国されたので、
これまで「全国ソロモン会」はもちろん、
遺族会やJICAなどガ島に行った時にお世話になった皆さんか集まりました。
ガ島に帰化し、
かつてソロモン諸島国の国会議員までされたY.SATO先生や山縣さんには、
戦没者の遺骨調査や遺骨収容にあたって、
現地での情報を提供頂いたり、大変長い間ご尽力頂きました。
振り返ると、自分がはじめてガダルカナル島に行ったのが2009年3月。
「涙雨」と言う鎮魂歌を作ったのがきっかけで、
現地の慰霊祭で歌って欲しいと言う、
当時の「全国ソロモン会」故菊本事務局長さんの強い要望がきっかけでした。
その後は、2011 年2月〜3月にかけて、
政府派遣の遺骨収容でも一度行かせて頂きましたが、
帰国して九段会館に一泊し、
納骨式を終えて帰宅した翌日が東日本大震災でした。
地震で九段会館の天井が落ちたので、
一日ずれていたら大変なことになっていたな…という感じだったのを思い出します。
ガダルカナル島ではないですが、
2009年6月にブーゲンビル島の慰霊巡拝にも同行した時の映像を使った
「涙雨」がこちらで観れます。
https://youtu.be/4KmArwUj7nk

・元ソロモン諸島国岩撫大使。

・山縣さん。

さて、明日は昨年9月以来の長野県飯綱町でのライブです。
上越に行く予定が入り、農繁期なのでどうかと思ったんですか、
ついでにライブができるかどうか前回もお世話になった
「スナックMAMI」のママさんに声をかけると、
あまり時間がない中で段取りしてくれました。
飯綱町のご当地ソングも2曲作り、CD制作中なんですが、
今回CDが間に合うと良かったものの、
四季をテーマ作った歌の歌詞に出てくるイベントが、
天候の影響で夏から春に変わり、
自ずと歌詞を変えて新たにレコーディングしないといけなくなったため、
今回は間に合わず、ライブでお披露目するだけになってしまいます。
ジャケットもデザイン中ですので、もう少しお待ち下さい!
明日は、ママさんも立ち上げメンバーになって復活させた、
地元の権現太鼓もサポートアクトとしてあり楽しみです!
前回は皆さん温かく盛り上げて頂き、
楽しい交流ができましたが、
また飯綱町の皆さんにお会いできるのを楽しみにしています!

・ママさんと。

・飯綱権現太鼓。(左がママさんです。)

20日の朝に気仙沼に着くように19日の夕方に出発。
◆20日
10時〜鹿折のかもめ通り商店街2周年のイベントで、
餅まきと駐車場で野外ライブをした後、
午後から「お食事処 塩田」で、演歌歌手やソラさんのマジック、
そして最後に自分のライブをしました。
この日は、気仙沼大橋開通イベントはじめ、
あっちこっちでイベントが重なっていたようです。
・持ちまき。

・ソラさんのマジックショー。

・後ろに貼ってあるポスターの方。

・お名前をお借りしたゆきえさん。 ・ゆのちゃんとお母さんあやかさん。

夜は、地元の小松一族の男性10人くらいの宴会と、
4月頭に気仙沼に来た時にやはり「塩田」で知り合った
建設会社の社長が従業員の方と来ていてライブをさせてもらいました。
小松一族の皆さん、本当に良い人達で、
自分のライブが始まると、聴く時は静かに真剣に聴いてくれて、
盛り上げる時は盛り上げでくれて、
酒の席では珍しいくらいに本当に良いライブになりました。
CDもほぼ皆さん全員が買ってくれて、
「塩田」に預けていたCDは完売しました。
何だか、とっても良い一日になりました。
小松一族の皆さん、ありがとうございました!
・お名前をお借りした守さん。

・小松一族の皆さんと。

・前回来た時に知り合った村上さん。

◆21日
たまたまボラ仲間が気仙沼に来るのと重なり合流。
みんなはドライブに出かけましたが、
この日、自分はボラ宿「若芽」に医療支援の皆さんが来て、
自分も車での長距離移動が続ているせいか腰に違和感があったので、
人生初の針をやってもらい、かなりすっきりしました。
◆22日
この日は、午前中来ていたボラ仲間と
ヤマヨ水産にカキの買い出しを兼ねて気仙沼大橋へ。


