「広州日本人学校校歌」に関して。
20年くらい前に当時の中国「広州日本人学校」の谷口校長先生から
わざわざ送られて来た当時の学校文集。
この後に、10周年式典にご招待頂き参列させて頂きました。
この頃、自分は音楽活動に踏み切ったばかりの頃で、
当時から更に15年くらい前、オリジナル曲などほとんど作ったことも無かった頃に
手探りで作った校歌が、
まさかこんなに客観的な評価を受けるとは思ってもいませんでした。
学校文集の中で戸田先生と言う当時の国語の女性教諭が、
歌詞もメロディーも本当に高く評価してくれていたのがわかる身に余る寄稿文です。
残念ながら10周年で参列した際には、
当時の谷口校長先生と戸田先生はすでに帰国された後で、
谷口校長先生だけが来賓で参列されていてお会いできました。
日本人学校では、校歌の制作者と言うことで、
勝手に年を取った人が来ると思っていたようで、
若かったので先生方にも児童、生徒にも大変驚かれました。
この一件は、始めたばかりで右も左も分からなかった自分の音楽活動に、
大きな励みになったのを思い出します。