昨日は、地元戸田の「割烹 福水」へ。
昨日で能登のCDをプレス発注をするために集中しないといけない
1曲ずつの音源チェックの作業も終わり、
マスター音源の発送も完了したので一段落。
今日は、本当に久々に地元戸田にある
同郷の佐渡赤泊出身の女将さんのいるお店「割烹 福水」に顔出して来ました。
丁度2年前の桜の時期に同郷の方の声掛けで、お店の前に立派な桜があるからと、
花見として集まったのがきっかけでした。
その年の10月に自分の15周年コンサートをやって、
女将さんにも来て頂いていたんですが、
コンサートの直後から関わっていたボランティア団体で
鋸南町や丸森町の台風被害の支援に動くようになり、
すっかり顔を出すタイミングを逃し、
年明けて2月に都内でやったロックライブを最後にコロナ自粛になってしまったので、
考えたらほぼ1年半ぶりに顔を出したことになるんですね…。
この期間、何だかあっと言う間で早かったな…。
昨年出した「漁師一筋男歌」に
女将さんの地元の酒蔵「北雪」のイメージソングも入っているので、
少し前に電話したらずっとお店は開けているとのことで、やっと持って行けました。
「北雪」は、女将さんの実家の方では季節的に働かせてもらったり
お世話になったご縁があるようです。
もう40年以上やっているお店になるので、
開店の時に小さな苗で植えた桜が見事に大きくなっていて今満開で見事です。
料理も本当に美味いんですが、写真忘れました。
普段ライブをやっていない分、
来月の能登のCDお披露目ライブに向けて早めにセットリスト決めて、
しっかり準備していこうと思います。
能登のCD2枚の視聴版作りました!
【さくら貝の歌】
【輪島市応援ソング集】
能登のCDも音源が完成し、プレス発注かけました!
輪島のCDがロックな曲になるのでそちらに波ちゃんのサックスと、
ついでにさくら貝の歌にも1曲オカリナを入れてもらいました。
ロックンローラー漁師東野親分のテーマソング「漁師一筋夫婦船」には、
サックスの他にアイリッシュホイッスルも入りました。
1曲チェロが入り、ピアノ、バイオリンとの贅沢なアレンジがされています。
山野さんが「悲しき初恋」に低音が欲しいと思い奥さんに頼んだそうなんですが、
余りにも速攻で録ってくれたので、
歌モノのアレンジに慣れているのかな?と思ったら、
昔独身時代にHYの全国ツアーにチェロで同行していたことがあるそうなんです。
自分の元曲が何だかさっぱりわかりませんが、
他の演奏と重なると見事なアレンジになるんですよね…。
今回全く違ったテイストで豪華なアレンジのCDが2枚できる予定です。
さて、能登のご当地ソングお披露目ライブ決まりました!
CDの完成に合わせてご当地能登の志賀町と輪島市で
お披露目ライブをして頂くことになりました。
人数制限しながらこじんまりとやらせて頂きます。
志賀町の萬燈祭の春の定例祭と言うことで、
顔を出すのに合わせてライブを設定してもらった感じです。
4月18日15時〜「茅葺庵 三井の里」となります。
レコーディングでお世話になっている尺八山野さんも同行します。
昨日は、「市民会館おおみや」へ。
昨日は、4月24日(土)に開催する「市民会館おおみや」での
大宮北ライオンズクラブ主催のチャリティーコンサートの下見、
打ち合わせに行って来ました。
一時は、紅白ライブバトルで毎年のように出演してお世話になっていました。
第3回目からは小ホールに移り規模が縮小してしまいましたが、
第1回は完全にNHKの紅白歌合戦の時間帯に、第2回は新年早々開催し、
よく知られた滝島雅子さんと言うNHKのアナウンサーが司会していましたね。
副賞として20万円のホール利用の補助金を頂いたことがあり、
今は紅白ライブバトルも無くなっているはずなのですが、
今日対応して頂いたスタッフの方、自分のことを覚えていてくれました。
昨日はレコーディングでした。
昨日は、自分の歌入れをメインに山野スタジオでレコーディングして来ました。
レコーディングもいよいよ大詰めとなり、
あと2回で上モノ楽器と自分の歌入れ2曲を録ると終了です。
能登の志賀町と輪島のCDですが、
志賀町はさくら貝をテーマにした女性が好みそうなCDになり、
もう一方は漁師の歌や御陣乗太鼓をテーマに力強いロックなCDになるので、
同じ人が作って歌っているとは思えないくらい全く違ったテイストのCDになりますね。
どちらも信頼できるメンバーと妥協なく作っているので、
クオリティーの高いCDになると思います。
さて、告知です。
来る4月24日(土)、
市民会館おおみや(大ホール)で開催のチャリティーコンサート、正式に開催が決まりました。
ご希望の方はチケット取り置きしますのでお声かけください。
気仙沼のご当地ソング。
今も石川県能登地方のCD2枚のレコーディング真っ只中ですが、
被災地支援として70回近く通って来た気仙沼のご当地ソングを作ってないな…と思い、
一昨年やっと4曲入りのCDを作りました。
良かったら聴いてみてください。m(_ _)m
長年お世話になってきた村上さんの予てからリクエストで、
地元では知られている泥棒坂と言う坂をテーマに
【みっちゃんと泥棒坂】と言う歌を作ったのも思い出です。
おそらく5年越しくらいでリクエストに応えたられたかな…?と。
こちらは【大島亀山四季の歌】のデモ音源ですが、懐かしいボランティアメンバーとの写真もあります。
※カントリーVer.