・ボラ仲間は、お昼頃帰路につきました。

自分は、午後からテーマソングを作ったことから懇意にしている
「気仙沼フェニックスバッティングセンター」の千葉さんが、
やっと仮設住宅から公営住宅に引っ越すことになり、
たまたま前回気仙沼に来た時にそのことがわかったので、
今回のタイミングで引っ越しのお手伝いをしました。
最初自分だけの予定が、
自分がそのことを話したら地元の助っ人が他に4人増えてくれて
本当に助かりました。
・引っ越し終わって千葉さんの新居からの眺め。

◆23日
帰る日は、急遽コーディネーターの村上さんからの依頼で、
午前中公営住宅の集会所でミニライブをしました。
これまで、公営住宅のオープンの時や夏祭りのイベントで歌ってるんですが、
ワイワイガヤガヤだったので、
集まった皆さん、この日初めてしっかり聴いて頂きましたが、
涙を流している方もいたり、本当に感動してくれて、
次回を楽しみにしてくれました。

・佐渡出身と言うことで、佐渡おけさのリクエストが!

・皆さんで合唱。

気仙沼を離れ、次は仙台へ。
いつも応援頂いている方のお父さんが急に亡くなったので、
お線香をあげに立ち寄りました。
・昨年10月の仙台ライブに来てくれたお母さんと。

そして、最後はゆくゆくライブができたらと言われていた、
名取市の「つがる」と言うお店に連れて行ってもらい、
マスター&ママと交流して来ました。
最後はミニライブをして、23時過ぎにお店を出て、
途中休みながら翌日朝6時頃に帰宅しました。
・マスター&ママ(とうちゃん&かあちゃん)と。

今回も皆さんによくしてもらい、
充実した、気仙沼ツアーになりました。
さて、北朝鮮拉致被害者救援のために流しているラジオ番組
「たつ兄 ゆみ姐のオレがやらなきゃ誰がやる!」で、
第16回2月21日に一度同郷佐渡の曽我ひとみさんつながりで、
自分の「愛しき人よ もう一度」をオンエアして頂きましたが、
本日18日は横田めぐみさんが新潟で拉致されているつながりから、
2005年に初めてめぐみさんに向けて横田早紀江さんが読んだメッセージと、
やはり番組内で「愛しき人よ もう一度」をオンエア頂きました。
本日分は、すでに「YOU TUBE」にアップされています!
※前半はめぐみさんの中学校の同級生がゲスト出演し、
早紀江さんのメッセージは28分頃から、最後の方で自分の曲が流れます。
https://www.youtube.com/watch?v=pCvSaBr74Yg

※過去2月21日放送分を聴いてない方は、こちらでどうぞ!
時間のない方、37分頃から曽我ひとみさんのメッセージ、
自分の歌の流れになります。
https://www.youtube.com/watch?v=bmjTRk-_0oA
そして、今日からまた気仙沼に向います。
かもめ通り商店街の2周年記念イベントとして、
懇意にさせて頂いている鹿折の「お食事処 塩田」でライブをします。
無料ですので、お気軽にお越しください!
23日帰って、その後は26日、27日で長野飯綱町〜新潟上越でのライブです。

4月15日~17日の予定で能登に行って来ました。
元々、「長田萬燈祭」を主催している中西さんから、
出来上がった石川県の歌3曲をCDにするにあたって、
できれば9月の萬燈祭の時にも灯す富士山と五重塔にだけは灯りを灯すので、
4月16日の春祭りに合わせて
直接打ち合わせができればということからの能登ツアーでした。
途中長野の塩尻に立ち寄ったので、
初めて下道で能登に行ってみましたが、
やはり9時間くらいかかって夜の9時に能登志賀町に到着しました。
前日15日は晴れたものの風があって灯りを灯すのは厳しかったようですが、
16日の当日は、見事に晴れてくれました。
中西さんが知る人ぞ知る、
能登島が一望できる展望台があるとのことで昼間連れて行ってくれました。
・別所岳の展望台。

・能登島と上に雲のように白く見えるのが立山連峰。

・中西さんの工場の皆さんと花見しながら昼食。

・萬燈祭の舞台。

・午後から灯りを灯すため周囲に落ちている杉葉の掃除を手伝いました。


・中西さんといい汗をかいて。

・中さん、ロウソクを容器の中に入れて準備中。

・富山からわざわざ会いに来てくれた中井さん。

心配された風もなく天候に恵まれ、
16日夜無事に富士山と五重塔に灯りを灯すことができました。
実は演奏することは聞いてなかったんですが、
中西さんから能登に着いてから明日見竹神社で奉納演奏をと言う話があり、
打ち上げででも歌う機会があればとギターだけは持って行ってたのですが、
音響などの準備が無かったので、
スペース的に生声でもいいかな?と思っていたら、
当日北口さんが自前のものを持って来てくれて助かりました。
灯りを灯した後、見竹神社に地元の方に来てもらい、
CD にする予定の「長田萬燈祭の歌」、「能登の四季巡り」、
「故郷金沢 四季の歌」などを聴いてもらいましたが、
「こんなに見事に故郷を表現してもらった歌ができて、
聴いていて本当に感動で涙が出た」と言う方もいて、
お陰様で地元の方にも満足して頂きホッとしました。
昨年1月、5月、9月、12月と4回能登に足を運んだ甲斐がありました。
・夜に奉納ライブをする見竹神社。

