11月3日、シベリア抑留犠牲者鎮魂慰霊祭でした。
『東京ヤゴダ会』主催、
千鳥ヶ淵墓苑でのシベリア抑留犠牲者鎮魂慰霊祭無事に終わりました。
千鳥ヶ淵墓苑でのシベリア抑留犠牲者鎮魂慰霊祭無事に終わりました。
率直なところ、本当に良い慰霊祭になりました。
昨年に続き、遠く能登から萬燈祭を主催されている中西さんご夫妻、
そして、何と先月能登でお会いしたばかりの中さんまでが、
サプライズで駆けつけてくれて、
慰霊祭前のご対面で、まるで能登にいるような錯覚に陥りました。
そして、何と先月能登でお会いしたばかりの中さんまでが、
サプライズで駆けつけてくれて、
慰霊祭前のご対面で、まるで能登にいるような錯覚に陥りました。
能登の人、熱いですね〜!
そして、自分の奉納演技では『ヤゴダの祈り』の後、
この何年か歌っていなかった
『涙雨』を前日になって急遽歌って欲しいと言うことで歌ったのですが、
何と『涙雨』を歌っている時に”涙雨”が降りました。
この何年か歌っていなかった
『涙雨』を前日になって急遽歌って欲しいと言うことで歌ったのですが、
何と『涙雨』を歌っている時に”涙雨”が降りました。
自分は歌っている時に全く気付かなかったのですが、
能登から参列頂いた中西さんが、最後の参列者の挨拶の時に
「皆さん、『涙雨』を歌っている時にまさに涙雨が降りましたね。
先祖はこの場に生きていて、我々の想いが届いているんです」と話され、
自分はそこで初めて、えっ!?まさかの”涙雨”が降ったの?と、
奉納演技が終わる頃には全く降っていませんでしたので、本当に寝耳に水でした。
能登から参列頂いた中西さんが、最後の参列者の挨拶の時に
「皆さん、『涙雨』を歌っている時にまさに涙雨が降りましたね。
先祖はこの場に生きていて、我々の想いが届いているんです」と話され、
自分はそこで初めて、えっ!?まさかの”涙雨”が降ったの?と、
奉納演技が終わる頃には全く降っていませんでしたので、本当に寝耳に水でした。
皆さん、わかったようですが、
『涙雨』を歌っている時にミストのような雨が降っていたようです。
『涙雨』を歌っている時にミストのような雨が降っていたようです。
中さんも感想で
「初めてこういった慰霊祭に参加して、YAMATOさんが慰霊祭で『涙雨』を歌うと
雨が降り出す経験を何度もしていると言う話を聞いていて、
今までは正直本当かな?と思っていましたが、
今日まさにその”涙雨”を体験して、本当に感動しました。来年も参列したいと思います」
と話して頂きました。
「初めてこういった慰霊祭に参加して、YAMATOさんが慰霊祭で『涙雨』を歌うと
雨が降り出す経験を何度もしていると言う話を聞いていて、
今までは正直本当かな?と思っていましたが、
今日まさにその”涙雨”を体験して、本当に感動しました。来年も参列したいと思います」
と話して頂きました。
シベリア抑留経験者の参列も無くなって数年経ち、
今年も抑留経験はされなかったのですが、
士官学校に通われていた92歳の廣島さんだけが、
正式に会長と言う立場でお元気に参列されました。
今年も抑留経験はされなかったのですが、
士官学校に通われていた92歳の廣島さんだけが、
正式に会長と言う立場でお元気に参列されました。
今年は、コロナが重なり参列者の参加人数が危ぶまれましたが、
参加予定で来れなかった方も多かった中、その分を補う急遽の参列者の方も居てくれて、
本当に感動的な良い慰霊祭になりました。
参加予定で来れなかった方も多かった中、その分を補う急遽の参列者の方も居てくれて、
本当に感動的な良い慰霊祭になりました。
事務局長さんからも
「YAMATOさん、来年からまた『涙雨』は定番でお願いします」と言われましたので、
『ヤゴダの祈り』と合わせて歌うことになります。
「YAMATOさん、来年からまた『涙雨』は定番でお願いします」と言われましたので、
『ヤゴダの祈り』と合わせて歌うことになります。
司会の佐波優子さんからも「本当に涙雨を降らせる素晴らしい歌声でした。
YAMATOさんの奉納歌唱あっての慰霊祭だと、
本日改めて実感しました」とのうれしいメールがあり、大変光栄でした。
YAMATOさんの奉納歌唱あっての慰霊祭だと、
本日改めて実感しました」とのうれしいメールがあり、大変光栄でした。
関係者、参列者の皆さん、本当にお疲れ様でした。
・92歳の廣島会長挨拶。
・大阪から参加の遺族の追悼文。
・YAMATO奉納演技。
・最後の献花・
・能登から参加頂いた志賀町萬燈祭主催者の中西さん。
・やはり能登から参加頂いた元自衛官の中さん。
・司会の佐波優子さんと。
・有志での直会。