※バラードVer.
10年の節目と言うことで特別番組も多いのですが、
被災地の皆さんにとっては復興に向けた途上の一日でしかなく、
まだまだ大変な環境で日々の暮らしを送っている方も多くいますし、
心の痛みを今尚抱えている皆さんの心の復興も大きな問題ですので、
無力さを感じながらも、
せめて被災地に寄り添う気持ちだけは持ち続けていきたいと思います。
3.11の前日、うれしいメールが入りました。
今日、3.11を前に嬉しいメールが入りました。
お元気かどうか気になっていたので、
明日にでもメールしてみようと思っていた気仙沼の”佐藤きよね”さんの娘さんから、
きよねさんがお元気とのメールでした。
昨日ご紹介したネットマガジンの中で、
東日本大震災の復興支援のことが書かれていますが、
その中に出てくるおばあさん”きよね”さんとの出会いは、
2012年6月、初めて復興支援で気仙沼に行った時に
ライブをした階上中学校の仮設住宅でした。
当時は確か85歳、
ライブをする前まで本当に落ち込んでいる様子で暗い表情をされていたのですが、
皆さんからのリクエストで”きよね”さんのお名前で応援歌を歌ったところ、
ライブが終わる時には、信じられないくらい満面の笑顔になり、
写真のような表情に変わっていて、
自分の手を握ってずっと心の内を話し続けてくれました。
歌う前まで、生死をかけた大変な体験をされた皆さんに、
自分の歌が受け入れてもらえるのかどうか、
今までに感じたことのないほどの緊張感でしたが、
この”きよね”さんとの出会いで歌の持つ力を改めて気付かされ、
復興支援に通い続ける決意を固めました。
それから自分が気仙沼に行くのを毎回楽しみに待ってくれるようになりましたが、
いつも仮設住宅での簡易的なライブだったので、
お元気なうちに、
一度プロとしての本格的なステージを見てもらいたいという気持ちが強くなり、
震災後5年の節目でのホールでの無料コンサートの開催を提案したところ、
当時一緒に通っていたボランティア仲間が共感してくれて、
バンドメンバー10人と関東からも共感したメンバーがスタッフも兼ねて、
三台分のマイクロバスに乗り合わせて行ってくれました。
“きよね”さんは、デイケアセンターの皆さんと、
YAMATOの応援団扇を作って来てくれました。
その後、いつも一緒に来てくれていたご主人の千代雄さんが亡くなられ、
“きよね”さんも一度は体調が悪くなり入院もされていたのですが、
2年前の2月に気仙沼でライブをした時には退院されていて、
娘さんから認知症が進んでいるとは聞いていたのですが、
お宅を訪問してお話すると全くそんな風には見えず、
自分と出会った時の様子を事細かに憶えていて懐かしそうに話してくれました。
そして、初めて会った時に歌った”きよね”さんの応援歌を再現し、
とても喜んでくれて楽しい時間を過ごしました。
あれからもう2年経ってしまいました…。
コロナ禍で気仙沼に行けないのがもどかしいのですが、
メールが本当にうれしく、
再会できる日までお元気でいてくれることを祈りたいと思います。
その時の出会いを歌にしたのが、
復興支援関連の歌で最初に作った【あなたの笑顔思い浮かべて】でした。
今年の3.11は…。
テレビなどの特番を観て過ごしました。
石巻の木工作家遠藤伸一さんの番組がオンエアされていました。
遠藤伸一さんより前に復興支援で気仙沼に通いながら
千葉清英さん、瑛太君親子ともご縁を頂き、
気仙沼フェニックスバッティングセンターの公式テーマソングを作りました。
オープニングセレモニーで歌った時の映像です。