・中西さんの炭の作品が奉納してあります。

・灯りを灯した後、神社での奉納ライブ。・紅一点のふみちゃんのために歌いました。

・最後は、太鼓で締めました。

・神社を出るときれいな月が出てました。

・富士山と五重塔。

・前の池に映る逆さ富士。

・いつもの場所で懇親会。

そして、この模様を「中日新聞」にも大きく記事にして頂きましたが、
これがまた、つくづく運がいいな…と言うか、萬燈祭パワーなのかな…?と。
特に主催者中西さんが改めて取材依頼の連絡をしたのではなく、
中西さんの奥さんが自分が能登に行く前日に、
たまたまこれまで萬燈祭のことを記事にしてくれたことのある
「中日新聞」記者の榊原さんにスーパーでバッタリ会ったらしく、
「明日YAMATOさんが来てくれるので、
良かったら見竹神社に来て下さい」と声をかけたそうです。
もしかすると取材に来てくれるかも?と言う話しにはなっていたんですが、
後で記者の榊原さんが言うには、
バッタリ奥さんに会った時に歌をお披露目する話も
始まる時間も具体的に聞いてなかったそうです。
最初に歌った「長田萬燈祭の歌」が丁度終わってから来られたので、
取材はないものと思っていたくらいでした。
打ち上げの場で改めて取材をしてもらってそう言うことがわかって来て、
中西さんの奥さんが榊原さんに
スーパーでバッタリ会わなかったら無かった取材と思うと、
何だか本当ラッキーでした。
CDのジャケットのことなど、
中西やさんと詳細に打ち合わせをして来たので、
早く完成するようにまた作業進めます。
本番9月16日の萬燈祭、
それまでにCDも販売しながら当日に向けて盛り上げていきたいものです。
能登に行く度に、いつも中西さんご家族はじめ、
仲を繋いでくれた中さんやお友達の北口さんなど、
皆さんに歓待頂き感謝です。
9月16日、「長田萬燈祭」に是非行きましょう!
・「中日新聞」記事。

・当日は、1万2千本の竹灯りです。

・【長田萬燈祭の歌】デモ音源です。
さて、今日から能登志賀町にいます!
9月16日の萬燈祭本番のように1万2千本とはいきませんが、画像にある富士山には灯りを灯すようです。
3曲作った石川県の歌「長田萬燈祭の歌」、「能登の四季巡り」、「故郷金沢 四季の歌」をCDにするに当たっての細かい打ち合わせと、お披露目コンサートなど今後について打ち合わせを兼ねてお呼び頂いたので、楽しみに行って来ます!
昨年は4回も能登に行きましたが、今年は何回になるかな?と言う感じです。

さて、今月いっぱいハードスケジュールです。
また気仙沼に行きますが、その前に能登志賀町には、3曲作った石川県の歌のCD制作の打ち合わせと、今後のお披露目ライブなどの打ち合わせを兼ね見竹神社春祭りへのお誘いがあったので来ています。
そして気仙沼の後、ご縁があって作った長野飯綱町の歌も歌詞の変更があって今回CDが間に合わなくなりましたが、先に上越の予定が入って、ちょうど上越に向かう途中なので、昨年9月に続きスナックMAMIのママさんに声をかけてみたらライブの段取りしてくれました。
●4月15日~17日 能登志賀町
※16日(火)見竹神社春祭り
●4月19~23日 気仙沼
※20日(土)13時〜 お食事処塩田
かもめ通り商店街2周年記念ライブ
●26日~27日 長野飯綱町~上越
※26日(金)19時〜 スナックMAMI LIVE
※27日(土) 友人父追悼ライブ
●4月28日(日) 広州日本語補習校父兄による広州会


昨日は、昨年のクリスマスチャリティーライブでご縁を頂き、
先日の女川でのボランティア活動でもご一緒した
石巻の木工作家「木遊木」の遠藤伸一さんが定期的に出店している
「赤坂マルシェ」に行って来ました。
目的は、甥っ子に5月に子どもが生まれるので、
そのお祝いに遠藤さんの積み木を購入するためでした。
・「赤坂マルシェ」



・この積み木購入しました。

東北から帰ってすぐ4月8~9日で長野へ行き、
帰って翌日10日、
地元戸田にある「割烹福水」の花見会に参加して来ました。
女将さんが佐渡の赤泊出身と言うことで、
例年お店の常連客の皆さんが前にある桜の樹の下で花見会しているそうで、
同郷の先輩からお誘いがありました。
残念ながら肌寒い雨模様になったので、
お店の中からの花見になりましたが、
何と自分がギターを持ってお店に入ると、
お店のお嬢さんが「もしかして?」と思ったらしいのですが、
何と2年半前に開催したさいたま市北区のプラザノースのコンサートに
お客さんで来てくれていて、自分のことを知っていてお互いに驚きました。
やっぱりご縁ですね〜、びっくりしました!
あとは、女将さんが佐渡出身で戸田市の現職市議会議員を10期もされている
高橋市議を呼んでくれて、ご夫妻で顔を出してくれました。
少し前から佐渡の方から噂は聞いていたのですが、
やっとお会いできました。
自分が来ると言うことで、やはり女将さんが声をかけてくれたようで、
ご主人さんが佐渡の佐和田ご出身で、
奥様が何と自分が歌を作った上越高田ご出身と言う、
お二人学校の先生だったご夫妻も来てくれて、
自分との出逢いを本当に喜んでくれました。
「割烹福水」の後、是非付き合って欲しいとカラオケができるお店に行き、
日付が変わるまで交流しました。
ご主人さんは、佐渡高校の関東支部同窓会の会報で
自分のことを知っていたらしいのですが、
病気をして同窓会に長年参加できずにいたそうです。
今年は是非参加したいとのことで、
奥さんが「こんな元気な主人の姿は何年ぶりだわ。
今日YAMATOさんと出会えたお陰ですよ」言ってくれました。
奥さんは、元々音楽の先生だったそうですが、
自分の歌を聴いて大変感動してくれて、
以前上越の歌を作ったことにもご縁を感じましたが、
「YAMATOさんの歌は本当に感動するわ〜!出会えてうれしい〜!」と、
ご夫妻でこんなに喜んでいただけるのかと言うくらい、喜んでくれました。
何だか、充実した地元戸田での花見の一日になりました。
・高橋戸田市議ご夫妻と。

・後で行ったカラオケスナックで。

11日は、中さんの浦和「サンアイ」での「ゆる会」に
以前倉敷から参加したことのある松下さんの息子さんが
今年東大に現役合格したため、
入学式に合わせてご夫婦で上京したタイミングでお祝いをしました。


・還暦の今年一年は、毎日が誕生日の中さんのために「♪いとしの中ちゃん」を。

・2回目のひかりさん。

・松下さんご夫婦と。

12日は、来月中旬にはスペインに移住されてしまう毎日新聞記者の鴇沢さんと、
6年前に鴇沢さんをご紹介頂いた梅原さんの3人で歓送会をして来ました。
梅原さんは、元々蕨で写真館営んでいた写真家ですが、
お店を畳んだ後は、オリジナルのフォトアーティストとして活動する傍ら、
タクシーの運転手をされていた2010年に、
自分がシベリア抑留中に亡くなった伯父の慰霊にシベリアへ向かう時、
梅原さんのタクシーにギターを持って乗ったのがご縁で、
何と梅原さんは戦争遺児にあたる方でした。
不思議なご縁に驚いたのを覚えています。
その時に名刺を交換して、
ご自身が個展を開催する時に鴇沢さんが取材してくれていたことから
自分を紹介頂いたのが2013年で、
それからの6年間と言うもの、
こんなに個人的に記事を書いてもらってよいの?
と言うくらい鴇沢さんには応援頂き、
コンサートがある度ごとに記事を掲載頂いてきました。
その後、懇意にさせて頂いていた佐渡高校の先輩で、
「AERA」の編集長から8、9年前に朝日新聞出版社社長をされていた宇留間さんが、
「毎日新聞」宇都宮支社時代に鴇沢さんの後輩だったことも判明し、
その場で宇留間さんに電話をすると、
何で鴇沢さんを知ってるのか?と、とても驚かれたことがありました。
本当にお世話になり、ありがとうございました!
・向かって左が鴇沢さん。

・一番最初に鴇沢さんに記事にして頂いた2013年3月19日付け記事。
